自民党盤石の圧勝? とんでもない!
その実態は「薄氷を踏む辛勝」にすぎないことを前回記事で述べました。
いっときの感情で投票した有権者は、じきに冷静さを取り戻します。実際、すでにあちこちで「自民が勝ち過ぎ」と不安の声が上がっています。
高市政権は、どんなに遅くとも1年以内に減税などの公約を実行しなければ、あっという間に支持率が危険水域まで落ち込むはず。
来年早々の解散総選挙だって、十二分にあり得る話です。
そのときは、怒りの矛先が自民党に向いて、300→30議席の超激減も考えられます。
さて。
各党の公約を見て、自分の考えに最も近い政党に投票する
学校でそう教わり、実際そうした投票行動を取る人も多いでしょう。
もちろん間違いではありませんし、理想はそうあるべきですが、やはり理想と現実は違うもの。
自分が理想とする社会を築くには「戦略」が重要です。
そのためには、社会の動向を先読みし、時には自身とは相容れない党に票を入れる覚悟が必要です。
人の一生なんて短いもので、私が生きている間に私の望む社会が誕生することは、ほぼ確実にありません。
なので、100年先、200年先の未来を見越して、今は布石を打つのが賢い「戦略」というもの。
だから、私は支持政党以外でも平気で投票できます。
裏を返せば、私がある党に投票したからといって、決してその党の姿勢や公約に共感しているわけではありません。
社会情勢を見て、「今回はどこの党が勝ちそうだな」と判断し、その結果生じるであろう不具合を食い止めるには、どこに投票すべきか、次善の策は何か、を考えているのです。
小選挙区を自民党に入れ、比例代表を共産党に入れることにも何の抵抗も感じません。
そう聞くと、人には「一貫性がないね」と言われますが、なぁに、そう思う人間の思慮が浅いだけの話。
私にはきちんと、「戦略」という揺るぎない一貫性があるのです。
そもそも「政権交代可能な二大政党制」が大失敗であることは、欧米諸国を見れば明らか。
互いに政策を競い合うどころか、単純な「味方vs敵」の構図に当てはめ、相手を罵倒するネガティブキャンペーンに終始するばかり。社会の分断は深まるいっぽう。
民主主義は多様な意見があってこそ成り立つものです。
二元的な「黒か?白か?」では、多様な意見の生まれようがありません。
意見が多極化するからこそ、そこに議論が生まれ、ようやく人は頭を使って考えるようになるのです。
意見がばらばらでは、まとまるものもまとまらない?
いや、それこそが民主主義。
その結果、互いに譲歩し合って、寛容な社会が生まれる。
政治は妥協
とはよく言ったものです。
果たして、今の世界はどうでしょう?
妥協は敗北
という誤った概念にとらわれすぎではありませんか?
譲歩する勝利
もあるのですよ。
僕が理想とする社会は
誰もがちょっとずつ我慢する社会
です。
一部の層が95を手に入れて、ほかの人には残り5という社会は、どう考えても醜く歪んでいます。
全員が50ずつとは言いませんが、せめて65:35、60:40くらいに格差を縮めていかなければ、早晩、文明は滅亡してしまうでしょう。
だから、「独り勝ち」に対して、ものすごく抵抗するのです。
財源がないなら、持っている人間から取ればいい。
社会保障費を削ったりする必要はまったくありません。
簡単な話です。
だいたい、富裕層がため込んでいる資産は、決して本人の才能や努力のたまものではありません。
いつも言うように、成功と失敗を分ける最大の要因は
運
これに尽きます。
それは、文系~理系まで広範な分野を学んできた私がたどりついた「究極の真理」です。
おごれる者は久しからず
友人と食事に行くとき、あなたにたまたまギャンブルで得た小遣いがあるなら、あなたが少し余計に支払うべきです。
そうすれば、次にあなたがギャンブルに負けたとき、きっと友人がお返ししてくれるはず。
同様に、巨万の富を得たなら、その幸運を自分の属する集団(人類)に還元しなさい。
リゾート地の高級別荘やプライベートジェット機なんか買っている場合ではありません。まず困っている人を助けなさい。
というわけで、少しでも多様な意見のある社会に近づく第一歩として、一党独裁や二大政党制を脱却し、少なくとも諸葛亮(孔明)が唱えた
天下三分
になるように、今回の衆院選も投票してきた、こながの独白でした。