印象の話から始まるが、
現代の世界では
マイナーキー/マイナーコードの
音楽が流行している一方で
アニメ音楽/ゲーム音楽も流行している。
アニメ音楽やゲーム音楽は
一般的な印象として
高揚感や躍動感を表現するために
メジャーキー/メジャーコードの
音楽が多く使用されているが、
実際にコード進行や音階を
調べてみると反対のものも多くある。
社会背景を照らし合わせてみると、
流行性の感染症によるパンデミックや
戦争の開戦、パンデミックの影響による
生活様式の指導が多く影響していると考えられる。
ソーシャルディスタンス、
自宅に帰ってきた時の習慣の励行、
そういった “線路” から外れないように
生活をしようという
失礼な言い方をすれば “真面目な生き方”
をしようという人々を受けて
「飲んで食べて騒ごう」や
「乾杯して騒ごう」などという
“ゴキゲン” な音楽は
「感染を広げる」としてはばかられたり、
することが影響している。
しかしながら一方でそういった
「皆で感染を広げないように落ち着いて生活をしよう。」
という社会背景に対して
「「落ち着いて生活をする」?」
「「感染を広げないように」?」
という疑問を起点に世界を変えようと
しているアーティストは今
どういう風に世界を変えたいか
試行錯誤をしているみたいだ。
重ねて話すと、
媒体の影響も大きいのかもしれない。
特にラジオは乗り物を運転している最中に
聴く人が多いのでラジオの観点で
「アグレッシブな」
「アップテンポな」
「ハイスピードな」
音楽は「事故の要因になる」からと
オンエアがされていないことや
そういった曲がライブラリとして
蓄積されているから聴かれないこともあるだろう。
では最近様々な媒体で聞かれる
「チルアウト」「メロウ」「ブルージー」とは何だろうか?
コロナ渦で様々な指導や励行で
「疲れてしまう」というリスナーを
反映しているのだろうか?
他にはコロナ渦で接触が制限されて
出会いが少なくなったために
「出会い」を題材にした楽曲が増えたり
している印象もある。
映画館やスポーツ会場のような場所で
見知らぬ者同士が集まることも
制限されていることも理由だろう。
アニメ音楽では世界観が重視されるが、
ゲーム音楽では拍数の規定などが
重視される場合もある。
テレビでなら毎日死亡者・感染者が
報告されていて死亡保険や葬祭業の
会社がスポンサーになっているため、
「別れ」を題材にした
曲が優先されるのもあるだろう。
その「別れ」も「ありがとう」という
言葉に言い換えられていたりする。
ここまで来ると「退屈」→「打破」が
題材になる世界もあるのではないだろうか。
「退屈」が「こう着」に変えられて、
「こう着状態を打破する」という
音楽が現れる可能性もあるかもしれない。
映画であれば
「バーフバリ」や「RRR」のようなインド映画、
インド映画からの「日常を忘れること」、
「快刀乱麻」や「迷路からの脱出」を
キーワードにしてみたり
することも提案にできるかもしれない。
「ヒーローアクション」が
「独善的である~」とそしりを
受けることもあるかもしれないけれど。
もっともインド映画を作っている
インドが階級社会で治安が悪い
ということに言及されるかもしれないが。
「明るい世界では暗い作風が流行して、
暗い世界では明るい作風が流行している。」と
説明しても明るいことと暗いことの
中身の設定が決まっていない人も多い。
一般的な事象や社会通念に立脚していて、
「生命の危険と隣り合わせ」だから「暗い」のか、
「近所付き合いが過密で娯楽が無い」から
「暗い」のか、ということが無い場合がある。
その「娯楽」を「生命の危険がある世界」と
規定する場合もあるが。
「退屈」を「暗い」と規定して、
「自分を含めた存在が
みな規則正しく生活しているから」暗いと考える場合もある。
こう着状態を英語で
「Traffic Jam」と表現してそれを
題材にしたりというのもある。
話を巻き戻してアニメ音楽/ゲーム音楽に
ついて話すとアニメ音楽とゲーム音楽の
組み合わせがメジャーキーとメジャーコードの
組み合わせとつながるならば
メジャーキーやメジャーコードの音楽を
「不格好だ。」と言うリスナーは
まだアニメやゲームというものが
一方通行の世界にある年代、
昔ならティーンエイジャーの年代だから
かもしれない。
今だと中学二年生や高校二年生の
ような受験を控えている人達と
答えるリスナーも多いけれど。