日本帝国海軍戦艦 大和 。まずは、戦艦の大きさを表す「超弩級」の意味から。 イギリス海軍戦艦「ドレッドノート」が当時、世界最大級の戦艦であったことから「ドレッドノート」と同じ級の戦艦を、弩級と呼んだことに始まる。「ドレッドノート」の排水量を超える戦艦だから表す呼び名は「超弩級」となるのである。今では、ものすごい事の例えに使われているが、これが語源である。
「大和」は、海軍呉工廠で秘密裏に建造され、「設計図は全て設計技師の頭の中」とまで言われ、設計図らしい設計図は無いとされている。と同時に造っている側にも全容は知らされていなかった。それほどまでに敵国に一片の情報も与えず、全てが組み上がり進水するまでは漏らすまいと徹底したのである。
当時の、世界水準より高い技術を持って造られており、数々のアイデアが取り入れられていた。
まさに国の威信をかけた艦船だったわけである。
艦船にとっての致命傷とは、側面からの攻撃。水雷艇からの魚雷攻撃や、航空機による魚雷投下は、必ずダメージを艦船に与えた。被弾した場所から海水が流入し沈没、あるいは艦艇のバランスを崩し、精確な艦砲射撃が不可能となる。ではどうするか?反対側に注水してバランスを採れば良いという発想から。
かくして、大和には、いくつもの防水隔壁が造られ、進水被害を最小に留める工夫がなされた。だから、直ぐには沈没しないのだ。
大和の砲弾は、世界でも類を見ない特殊な砲弾である。戦艦同士の砲撃戦なら有効射程距離の長いほうに分があるが、その有効射程距離から少しでも離れれば 被弾率は少なくなり生存率は高くなる。しかし、大和の砲弾は、射程距離プラスアルファなのだ。それは、相手に当たらなかった砲弾は、通常、海の底へという運命だが、大和の砲弾は海に落下後、海中を魚雷のように進む特殊砲弾だということ。これが、大和の強さでもあったのだ。大和の主砲のサイズで飛距離を算出した連合国も、これは予想だにしなかっただろう。この時点でも大和の主砲は当時の艦船では最大級の主砲だったのだが、さらに攻撃力をましていた。
無敵の戦艦「大和」も、時代の波には勝てなかった。航空機による戦術、大本営の時代に逆行する戦略で敗れたのだ。大艦巨砲主義に偏りすぎた帝国海軍は、「決戦は戦艦同士の砲撃戦」にしか着目していなかったのと、数々の発明に先見の明を見出だすことが出来なかった事。大戦後期、レーダーが開発されたのだが、これが大和にいち早く搭載されていたら少しは戦局は変化していたかも知れない
大本営は、合理的な作戦より、全て精神論で戦局を切り開くという無茶な作戦ばかりを立案していた。この背景には物資の不足というのもあったのだろうが。これは第一次世界大戦や日露戦争で日本が大国を打ち負かしたとき、大量の人材、物資を持つ大国に勝ったのは優れた精神を持ち合わせた民族だから勝てたと判断したことによる。その時の当事者が大本営の重要ポストに納まった事により以後、全ての戦局を精神論で押し切る事により不利な戦局を打開しようとする誤った判断が、大和を悲劇の戦艦にしたのかも知れない。
一方、連合国側は、日本軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃で大打撃を受けたことにより、艦船同士の砲撃戦より、航空機の編隊による対艦攻撃の方が遥かに合理的な攻撃と判断し、以後空母を多数建造し、艦上攻撃機を開発していった。なんと皮肉なことだろう。
「大和」も対空機関砲を艦橋側面に配置する改修工事をするなどの対策を立てたが、敵国の大量の物資投入(空母艦載機や新しい艦船の投入)や、新型兵器、戦局を読めず、ひたすら盲進していった軍部の判断ミスにより、多数の犠牲と共に海に沈む事となった。
ハワイ真珠湾攻撃に勝利した日本軍。まだ米国側より戦局で有利であったころ、和平を結ぶ機会があったといわれる。もし、その時点で和平工作が進んでいたら、現代に戦艦「ミズーリ」があるように「大和」も存在して可能性があったのかも知れない。
戦局を泥沼化させていったのは、強大な力に溺れ、我を忘れた小さな個人達。気がついた頃には、どうにもならない結果を招き後戻り出来ないどころか、日本国土を焦土と化す羽目になった。結果、日本は「大和」を造った造船技術、零戦等の優れた航空機技術を失う事となり、国家的損失は非常に大きなものとなったのである。