元記事を読んでいないので、確かなことは言えませんが。

 

何かを言っているようで、実はまったく何も言っていない記事のようです。

 

 

いきなりパーセントだけ出されても、分母も分子も不明なので、評価のしようがありません。

 

コロナワクチンのブースター接種を受けると入院のリスクを減らせるということですが、対照されているのは、1~2回の接種を済ませている人なのか、あるいは完全な非接種者なのか。

 

仮に3回以上接種者が1~2回接種者より重症者が少なくても、非接種者よりも多かったら、結論はまるで違うものになるでしょう。

また、人数の比率で計算しているなら、3回以上接種者より1~2回接種者のほうが圧倒的に人数が多いのですから、入院患者に占める割合も当然多くなるはず。

最悪の場合、ブースター接種をした人は入院治療する間もなく急死しているおそれもあり、そうなれば、入院率が減るのは当たり前です。

 

だから、パーセントで示されたときは、母数が大事なのですよ。

 

とにかく、例によって「都合の悪い数字は隠す」が行われているようなので、客観的に見て「信頼に値しない」が正しい評価だと思います。

 

 

こんないいかげんな記事でも、コメントを読むと、

 

ブルームバーグの科学的なデータ

 

と受け止めている人がいるようなので驚きです。

 

「科学的」の意味を、一度よーく考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

「進化論」はしばしば、

 

最も有名で最も誤解されている理論

 

と評されます。

その理由は、

 

自然淘汰の本質が我々の直感に反する

 

からと言えるでしょう。

 

ヒトは論理的・合理的に事象を捉えようとしますが、淘汰や進化は、ある意味「行き当たりばったり」の運任せ。

「なぜこうなったか」の理屈は、どれも後づけになってしまいます。

 

光の届かない深海に棲む生物は、

 

・わずかな光を増幅するために、「タペタム」のような特殊器官を発達させたもの

 

・光をまったく当てにせず視覚を捨て、それ以外の感覚器官を増幅させたもの

 

と、正反対の2つに大別できます。

まったくの偶然で生じた遺伝子の変異が異なる結果へとつながっていくわけですが、この「ギャンブル性」が、我々の心情的に納得できない。

まるで正解が2つ(しかも真逆の)ある試験問題のように、一貫性が欠如しているのです。

 

さらにいえば、本来なら生存に不利で致命的であった変異が、その後の別の変異によって見事に補完され、想像もしていない新たな特質を生み出すことさえあります。

神様ですら予見することは不可能でしょう。

 

 

そもそも「進化・退化」という訳語がまずかった。

そこには、「進化したもののほうが優れている」という価値判断が伴います。裏返せば、「退化したものは劣っている」と思われてしまうわけです。

でも、「進化」も「退化」も、実際はただの「変化」に過ぎず、水平面での方向性こそあれ、上下(優劣)の方向性はありません。「退化」が「進化」である例も、よくあります。

 

生存競争に敗れ、餌の少ない深海へと追いやられたシーラカンスのような魚は、環境変化が少ない深海にいたからこそ、恐竜を絶滅させた隕石衝突を生き延び、種として現存しています。

いわば「負け組」であったことが幸いして、究極の「勝ち組」へとなったわけです。そして、「進化をしなかった」ことにより、今では人間に保護されるようになりました。

 

 

けっきょくは

 

何でもあり

 

が進化の本質。無数の「試作品」の中で、たまたま環境にマッチングしたものだけが生き残り、あとは淘汰されていくということです。

 

とにかく「奥が深い」のが生命進化。汲めども尽きぬ深井戸のようなもの。

逆説的ですが、進化「論」を理解しようと思ったら、「論理性」を捨てる覚悟が必要です。

 

しょせん、すべては運

 

と割り切らなければいけません。

 

我々は

 

強い意志(と勤勉性)を持てば未来を変えられる

 

と教え込まれていますが、現実はそうではありません。

未来がどうなるかは、意志や行動とはいっさい関係なく、ただただ「運次第」なのです。

まさしく「我々の直感に反する現実」ですね。

 

 

さて。

「熊を銃殺するのはかわいそう」という声があります。

「罠で捕まえるほうが人道的(熊道的?)」であると。

 

その結果、どういうことが起こるでしょうか。

 

簡単に罠にかかる「警戒心の薄い熊」が淘汰され、罠を回避する「狡猾な熊」が生き残ります。

罠や檻が「淘汰圧」となって、「熊の進化(変化)」を加速するのです。

結果的に、人間が犬や猫などの愛玩動物を「品種改良」するのと同様、熊を人間にとって「より脅威的存在」へと育てていくようなものです。

 

 

私が見る限り、現在の「熊問題」をそうした長期的視点で考える「専門家」はいないようです。

 

 

 

疫学調査を行うなら、サンプル数は多いほうがよい。

 

どれほどランダムに被験者をグループ分けしても偏りが生じるのは避けられないため、「個体差を平準化」するにはサンプル数を増やすしかない。それによって「違い」を相殺するわけです。

 

例えば、「男7女3」の計10人の集団をランダムに二等分すると、「男性のみ5人」の組が出来てしまったり、うまく分けても「男3女2」と「男4女1」の組み合わせになってしまいます。母数が10人ぽっちでは、その「女性1人の差」が強調されてしまい、パーセンテージを大きく左右するおそれがあります。

 

 

最近、主に米国発の研究で

 

コロナワクチンががんに効く

 

という論文記事を見かけるようになりました。

 

果たして本当でしょうか?

 

この種の記事は、決まって対象者の総数が数十人~数百人程度で、調査期間も限定的です。といっても、コロナワクチン自体が登場してから、ほんの数年なので、致し方ありませんが。

 

科学的思考に疎い人々は、簡単にその手の「朗報」に飛びつくことでしょう(ワクチンを接種してしまった自己判断の正当性を得たいという願望も後押しして)。

 

でも、待って。

 

まず、数百人程度の研究では規模が小さ過ぎます。個人差を打ち消すためには、もっと多くのサンプルが必要です。

しかも、ほとんどの研究が「特定のがん」だけを対象に行われていて、作為的な臭いがプンプンします。

 

要するに、

 

さも効果があるように見える「都合のいい部分」だけを切り取っている可能性が高い

 

ということです。

 

 

私は専門の研究者ではありませんが、実は膨大な数のサンプルを手にしています(なおかつ、製薬会社から一円たりとも頂いていない)。

その数なんと1億人! たった数百人どころの話ではありません。

 

それは「日本人全体」です。

 

我が国では、1億3000万人の8割、およそ1億人がコロナワクチンを接種しました。研究調査を行うには十分過ぎる数でしょう。

 

もし本当に「コロナワクチンにがんを抑制する効果がある」なら、接種が開始されて以降、日本におけるがんの発症率・死亡率が急激な減少傾向を示していなければいけません

 

現実はどうか。

減少するどころか増加傾向にあり、しかも希少がんと呼ばれる、まれな病態のがんが増えているとのこと。

 

この事実一つだけで、

 

コロナワクチンががんに効く

 

というのが、与太話以外の何物でもないことは明々白々。

 

「ネイチャー」に載ろうが「サイエンス」に載ろうが、耳を貸す必要はありません。

だって、「都合よく切り取られたデータ」が、現実に観測できる世界をまるで反映していないのですから。

 

 

 

自分が現在いる場所を正確に知るためには、目に入る情報だけに頼ってはだめ。

常に全体を見回す「俯瞰的視点」が求められるのです。