哲学的“世界”持論 | Dolce Vita with Elpinesys

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俺は“世界”という言葉に強く惹かれます



小さい頃から俺はたくさんの“世界”を見たい、感じたいと思っていました


具体的なことから抽象的なものまで“世界”とい言葉にはいろいろな意味があると俺は思っています



具体的な例から言えば

世界旅行をしたいです
TVの中に映る“世界”
それはまるで非日常で、今いる自分とは遠くかけ離れているもの

それを生でこの目で見てこの体と心で感じ取りたいのです

それは俺が今まで知ることも無かったその国独特の文化だったり、そこから来る人々の考え方だったり、国民性や歴史を知ることでまたその国への関心や興味が違ったカタチで生まれてくる


最初は
どんなところでどんな物が待っているのか?
という疑問から
どうしてこの国は“今ある形”へと変わったのか?
そして
歴史を読み解き、今を知り、そしてこれからはどんな形への変わるのか…

この形という言葉が俺の中で“世界”という言葉とイコールになるのです

だから俺は世界の隅々まで見てみたいし感じてみたい


次に抽象的なもので例えるなら


俺は“音楽”と“世界”この二つはイコールだと考えています

俺が音楽をやっている理由もこの“世界”を見るためですから


と言うのも…

俺はなにも無い“無”から音を一つひとつ重ねて曲を作っていきます
曲として出来上がる頃にはその曲としての“世界”をもうすでに形作っています

そこに詞をのせることでその曲はまた違う“世界”を感じさせてくれます

そうして出来上がった音楽は立派なひとつの“世界”として“物語”を持つことになるのです


そんな世界を俺は“自分達”で紡ぎ出すことができる…

それが俺にとってのLIVEなのです



自分が作った“世界”を演奏することによって紡ぎ出し、より近くで感じることができる。よりその“世界”に触れることができます


それはその場にいるファンの子たちや他のお客さんの方々も俺らが創り出すLIVEと言う“世界”を一緒になって感じることができます


ステージから見える“世界”はとても絶景で一人ひとりが笑顔で楽しんでいたり、感動してくれたり

その全てが合わさってまた一つの大きな“世界”になる
それこそが俺の見たい、感じたい“世界”で常に追い求めてるものです








ほんの些細なこともそれが“人として”の行動なら“物語”になっていずれ自分という“世界”へつながる



まだ自分の見える“世界”は小さいけれどその先にあるものがどんな“世界”なのかとても興味があるのです。そう思うと凄くワクワクするのです



これが昔からただただまっすぐに曲がらない俺の信念のひとつです




小さな不安と小さな勇気と大きな野望



新しい“世界”に踏み込む時、たまに勇気が必要になります

そんな時俺は上の言葉を心で思い決心したりしますね
案外思っていたよりも楽しかったり辛かったり

そんな表情を見せてくれるとこも俺が“世界”にこだわる理由のひとつです



バカみたいな事を大真面目に考えてる俺だからこそみなさんに言いたい事があります




どんな些細なことひとつだけでもいい、
自分の中の曲がらない信念と勇気
未来への希望と野望

それを見つけられたらきっとみなさんの“世界”も今より彩りますよ


言いたいこと、こだわりは尽きないですがこの辺でやめておきます(^^)
本当に終わらなくなってしまいますので(笑)


それではいつもの…




じゃ~の~