昨日の小学校の授業参観の記事で、子供たちの「個」があまり感じられなかったと書きました。
でも、その中でも少し目につく子供は何人かいて、それはどちらかと言うと優等生ではない方の子。
全くノートも開かないで、三角定規📐の穴の中に鉛筆を入れてクルクル🌀回している子。
だけど、この子が他のお母さんに声を掛けられて話しているのを見たら、目がキラキラとても美しくて、何て言うか、この子は大丈夫だと思いました。
タブレットを忘れてきていて、先生に隣の子に見せて貰ってと言われても行動に移すことなくじっとしている子。
この子の目は不満に満ちていました。
理科の実験の時に班になって、班で一つだけ使うものをどの子の物を使うか、じゃんけん✊✌️✋で決めて下さいって先生が言ったら、「じゃんけん何て意味ないよ!俺のを使えばいいんだから!じゃんけんなんて意味ないじゃん」って大きな声で言ってる子。
先生はその声には反応せず。
その子はうちの孫の班の子で、息子いわく、ちょっといじめっ子で、うちの孫も少しいじめられているそう。
だけど、うちの孫はバカがつくほど真面目で従順な子なので、その子にじゃんけんをした方がいいよって、小さな声で何度か言っているみたいでしたが聞き入れられなかったみたい。
班の他の子はどうでもよい感じで何事もなかったかのようにスルー。
孫も納得はしてないけどその子に従ったのでした。
私はそれを見て、いいねいいね👍️と思ったのでした。
じゃんけんなんて意味ないじゃん!って、それも一理あるよね。
誰のを使うか決める方法はじゃんけんだけじゃない。
うちの孫の、先生が言ってるからその方法でやろうよって言うのもまた間違ってない。
その自分の考えを相手にちゃんと言えたのはえらいねと思う。
彼が言うように、自分のを使いたいって子のを使っても良いし、子供にどんな方法で決めるのかまで託しても本当は良い。
でも、先生は時間の関係もあるし、一番揉めない簡単な方法を提示したんだよね。
それもまた良しだしね。
「個」がない方が先生にとってはやりやすいかもしれません。
じゃんけんなんて意味ないじゃん!のタイプの子がたくさんいたら先生は大変だろうけど。
でも、きっとそんな個性溢れる子がたくさんでもちゃんと導ける方法があると思うし、みんなやりたいことをやって、言いたいことをちゃんと発言出来て(もちろん誰かを傷つけない、相手をリスペクトするのを前提に)、そしたらもっと目が輝いた子供たちが増えるし楽しいと思うけど理想論かな~?
でも、私は異端児大好き派です
今日もお付き合いいただきまして
ありがとうございました