おはようございます。
コロコロです。
痛みは心に負荷がかかってるからです。
今日も心に目をむけてください。
そして認めて自分をゆるしてあげてください。
ビジョンボードを見るたびに痛みの無い体を取り戻した
自分を想像し行動してください。
いつも、心に目をむけていただきありがとうございます。
※ビジョンボードとはこちら
昨日は、友人の出産祝いを買いにお気に入りの
木のおもちゃのお店にいきました。
たくさんの絵本やおもちゃがたくさんあって
心がウキウキしました。
木のおもちゃは小さい頃~大きくなっても楽しめるから
その時のお値段は少し高いですが
今は長女と次女と2人で遊んでいます。
指先の運動になるし、転がっていく玉を
じっとみるので目の運動にもなり脳に刺激を与えてくれます。
じっとみるので目の運動にもなり脳に刺激を与えてくれます。
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今日は、mamaの日です。
この日になるとふっと思い出す事があります。
6才ぐらいの時に父が母の日にみんなでケーキを作ろうと
弟と私と父でホールケーキを作った思い出があります。
すごく、楽しくてうれしかったんだと思います。
母に対しての父の優しい気持ちが私にとっては
とても自慢でした。大好きでした。
魚釣りや色んな所に遊びに連れていってくれました。
子供の頃の記憶ってすごいです。
何十年前の話しなのに覚えてる記憶に驚きです。
私が小学校3年の時、急に父はリウマチと診断され
約1年入院することになりました。
それから、会社もやめさせられ
私達家族は生活が変わり
父は人が変わったように
『情けない情けない、痛い痛い』『お前あれ取ってくれ』
という言葉しか言わなくなり、否定的な事ばかり言って
ました。
ました。
『もう、死にたい』と言う言葉も聞いた事があります。
私は『それは、親の口から聞きたくなかった』と泣いて
訴えました。
痛さのせいかお酒ばかり飲み、暴言をはく父が嫌で
病気を恨みました。
母は『おとうさんの車をとりあげたから病気になった
ストレスのせいやわ』とも言ってました。
父は薬を毎日大量に飲み、ステロイドはこれで~と
なぜか自慢気に薬の自慢をしていました。
約25年・・父はそのままです。
私が治す方法みつけたよと伝えても、
『もう色々した、もうわしはいい』と聞く耳を持ってくれません。
自分の娘が目の前で克服してるのに、
希望も失っています。
その言葉を聞き、父もはじめは必死で本当に色々やって、
そして上手くいかなくて・・を繰り返し
こうなってしまったんだろなと感じました。
こうなってしまったんだろなと感じました。
自分がリウマチと診断された瞬間、本当に人生のどん底に
落とされました。今まで、父をみてきたからです。
薬を飲みたくありませんでした。
薬を飲まなければいけない状況になるまで必死で治さなければ
と思いました。
私がなぜ、ここまで必死になったのだろう?と考えました
父の姿をみてきたからだと思います
藁にもすがる思いで必死に行動したからだと思います。
療養中思った事は、リウマチは膠原病と言われ病気になった原因や
治療方法もまだ医学的に解明されていない事やストレスが原因
という事を多く耳にしていたので、脳や心の方でも治せる
可能性はあると希望が持てました。
薬を飲んでいる方もたくさんいらっしゃって、不安な思いを
させてしまったらすみません。
どの治療方にも役割があると思っています。
どの治療方にも役割があると思っています。
あくまでも、私の経験と考えを伝えたかったのでこのような
記事になりました。
ただ、お薬を飲みながらでも今私が紹介している方法は実践
できると思います。
少しでも、痛みから解放される日を願っています。
父の病気で、病気を憎んだり父を憎んだり運命を憎んだり
しましたが、父が病気になってしまったからこそ
今の私がいるのだと思えるようになりました。
今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

