NPO申請書類提出後の修正箇所メモ
1.役員名簿の役職名追記
全て「理事」としか書いていなかったもの。
理事 → 理事(代表理事) の形で追記。
2.なぜか趣旨書が趣旨所になってた件…
3.事業計画書の受益対象者の項目
元々は ◇受益対象者 10人/回 という記述
それを ◇受益対象者 一般市民 10人/回 にして欲しいとのこと。
行った時には、元々活動の対象者に決まってるので書かないで良いよねって感じで確認はしてたんだけどね。
結局一般市民ではなく特定非営利活動の対象者で提出しました。
4.事業計画書の活動回数の件
相談事業が随時開催の為、1人/回にしてた。
年間の回数の予定を書けとのこと。
中間支援のところに言われた表の方には予測として月2人ぐらいで書いてたんだけどネット上での活動を含むと正直予測は不可能。(現実の数でいいとも言われたけどネットに対応できていない行政の現状が気になっていてそこの提言もして行きたいのデスョ。)
見ても中身わからないけど表の方を出すと受け取らざるをえない行政・・・
そのくせ縦覧した一般の人がわからないといけないからという理由で法律よりも優先して定款の記載事項を修正しようとするのよね…
よかれと思って手引き書の形式で書いたもののチェックするところがずれてる気がするので表の方でも仕方ないかなと思ったんですが、それを伝えると「あくまでも提案であって強制ではない」とのこと。
他にも細かくはあったんだけど結局3のところだけ直して提出ー。(必須ではない)
事前に何人かの人にチェックしてもらって問題なかった部分ばっかりだったしねぇ
今回の感想:役所の人も大変だな・・・
4月から急に専門でもない人が担当になっただろうし、本人の主観と上司の主観の違いで書類通したの怒られたりそれで修正依頼して法的な問題がないこととか経験上前は通ったとかでプロの人にいじめられたりしてるんだろうなぁと。
NPO法人フローレンスとの出会い。
フローレンスという病児保育の問題を解決するNPO法人がある。
代表の駒崎弘樹氏はこの活動を通してニューズウィーク「世界を変える社会企業家100人」に選ばれたこともあり、現在は公務として、社会保障国民会議・内閣府規制改革会議にも参加する日本を代表する社会企業家である。
(ニコニコ動画に出演の際は”きれいなひろゆき”と言われるのはまた別のお話)
私がフローレンスという団体を知ったきっかけは、2010年の社会事業の基金訓練で教科書として購入した「社会を変えるを仕事にする」という駒崎氏の著書。
社会事業とは何なのか。どうやって成功できたのかということがご自身の経験を通して具体的でわかりやすく書かれていて、読み終えた時には「気づいた個人」が事業を立ち上げ、社会問題を解決できる時代という結論をすんなりと受け入れることができた。社会事業というもの自体には興味を持ちながらもなかなか踏み込めずにいた理由である「うさんくささ」はそこにはなく、この世界に飛び込む勇気を与えてくれるには充分な一冊だった。
その時も私の興味は既にニート問題(当事者w)であり、フローレンスの活動自体は関係のないものに思えたのだが丁度その時に出た駒崎氏の2冊目の著書「働き方革命」(活動・書籍)の内容は、人生を会社に捧げる時代は過ぎ去った、日本を変えるには「働き方」を変えるべきというニート目線にもひどく魅力的なものだった。
この活動でニート問題も解決する気がしたと同時にその手法である既存の会社に対してのコンサルティングというアプローチでは今現在ニートである人(主に自分+q+)にとっては間に合うほど早く社会は変わらないと感じた。
自分のやりたいことが序々に見えてきた。
(今思うと駒崎氏の2冊の著書は社会を変えるための両輪であり、ニート問題に対する活動も2方向から考えるべきなんですが当時はそんなことには気づいてなかったのは内緒です。特に「働き方革命」は日本社会の根底を時間をかけて根気よく変えていく活動であり、あらゆる問題に通じてるもので当然ニート問題もそこに含まれていたということですよね。「それじゃ間に合わん」じゃなくてその部分を担ってくれていることに感謝。)
そんな時、通っていた基金訓練の母体であるNPO法人ママの働き方応援隊の主催するシンポジウムのスタッフとしてご本人にお会いする機会を得る。
その時いただいた病児保育の問題を解決するNPO法人の名刺に今回立ち上げるニート問題を解決するNPO法人の指針となる内容が書かれていた。
・ビジョン 子育てと仕事そして自己実現の全てに、誰もが挑戦できる、しなやかで躍動的な社会。
・ビリーフ 埋もれし人材層(女性・若者・アクティブシニア)の潜在力の活用こそが、地域社会再生の決定的かつ戦略的な鍵である。
その時はただ驚いたが今となれば社会問題の根底は繋がっているんだなぁと改めて考えさせられる。
で、この度RemoveSwitchのビジョン、ビリーフを設定するにあたりフローレンスのものを参考にさせていただきたい旨を駒崎氏に直接メールで伝えたところ快諾いただきました。ありがたいお話です。
次回かはわからないけどもう一人大きく影響受けたNPO法人NEWVERY代表の山本繁氏の話もそのうち書きます。
今日の蛇足。
勢いでフローレンスにいる大学時代の知り合いにFacebook友達申請してみた+q+
以前、なにかで所属していることを知ったときにも驚いたけどFacebook見たら丁度自分が駒崎氏にお会いした頃に入社してたことがわかってまたびっくりw
自分(core)にできること。
(※自分語り読みにくい長文注意)
子供の頃は「すごい人」になりたかった。
科学者だったりヒーローだったり。
親に否定され、教師に否定され、周りの人や環境や社会につまづいた。
周りの人とは違う自分。
色んな人に怒られ続けた「毎日の生活のきまりごとがちゃんとできない自分。」
世界は不条理に満ちている。
小学生の頃には哲学的なことを考えたり妄想の設定にとらわれたりする病にかかり、中2の頃にはすっかり納まっていた。
中学・高校の寮での集団生活の途中からはもう「ちゃんとする」は諦めていたように思う。
高校からテニスに出会い教えてくれる人もいないまま熱心に取り組んだ。
恵まれた環境とはいえなかったがまぁそこそこ頑張ったといえる唯一のこと。
(この頃から「評論家」になりたいと思うもののその前になんらかの「専門家」に
なる必要があって「努力の継続」ができない人には無理よね・・・)
大学に行く意味も感じられず早く社会に出てみたかったが親の反対で進学。
興味のある単位は一応とったものの基本的にはテニスばかりしていた。
結局社会のことなどなにもわからず何を学ぶべきかもしらないまま中退。
主な原因は「ちゃんと出席できないこと」
興味の赴くまま色んな業界に首を突っ込んでは諦めたり無理だったりで長続きはしなかった。
そもそも「毎日通う」が一番の障壁・・・
在宅クリエイター的なものも目指したことはあるが創造力の欠如に気づき断念。(他にも理由はありますが割愛。)
とは言え「普通に働き続けること」は諦めていたしお金がなくなれば派遣や営業職等の仕事には困らない状況ではあったので大して悲壮感はなく、むしろ幸せといっていいくらいマイペースに生きていた。普通に働いている人をうらやむこともなくこの頃できたニートという言葉には親近感を覚えむしろ好ましいものにすら感じていた。
30歳になってから「ちゃんとした職歴」の為にコールセンターに4年、その後も関係会社で1年勤めた。今後の生き方についてはこの頃よく考えてはいたが、色々と諦めて無理をして派遣で上を目指して生きる道を選ぶ気にはなれなかった。
35歳のとき、これからの”生き方”を決めるために2年間働かないことにした(何
漠然と考えていた自分自身が”頑張らずに(無理をしないで)”過ごしていける環境のこと。在宅の仕事。自分を発揮できる仕事。
2年で見つからなければその後は諦めて無理をして生きよう。
「自分自身の未来を考えるのが苦手、その時のことしか考えない性格」をはっきり意識したのはこの頃。逆に社会や他人のことを分析し未来のことを考える行為は割と得意で好きなことにも気づき、昔「評論家」になりたかった理由等も納得。自分の為にはなにもできないこと。社会や他人の為になら力を発揮できそうなこと。
同時に以前から興味はあるが生き方としては微妙に感じていた社会事業の分野に急速に興味を持ち出しました。
その時たまたま基金訓練に"社会起業"のコースを見つけて即応募。
漠然としていたものが現実味を帯び、これでやっていくことを前提に思考が回り始めました。(記事リンク:ニートの戦略(自分にできること) )
見つけてから準備まで、2年という〆切りからは少し遅れてしまいましたがこれから立ち上げるNPO法人RemoveSwitchの事業の目的は集まってくれた人それぞれの個性にあった生き方を見つけてもらうためのコミュニティを作ることです。そしてそれ自体が私の自分に合った働き方になります。
私自身、上記のような人間ですがこんなやつが自分にあった生き方、働きかたの環境を作り出そうとするからこそ、それができたときには団体の1つめの成果になると思い苦手な自分語りをしているのは内緒です。
追記
この活動の為ならこれまでできなかった「ちゃんと」もできそうな気がしています。
自分自身の為に何かするのが苦手な私が「自分自身のためにもなること」の為にならできるかもしれないと思えることが我ながら不思議でもあります。
さらに蛇足。この活動で私の目指す理想の立ち位置をドラゴンボールで例えるとカリン様です(謎