情報に早い皆様、とっくにご存じかと思いますが。

 

 

劇的な効果を狙って、来週の11月22日に発表するかと思っていました。

そう、1963年11月22日は、彼の伯父がダラスで凶弾に倒れた日ですから。

 

しかし、マスゴミさん、「反ワクチン活動家」というステレオタイプな表現、あまりにダサいのでもうやめませんかね?

 

それを言うなら、厚労大臣や日本医師会は

 

ワクチン原理主義者

 

となりますよ。

 

 

 

 

 

 

※買ってください、ではなく、あくまでご紹介です。

 

「珍コロ騒動」や「マスク信奉」を当ブログでは、しばしば「天動説vs地動説」に例えてきました。

この問題は、言い換えれば「宗教vs科学」であり、科学史を学ぶ上でも、とりわけ面白い逸話の一つです。

 

人類とは、かくも愚かで、かくも賢いか。

 

皆さんは、現在NHKで放送中のアニメ『チ。-地球の運動について-』をご存じですか。

 

 

原作漫画自体は、数年前に評判になったのもの。

「史実とまるで違う」といった辛口批判もあるようですが、こなが自身は、極めてシリアスなテーマを備えた良作だと思います。

 

「史実とまるで違」っていても、しょせんはフィクションなのですから、そこをあげつらうのは野暮でしょう。

「我々の暮らす地球とよく似た、どこ別世界のお話」だと割り切れればよい。

 

そんな些末事よりも、重要なのは、この作品の持っているテーマ

 

「宗教も科学も、その本質は変わらない」

 

これには、いたく感銘を受けました。

 

「地動説」が教会により教義に反する「異端」とされ、研究すら禁じられていた時代。

見つかれば激しい拷問や火あぶりに処せられるにもかかわらず、数話ごとに替わっていくリレー形式の主人公たちは、危険を省みず天体の観察を行います。

その結果、異端審問官に追われ、時には捕まり処刑される者も現れます。

 

でも、彼らは研究することを決してやめません。

 

そこには、自分の命よりも大事な「真理」があるから。

 

人類の知性には、「真理」を追い求める飽くなき欲求があるから。

 

そして、一度でも「真理」の一端を垣間見てしまった者は、二度と「知らなかった頃」には戻れないのです。

「動いているのは満天の星ではなく足元の大地である」と悟った瞬間から、平穏無事な未来は、ただの「幻想」と化してしまうのです。

 

 

……でも、それって、実は神のために命を捧げる「殉教」と同じことではないの?

キリスト教の神ではなく、「科学」という別の神に対する「信仰」ではないの?

 

物語は、読者にそう問いかけます。

 

その証拠に、「地動説」を追って命を落とす者たちは、キリスト教の殉教者よろしく、一様に安らかな笑みを浮かべて世を去っていくのです。

 

皆さんはその問いかけに、どう答えますか?

 

 

 

 

 

 

 

こながは、主に2つの点で、「宗教」と「科学」は大きく異なっていると思います。

 

①「科学」は新たな発見によりアップデートできる。

・対する「宗教」は、何百年、何千年も前に唱えられたものを未来永劫、一言一句守り続けようとします。

 

②「宗教」に対する「殉教」は極めて利己的である。

・「宗教」に殉ずる者の行動原理は、せんじ詰めれば、「死後、天国に行きたい」という、個人的でエゴイスティックな動機に基づくものです。

でも、「科学」に殉ずる者には、そうした利己的なたくらみはなく、ただ「真理を次の世代につなげたい」という理由で、ある面では「無駄に」命を落としていくのです。

この精神は、「崇高」だの「利他的」というのとも違って、自分ではどうすることもできない「呪われた宿命」と形容するほうが、しっくりくるように感じます。

 

 

珍コロ騒動やワクチン問題で、「どこからも金銭的利益を得ていない(おいコオロギ太郎、聞いてるか?)」のに、あえて反対意見を唱え続けた同志の皆さんも、きっと「(運悪く?)真理の一端を垣間見て」しまった哀れむべき人たちなのだと思います。

 

よろしければ、『チ。』をご覧になってみてください。