八潮市の下水道陥没事故でお亡くなりになられた運転手様のご冥福を謹んでお祈りいたします。

 

この事故(事件?)に関し、消防局は「過酷だった」というコメントを出したのみで、今後いっさい事故対応の検証を行わないそうです。

 

ほぼ確実に、県知事及び県庁の意向です。

 

検証しちゃったら、「何がまずかったのか?」が明らかになり、責任問題になります。誰かが責任を負わなくてはならない。

その結果、県幹部や知事のクビが飛びます。

なので、自己保身・責任逃れのために、意地でも検証をやるわけにはいかない、と。

明らかに人災なのに、「誰のせいでもない」でうやむやにしようと必死です。

 

卑怯・無様を絵に描いたような態度。

失敗から何も学ぶ気がない。

向上心のかけらも見られない県の姿勢ですね。

逆に言えば、「あっぱれ公務員のかがみ」というところでしょう(もちろん皮肉ね)。

 

これもまた現代社会最大の病である「他責」の表れです。

お給料はいっぱい欲しいけど、重い責任はしょいたくない。

手柄は自分のもの、失敗は他人のせい。

 

知事さんも幹部職員も進学塾通いに夢中で、

 

 そういう人間にだけはなるな

 

と、親御さん戒められなかったのでしょうね。

 

これまで何度も書いてきたように、

 

 ノブレス・オブリージ(貴族の責任)

 

を深く「心」に刻んでほしい(どうせ刻み込むほどのオツムないでしょうから)。

 

「社会的地位」や「高額な報酬」には、それ相応の責任が伴います。

お金をいっぱい稼ぎたければ、事が起こった際には人より大きな責任を背負わなければならない。

「地位・報酬」と「責任」は、まさに正比例の関係にあるのです。

 

その自覚がない限り、いざというときには腹を切るくらいの覚悟がない限り、決して高額な報酬を受け取ってはなりません。

知事と幹部職員は、直ちに給料・手当を全額返還し、潔く職を辞すべきです。その地位にふさわしい能力・責任感を著しく欠いていることが如実になったのですから。

 

中世の貴族は、確かに自分では農作業などせず、領民から上がってくる「税」で遊んで暮らしていましたが、それは、もし他国と戦が始まったときには命を賭して領民を守るというギブ・アンド・テイクがあったからこそ成立していた「契約関係」です。

平たく言えば、「用心棒と用心棒代」のようなもの。

ところが、現在の政治家・官僚・高額所得者たちは、用心棒代だけ巻き上げておきながら、トラブルが発生すれば、身を挺して庶民を守るどころか、逆にいけにえに捧げようとしています。「契約不履行」も甚だしい。

 

もう一度繰り返します。

 

 ノブレス・オブリージ

 

の概念を理解できないなら(そもそも大半の公務員は言葉自体を知らない)、即刻辞めてください。

 

 

 

 

がらっと変わって、マスクの話に移ります。

 

「マスクの有用性は数々の研究で明らか」

 

というのが、「マスク信者」のこきまくる100%の大ウソであることは、すでに述べました。

 

もう少し詳しく解説すると、

 

そもそもマスクの有効性を調べる科学的研究を設計すること自体が超絶困難で、はっきり言えば不可能だからです。

 

「マスク信者」も渋々認めるように、仮にマスクの効果・効能があったとしても、それはとてもわずかなものです。

こうしたわずかな効果に有意差を見いだすためは、莫大な数のサンプルが必要になります。少数のサンプルでは、ほんの数例の偶然によって、結果が大きく異なってしまうからです(分母が小さければ分子のわずかな差が過大評価される)。

 

恐らく数万人~数十万人単位で「着用群」と「非着用群」を比較検討しなければならないでしょう。

「マスク信者」が決まって根拠に持ち出す「バングラデシュ研究」のように、たかだか数百人規模ではお話になりません(「バングラデシュ研究はほかにも技術的問題が山積み)。

しかも、短期間ではなく相当長期にわたっての追跡調査しなければなりませんが、これは物理的に不可能です。

 

①そんなに膨大な被験者を集められない

②長期の調査中に当該感染症が自然収束(終息)してしまう

 

テクニカルな問題はまだまだあって、

 

③マスク以外の交絡因子(変数)を排除できない

 

被験者数万人の「マスク着用以外の条件」をそろえることなど到底できません。

進んでマスクをするような人間は、「感染恐怖」から、人が大勢集まるところを避けたり、頻回に手指消毒をするかもしれません。反対に、「マスク万能」と信じ込み、わざわざ人混みに出かけたり、まるで手洗いをしなくなる人もいるでしょう。

こうなると、仮にその人がウィルスに感染したとしても、「何が原因で感染したか?」がまったくわからなくなります。

感染しなかった人も、マスクのおかげで守られたのか、まったく別の要因が感染を防いだのか、いっさいわからないのです(こうした要因を完全無視して「マスク着用・非着用」だけに収れんさせようとするところが、「マスク信者」の汚いやり口)。

数万人に調査員がつきっきりで、そうした一人一人の日常の行動のすべてを記録していくことなんか、到底できるはずありません。

 

それぞれの被験者が暮らす環境も考慮する必要があります。清潔なのか不潔なのか、日当たりがいいのか悪いのか、戸建てなのか集合住宅なのか、集合住宅ならエレベーター(密閉空間)があるのか階段しかないのか、エアコンを使用しているのかいないのか、などなど……

こんなに交絡因子が多ければ、2つの群を「マスクの着用・非着用」だけで比較することは不可能です。

 

④これほどメディアがこぞって「マスクに効果がある」と宣伝すると、そのプラセボ効果を無視できない。

 

心理状態やストレスが免疫系に影響を与えることがわかっているので、「マスク非着用群」に割り振られた人たちは、マスクをしていない不安感から免疫が低下し、感染・発症しやすくなるかもしれません。反対に、マスクの効果に疑いを持っている人が「マスク着用群」に割り当てられると、それがストレスになり免疫を下げてしまうかもしれません(このような「個体差」を相殺するためにも、やはり数万人~数十万人規模での観察が必要になります)。

そもそも、もしマスクに少しでも予防効果があった場合、マスク非着用に割り振られた人々に対する「倫理的問題(あえて危険にさらした)」が生じる可能性があります。

 

ほかにもいろいろなことが考えられますが、とにかく

 

マスクの効果・効能を疫学的に調査することは事実上不可能です。

 

不可能にもかかわらず、「科学的な根拠がある」と言い切るということは、それ自体が「100%ウソである」ことの明白な証明になります。

 

この問題に対する「疫学的に正しい答え」は、かのコクラン・レビューにも述べられたように、

 

現時点ではマスクの効果は見いだせない。さらなる大規模な調査が必要。

 

とならなければなりません。

 

ただし、「疫学的に不可能」でも、「物理学的」にアプローチすることはできます。

それは、「物理法則」と「定量化」です。

 

一滴の飛沫に含まれるウィルスの中に、どのくらいの割合で感染性粒子が存在するか。

感染性粒子をどのくらい吸引すると、ウィルスに感染するか。

不織布マスクはどの程度の飛沫を防ぐか。頬や顎の隙間から漏れる量はどのくらいか。

いったんマスクが止めたウィルスは、時間経過とどもにどう変化するか。

マスクを「正しく(隙間なく)」着けたとき、呼吸の際にマスクの穴にかかる圧力が増大するが、その強い風圧に伴って勢いよく外に「発射」されたり、肺の奥まで吸い込まれる量はどのくらいか。

 

これらを「物理法則」に従って分析していくと、

 

集団でマスクを着用すると、かえって感染が促進される

 

という結果が導き出せそうです。

 

とにもかくにも、我が国だけに限らず、

 

マスク着用が義務づけられても感染をまるで防げなかった(勢いをわずかに鈍らせることすらできなかった)

 

という全世界で観察された「事実」を受け入れる必要があるのです。

調査研究は、「マスクは有用」という先入観・思い込みでなく、観察された「事実」からスタートしなければいけません。

 

 

 

 

 

 

自分の自由を守りたければ他者の自由を守れ

 

マスクを着けたいなら、マスクを着けたくない人の意思を尊重しろ

 

繰り返し、そう発信してきました。

 

 

珍コロ騒動が一段落したとたん、世界中で凶悪犯罪(強盗や無差別襲撃など)が増加しているようです。

 

ロックダウンや緊急事態宣言で社会活動を止めたことによる経済苦や、各国政府に対する不信感(自分の身は自分で守る!)などの理由が考えられますが、

 

マスク着用による匿名性

 

も、明らかに治安悪化の要因です。

それについては、当ブログで再三指摘してきました。

 

悪意を持った人間にとって、マスクは素性を隠す絶好のアイテムになると。

 

マスク強制の反動で今後、公共の場所での「マスク着用禁止」は世界的潮流となるかもしれません。

 

 

ところで、例によって(以下記事引用)

 

マスクは万能ではないものの、さまざな科学的データにより、呼吸器感染症の感染および蔓延を抑制する効果が証明されている。マスク着用の目的は、会話や咳、くしゃみなどで吐き出される感染性粒子をブロックすることだ。

 

との誤った記述があります。

 

はい、とんでもない大嘘です。

 

「マスクの有用性」を示す科学的データなど、この世のどこにも存在しません。

こういう記事を書く連中は、(WHOを筆頭に)「科学的データがある」と繰り返すだけで、絶対のその「データ」を提示しません。

証拠もないのに「俺はやっていない」という犯罪者と同じです。

 

まあ、確かに「それらしいもの」はありますが、どれも研究の設計自体に問題のあるものばかり。

多少なりとも「科学の心得」のある人間なら、この調査・実験はおかしいとたちまち気づくはず。

反対に、「マスクの有用性」を否定する研究も山のようにあります。

 

こうした両論併記を避けている時点で、立派に「偏向記事」「誘導(誤導)記事」なのです。

 

間違いなく言えることは、

 

人類の長い歴史の中で、マスクが感染症の流行を防いだことは、ただの一度もなかった

 

という動かしがたい事実です。

天然痘もペストもコレラもチフスもインフルエンザも、マスクなんかではまったく止めることができませんでした。

今回の珍コロもしかり(日本のていたらくを見れば明らか)。

 

なのに、この勘違いがいつまでも繰り返されるのは、

 

他人の唾は汚い

 

という「直感」「先入観」「思い込み」を妄信する「マスク教」が、人々の意識に深く浸透しているからです。

この新興宗教は、動物的本能と固く結びついているため、極めて強力で、後づけ解釈で生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教なんかよりもはるかに手ごわい。

 

 

でも、賢明な人間は決して「直感」に頼らず、知識を総動員して「熟考」するものですよ。

 

 

そもそも「マスクの(感染症予防に対する)有効性」など、科学的に認められていないどころか、むしろ否定的であるほうが有力なのに、いまだにマスク着用を「科学的」と考える愚劣極まる医療関係者が大勢いることに驚きを禁じ得ません。

 

彼らは上から目線で「マスクは有効!」と言い張るばかりで、何のデータもエビデンスも提示しません。

できるはずないのです。

だって、そんなものは地球上のどこにも存在しないから。

しょせんは、「飛び散る唾を止めれば感染が防げる」という「直感」に基づく「マスク信仰」にすぎないからです。

 

では、その唾の中にどれほどのウィルスが存在し、どれほどの唾液を浴びれば感染する危険性が高まるのか。

そうした「定量的データ」もないのに、何が「科学的」か。ちゃんちゃらおかしい。

自分たちがどれほど「非科学的」か、まるで気づいていないのです。

それでも自分を「科学的」と信じ込んでいるところが、サイエントロジーなどの「科学を装ったニューエイジのカルト教団」そっくり。

 

「直感」は人類が進化の過程で身につけた生存戦略の一つですが、誤りやデメリットも多いため、「科学的検証」という手法が生まれたのです。

 

大事なのは、「直感」に頼らず、数字で事の真偽を確かめること。

「マスク信者」には、この視点が致命的に欠落しています。

それもこれも、難関の医師国家試験を通過したことで、「自分は優秀」という強いうぬぼれ(幻想?)を抱いているからです。

 

現在のほぼすべての試験制度は、「人より記憶力が少しばかり優れている」点だけが重視され、深い洞察力は問われません。

この「合格した」といううぬぼれが、「誤った思想の上から目線の押し付け」を生み、以前にも書いたように、「賢い俺に従わない人間はバカだ」という「他責志向」へと発展していきます。

 

俺は常に正しい。逆らう人間は、みんな間違っている。

 

だから、決しておのれの過ちを認めず、言い訳に終始し、それでも詰められると、最後は激昂して「名誉毀損」で訴えようとするのです。

矛盾や過ちを指摘されるのは、思慮を深めるチャンスでもあるのですが、何しろ「自分に間違いはない」と固く信じているため、そうした指摘は、自分のプライドを傷つける「名誉毀損」と受け止めてしまうわけですね。

 

大阪の吉村知事や橋下弁護士は、まさにその典型のように見えます(まあ、法律家はほぼ100%「他責志向」の持ち主ですが)。

 

ところで、政府の度重なる失策、大阪万博の惨状、某人気俳優さん同士の不倫騒動など、自分たちの利害に直結する問題では平然と「報道しない自由」を行使しながら、「テレビ・新聞の報道は正しい」と繰り返すオールドメディアには、もはや呆れを通り越して、何の感情も湧きません。

 

 

現在の世界は完全に行き詰まり状態です。

誰にもどうすることもできない。

それこそ「チクシュルーブ級」の小惑星でも落ちて、いったん全部破壊され、基礎からこつこつと再構築するしかないのでしょうか。

はぁ……………………