ジョージ・オーウェルの予言的SF小説『1984年』を再読。

遠い昔、10代の頃に読み、記憶もすっかり薄れていたので、ハヤカワ文庫の<新訳版>を中古購入(ついでに、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』も購入・再読)。

 

さすがに読書も優に1万冊を超えると、全部はとても覚えていません。大まかなストーリーや断片的なイメージは残っていても、どの作品だったか思い出せなかったり、別の小説とごっちゃになっていたり。

 

世の中には、私以上の冊数を読んでおられる方もおられますが、私の場合、読書の8割は文字のぎっしり詰まった分厚い翻訳小説なので、ページ数・文字数に換算したら、とんでもない量になるでしょう(と、ちょっとマウンティング)。

 

『1984年』は、全体主義の恐怖を描いたディストピア小説の代表作。あまりに有名ですし、あちこちでさまざまな考察がなされているので、あえて内容には触れません。

ただ、作者がわざわざ別章を設けて解説している<ニュースピーク>なるものについて、簡単に述べておきます。

 

作中に登場する<党>は、国民を管理するために、「言葉を削る」ことに力を入れています。

例えば、「good(よい)」という言葉があれば、反対の意味の「bad(悪い)」は不要。否定形の「no good(よくない)」で意味は通じます。強調したいときは「very good(とてもよい)」、もっと強調したければ「very very good(すごくよい)」。

こうすれば、文法的にも簡単になりますし、言葉をどんどん減らしていくことができます。

この新しい言語体系が(オーウェルの考案した)<ニュースピーク>です。

 

「言葉=概念」ですから、語彙を減らすことは思考を狭めることになります。

難しい言葉がなくなれば、難しいことを考えることもできなくなるということ。こうして<党>は、国民の反体制的な思考力を奪っていくわけです。

 

作中にはほかにも、「公的な記録を書き換えてしまえばそれが事実になる」、たとえ人々の記憶や思い出と食い違っても、公的記録のほうが優先されて、単なる記憶違いとされてしまうなど、ぞっとするようなアイデアが盛り込まれています。

そんな体制に異を唱えた人は、ある日突然姿を消し、記録も全て抹消され、初めからこの世に存在しなかったものとされる。

 

<ニュ-スピーク>一つをとっても、未来を見通すオーウェルの慧眼に驚かされます。

我々は怒りを覚えたとき、「気に障る」「かちんと来る」「腹が立つ」「憤慨する」から「激怒する」「怒り心頭に発する」「怒髪天を衝く」まで、怒りの度合いに応じて、いろいろな言い回しで表現しますが、現代日本版<ニュースピーク>を用いれば、すべてが

 

「ムカつく」「チョームカつく」「めっちゃムカつく」

 

だけで済んでしまうのです。なんとコスパ、タイパのいいことでしょう!

「カワイイ」「ヤバイ」「エグイ」程度の語彙しか持たない現代人を見て、オーウェルは深くうなずくに違いありませんね。

 

 

話はがらっと変わって、皆さんは「楽園実験」をご存じですか。

動物学者のジョン・カルフーンが、「もし生物が楽園のような環境で暮らしたら、際限なく子孫を増やしていけるのか?」を調べた実験です。またの名を「ユニバース25」

YouTubeで検索すれば、詳細な解説を見られますので、ぜひ探してみてください。

 

この実験の話は以前から知っていたのですが、いくぶん都市伝説的なニオイもあったため、きちんと書籍になっているものはないか探していました。でも、電子書籍版以外、見つけることができませんでした。

 

そしたら奥さん! 本屋で見かけて衝動買いした『ウォード博士の脅威の「動物行動学入門」 動物のひみつ』という本の中に、この「楽園実験」のエピソードが(短いけれど)載っていたのです!!

 

これは私だけなのか、本好きの人なら誰でも経験あることなのかわかりませんが、知りたかった情報がまったく別のルートから期せずして手に入ることが、たまにあるのです。

絶版で諦めていた本を、たまたま立ち寄った古本フェアで発見したりとか。まさに、カール・ユング言うところの「シンクロニシティ」体験ですね。

 

ともかく、「楽園実験」「ユニバース25」は、日本のみならず世界の未来を暗示している気がしてなりません。

もちろんそれは、決して「明るい未来」ではありません。

 

ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い ...

本屋さんによく行かれる方は、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。良書です。

 

記事で取り上げた書籍に興味を持たれた方のために、↓ピックアップしておきました。

もちろん、お近くの書店でお求めいただいて構いません。

①ルイスとウォルターのアルバレス親子が「恐竜は隕石衝突で絶滅した」という論文を発表したとき、世界中の学者が嘲笑しました。

 

②アルフレッド・ウェゲナーが「大陸移動説」を唱えたとき、やはり世界中の学者がまともに取り合おうとしませんでした。

 

③マリリン・ボス・サバントが「モンティホール問題」に関する読者の相談に回答したとき、全米の統計学者が猛反論し、否定しました。

 

④アルバート・アインシュタインが「相対性理論」を発表したとき、世界中の学者は内容がさっぱり理解できませんでした(幸い当時の英国王立協会会員だったアーサー・エディントンの応援があったおかげで、「相対性理論」は葬り去られずに済みました)。

 

⑤「天動説」と「地動説」については、もはや言わずもがな。

 

 

「恐竜絶滅」「大陸移動説」「モンティ・ホール問題」「相対性理論」「地動説」も、当時の「学会の定説」に反する「異説」であり、今でいうところの「デマ」「陰謀論」でした。

 

しかし、現在では、どれも正しかったことが証明されています。逆に世界中が信じていた「定説」のほうが、見事なまでの誤りだったわけです。

 

この世に「不変の真実」などというものは存在せず、常に新しい発見によって覆される可能性を秘めています。

 

現在の「定説」に背くから「デマ」と断じて、自由な議論を封じてしまうことがどれほど危険か、おわかりいただけると思います。

「考える葦」である我々は、あらゆることに常に疑問を持ち続けなければいけません。

 

 

 

 

 

生命が誕生して、およそ40億年---

 

これまで地球上には無数の種が登場し、そして退場していきました。

 

種が滅び去る原因として共通するのは、いずれも

 

「外的要因」

 

であることです。

 

隕石衝突による恐竜の絶滅に代表される「環境の激変」や、ニホンオオカミのように天敵(人間)に根絶されてしまった種もあります。

彼ら自身には決して非はなく、状況やルールが突然大きく変わってしまったせいで、消え去っていかざるを得なかったのです。

 

 

人類は、史上初めて「内的要因」により絶滅する種となるかもしれません。

その「内的要因」とは、

 

・強欲

 

・思い上がり

 

・愚かさ

 

です。

 

とどまることを知らない「欲」に駆られた連中が、まだほんの初歩にすぎない科学技術の「思い上がり」で遺伝子をいじくり回し、「愚か」な大衆がろくに調べもせず、一連のインチキにころっとだまされたのです。

 

つまりは、金塊欲しさに「金の卵を産むガチョウ」の腹を引き裂いてしまい、けっきょくはすべてがパーになったというしだい。

 

 

我々は今、まさに崖っぷちに立たされています。

 

欲に目がくらんだ首謀者たちは、責任逃れのために「世界戦争」を企んでいます(特にイギリスとフランスが)。

悪手を重ねて勝ち目が消えた棋士が、やけを起こして将棋盤をひっくり返そうとしているのと同じ。

 

しかし、やつら自身も長く生き延びることはできません。

世界戦争になれば、間違いなく大量の核兵器が使用されるからです。

シェルターにこもって当座は助かっても、数日後、数週間後、数か月後には、汚染された空気を吸い、汚染された食料を食べなければなりません。

苦しみ、のたうち回って絶命するくらいなら、直ちに罪を白状して、刑務所に入ったほうがよっぽど賢明でしょうに。

 

 

人類の滅亡を防ぐ唯一の道は、「大衆が賢くなること」しかないのですが、現状の日本や世界を見ていると、絶望的なまでに期待薄。

 

もし滅びることが定められた運命なら、甘んじてそれを受け入れるしかありません。

むしろ、「人類は消え去ったほうがよいのでは?」とさえ思うこともあります。

 

 

ともあれ、大河の流れを無名な一人の人間の力で変えることは不可能なので、私は「今日やるべきこと」をやるだけです。

 

マルティン・ルターいわく

「たとえ明日世界が滅ぼうとも、私は今日リンゴの樹を植える」

の心境です。