3月いっぱいで平日の仕事が終了し、
土日の仕事だけになる予定でしたが

ますますのコロナの影響で
土日の婚礼も相次いで延期や中止となり
4月の18日まで、
土日もお仕事が何もなくなりました。


ある程度予想はしていたことですし、
少しは蓄えもあるので大丈夫なはずなのに、

いざ三週間も全く仕事がなくなると
奥深いところの不安がじわじわと
ない振りをして秘かに現れ、

暇なうちに平日の仕事でも探すかと
言い訳じみた心持ちで

その実は今あるもの(仕事やお金)が
無くなると言う不安払拭のために
求人サイトを眺めると言う行動に出る私でした。


少し前にお花に携わる仕事がしたいと
お花屋さんの求人を探した時は
仕事はあるものの、
応募する気にならずに
今はその時ではないと
判断をしたはずなのに……


今回探してみると、
これはやってみたい!と言う求人が一つあり
見つけたのが夜だったので、
Webで応募もできたけれど、
返信メールを待つ時間がいやなので
翌日の朝に電話をかけてみることにしました。

しかし、その夜の夢で
応募は締め切りましたと告げられ…

いやいや、夢だし、
実際にかけてみなければ分からないと
朝一番で電話をかけてみるも、
夢の再現となり、あえなく撃沈

やっぱり今はその時じゃなかった爆笑



これだけの長い時間を与えられたのは
やはり自分の内側を見つめ対話する時

これは必然、必要として
与えられたものなんだと思いました。


確かに今私の中には
捉えられない霞のような
薄暗い雲のようなものがかかっていて
それを晴らしたいけれど……

その原因を究極には自分が作っていると
分かるのだけど認めたくないし

と言うか、
こんなところまで私が造り出していると
思わなければならないの!? と、

そうじゃないと言う答えを期待するけれど
自分の内から出る答えは
やっぱり「YES」で……


もう考えたくなくて、感じたくなくて
放棄した状態でした。


人と接しなければ、
自分の写し鏡として見せられることもなくなるのだけれど、
でもやはり人は恋しい。


みんな皆、
それぞれに良い人で大好きなのに、

ある人の何気ない一つの言葉の波動と目の奥の感情に反応してイラつき、

影でほんのちょっとした人の悪口や無能さを軽口にして、
皆で笑いあうことに嫌悪感を感じ、

ましてや、私はこれをこんなに嫌悪しているのに、
これは私がまだ持っているものだなんて
絶望にも近い。

でも、絶望したくないから
考えない感じないに逃げる。

ほら、書いているだけで泣けてくる


こんな私を救ってくれたのが
昨日の神寄木賀集ゆかさんのこの記事です。


一部抜粋させていただきます。

******

これだけ見事な憎悪や嫌悪を
与えてくれる存在というのは、
最大のチャンスをもたらしてくれる
最高に素晴らしい人です。

わかってる、わかってる、
よくよくわかってるけど、
全くもって外れない!という時、

「あなたの感じる振動から
 フォーカスをずらして、
 その人の振動を感じてごらんなさい」

と、ガイドが伝えてきたのです。

いつものように、
自らのハートの感覚にフォーカスし、
重たさを外すのではなく、
その振動をもたらす相手の
振動周波数を感じよというのです。

意味不明だと思いつつも、
その通りにしてみると、
さすが相手は鏡なので、
簡単に振動リズムを捉えられます。

そうすると、相手の全ての思考が
入ってくるので「こんな事考えてる!」
「なんてズルい!」「最低!」とか、
色々な思いが沸いてくるのですが、

「他者の有り様にいちいち反応するのは
 あなたの振動周波数にフォーカスが
 移ってしまっているからですよ。

 しっかり集中して、お相手の
 振動周波数にフォーカスするのです」

と、ガイドに指摘され、
再びフォーカスラインを修正し、
自らの強い振動衝動に囚われないように
深く深く集中していくと、
相手の振動の背後に、

「すごく苦しい」
「これしか手立てがない」
「こうするしか方法がない」
「辛い」「寂しい」
「この方法でしか認めてもらえない」

というような感覚が視えてきたのです。

冷たい水をかけられたように、
ハッとするような衝撃の後、

決して混ざらない水と油に
界面活性剤が加えられたかのように

批判し否定し糾弾していた
相手の感覚と、自らの感覚が、
急に親和性を帯びてきたのです。

ああ、この人、とっても苦しいんだ。

わたしがこの周波数に振り回され、
苦しくて苦しくて仕方ないように、
この人もどうしようもなく怖くて、
どうしていいかわからなくって、
ただ苦しくて仕方ないんだ。
 
周波数が何かということも
 
振動は外せるということも、
 
現実が幻想だということも、
 
この世界が一体何なのかということも、
 
何も覚えてないんだ。
 
盲目の世界に生きているみたいで、
 
だから怖いんだ。

「表現は違っても、わたしなんだ」

という事が腑に落ちた瞬間、

自らの世界は一気に平穏になり、
全てがなだらかで、平和で、
今この瞬間に在る事が
ただただ心地よくて仕方ない、
という感覚が猛烈に押し寄せたかと思うと、

一切合切の重たい振動周波数が、
一気に全身の細胞の中から噴出するように、
ザザザザーーーーッと湧き上がり、

首筋の後ろから、脳天を通って、
ありありとした肉体の体感を伴って、
噴出しながら抜けていったのです。

今でも思い出せる程に、
最大といっても過言でない程に、
リアルに振動波動粒子が抜けていって、
新しい粒子が注ぎ降りてくるのを、
はっきりと感じたのです。

目の前の世界の鏡を通して、
振動周波数が創りだす各々の幻想の中で
人がどんな表現をしたとしても、

ただ同じように「わからない」とか
「苦しい」とか「出来るわけない」
「わたしなんて」「認められない」
というような重さや苦しさの世界から、
何とか解脱しようと、懸命なだけであって、
 
どうしていいか分からず
暗中模索で怯えて暴れているだけで
それ以上でも以下でもないのです。

そんな最中でも、他スピリットの鏡として
わたし達はサポートし合って存在する
確固たる仲間なのだ、

という事を芯から感じた時、
あらゆる振動周波数を全て受け入れる、
という意識の統合があったのです。

その時の感覚というのが、
あまりにも心地よかったので、
スピリットガイドに尋ねると、

「慈愛」という言葉が
最も近しいと云われたのです。

「愛」というものを語る事も
比較する事も出来ないのは、
そもそも感じる事で知るものだからです。

つまり究極をいえば、「慈愛」を
本質的に感じる事ができれば
重たい周波数帯域を
解脱していく事は可能です。

わたし達が元々持っていた感覚なので、

思い出しさえすればよい周波数になります。

ただ「思い出す」には体験を経る事が

3次元では必要というだけの事なのです。


******

抜粋終わり



これを読んだら、
昨日は泣けて泣けて泣けて・・・

今もまた3回鼻をかみました。笑


目の前の世界の鏡を通して、
振動周波数が創りだす各々の幻想の中で
人がどんな表現をしたとしても、

ただ同じように「わからない」とか
「苦しい」とか「出来るわけない」
「わたしなんて」「認められない」
というような重さや苦しさの世界から、
何とか解脱しようと、懸命なだけであって、

どうしていいか分からず
暗中模索で怯えて暴れているだけで
それ以上でも以下でもないのです。

そんな最中でも、他スピリットの鏡として
わたし達はサポートし合って存在する
確固たる仲間なのだ、

という事を芯から感じた時、
あらゆる振動周波数を全て受け入れる、
という意識の統合があったのです。

その時の感覚というのが、
あまりにも心地よかったので、
スピリットガイドに尋ねると、

「慈愛」という言葉が
最も近しいと云われたのです。

「愛」というものを語る事も
比較する事も出来ないのは、
そもそも感じる事で知るものだからです。

つまり究極をいえば、「慈愛」を
本質的に感じる事ができれば
重たい周波数帯域を
解脱していく事は可能です。


「慈愛」

ちゃんと分かったかどうかはわからないけれど、
昨日今日と流れた涙で
なにかを感じたし、
何かが流れていったと
そう思おう。


みんな同じ、みんな同じ道をいく仲間、
あの人はわたし、わたしはあの人

あらゆる振動周波数をすべて受け入れる

それは、それは・・・・・

言葉にならないほど心がふるえる・・・


なんだろう

心のふるえが涙となってあらわれる




ごめんなさい

泣けて泣けてしかたがないので

この辺で撤退します。


今日もお読みいただきまして
ありがとうございました