10年以上前、プレカリアート(貧困、低賃金労働、失業)の本を読んだ。
昔のことなので、記憶がちょっと違っている部分はあるかもしれないが
著書の人がいろんな人にインタビューしてて、そのうち一人のロスジェネの
人がいっていたことが今でも心に残っている。
30代の男性だが、‘今いちばん(日本で)希望することはなんですか?’
という質問に
「戦争がおこること」
と答えていた。
ある意味とてもわかる。
誤解しないで欲しい。オレはもちろん戦争には反対だ。
だが、ロスジェネ、就職氷河期世代として、心のどこかで、この日本で戦争が
おき、形あるものもないものもすべてが破壊され、「無」にならないだろうか、と
考えたりする。
世の中に対する絶望や、先の見えない自分の人生に対する絶望からくる願望である。
戦争がおきれば、そこには秩序もない。もちろん地位もない。
ただ単に破壊と暴力と殺戮が繰りかえされるだけである。
殺されるか殺されないかに立場や役職は関係ない。
すべての人間に平等に「生」か「死」かの2択がやってくる。
戦争というのはそういう皮肉なものなのである。
戦争が始まれば、正社員も無職も、エリートも貧困層も、独身も家庭持ちも
健常者も障碍者も、老いも若きも男も女も、なにもかも関係なく殺されるときは
殺されるのだ。
豪邸もプレハブ小屋もオフィスビルもすべて破壊される。
どんなに豪邸でも焼き払われればなくなる。
家がなければ社長もホームレスも同じ立場。
働く会社が焼き払われて仕事がなくなれば、正社員もニートも同じ立場。
いってみれば変な差別することなく、すべてを平等にリセットするのが戦争なのである。
インタビューで答えていた30代のロスジェネ男性は、その平等リセットを
いいたかったのだと思う。
その30代の男性は低賃金で働くフリーターだったと思うが、戦争で上司が死に
会社は破壊され、仕事そのものが無くなった世界になれば、もう正社員もバイトも
人間として同等だという考えだったのだろう。
そこではじめて他の人たちと対等になれたと感じることができるのだと思う。
家族持ちの男性が子供や妻を失ったことで、独身者はその人に並んだ気持ちになれる。
悲しいけど、人生や世の中に絶望している人間にとっては、それが現実という面は
いくらかあると思う。戦争とはまさに破壊によって世の中の人間の立場をすべて平等
にするリセットボタンの役割を果たしている。
と、ここまで書いたが最初に書いたとおりオレは戦争賛成者ではないので誤解しないで
ほしい。
オレがいいたかったのは、30代のロスジェネ男性が感じていたように、戦争が味方に
思えるほど、今の社会に渦巻いている差別や格差などがひどいということである。
ブログを書き始めてまだ読んでくれている人も1桁くらいだった時にも書いたが
もう一度書く。
「今が本当に平和だと思っていますか?」
7月あたまに友人のSさんと池袋で呑んだとき、Sさんがこういっていた。
「今、日本で年間3万人の人が自殺している。戦争で死ぬ人より多い人数だよ」
原爆が落ちなければ平和なのか?
銃弾が飛び交わなければ平和なのか?
年間3万人が命を絶っている今の日本は決して平和ではない。
極端な話、原爆が落ちる世界よりひどいかもしれない。
なかには安定した生活や、良きパートナーを手に入れて平和な人々もいるだろう。
でも亡くなった3万人にとっては、まさに原爆も銃弾もない戦時中を生きたような
ここちだったことだろうと心が痛い。
なにごともバランスが大事だ。
オレは共産主義者ではないので、昔は嫌いだったが資本主義は否定しない。
自営業や社長をやっている友人が数名いて、そのうちふたりくらいが
「やあ、やっぱり誰かに使われているほうがラクだよ」
といっていたのを聞いたし、書道家の武田双雲もサラリーマン時代に
会社を辞めたとき、翌日から事務用品の手配とかすべて自分でやらないと
いけなくなったから会社のありがたさがわかったと言っていたのをきいて
なんだかんだで誰か使ってくれる人がいる資本主義も大事は大事なのだなあと
思っている。
ただ、資本主義も競争も過度はいけない。
今の日本は過度になり、それが格差や貧困を生み出している気がする。
オレが高校生のとき、長渕剛が「お家へかえろう」という曲をだし、
そのなかで
『敗戦直後に生まれた40代は つまらねえ日本的資本主義をつくっちまった』
と歌っていた。
作家の三島由紀夫は演説で、『戦後の日本は資本主義にうつつを抜かし……』と
叫んだ。
日本はこのころから、いや、たぶんもっと前からなにも変わっていないのだろう。
秋葉原の歩行者天国で無差別殺人を犯した元死刑囚の加藤智大を生んだのも
そのへんとまったく無関係とはいえない。
これも昔ブログで書いたのだが、オレは日本はアメリカから「3つの爆弾」を投下
されたと思っている。
1つめが「リトルボーイ」
2つめが「ファットマン」
そして、3つめが目には見えない思想爆弾「エコノミックアニマル」
戦後、多くの人々が投下されたエコノミックアニマルから拡散した粒子を浴びて、
我を忘れて稼ぐことに必死になった。
自国の良さをすり替えられたのである。
長渕剛や三島由紀夫が嘆くのもわかる。
過度な競争や資本主義は貧困、格差、自殺者を生む。
日本はそれに気づいていないのか。
あるいは気づいているけど弱者は切り捨てで気づいていないふりを
しているのか。
日本はまだ平和ではない。
核のない新しいタイプの戦争中、もしくはまだ長い戦後を漂っている。
タイトルの意味に戻ろう。
「希望は戦争」というのが訴えたいことは、決して戦争賛美ではなく、
戦争が起きてすべてを破壊しリセットしてほしいと考える人がいるほど
今の世の中の現状はひどいということである。
多くの人がそれくらい追いつめられているのである。
戦争はひどい。
小学校のころ、担任の先生が家から教室にもってきた学級文庫で「はだしのゲン」
を途中まで読んだけど、やはり広島や長崎の悲劇を繰り返してはいけない。
でもそれはそれで別というよりかは、パラレルワールド的な感覚で平行して
オレの中で「ロストジェネレーション」「就職氷河期世代」「発達障害」として、
もう人生に疲れたので、
「日本で戦争がおきて、すべての人とオレの立場が同じにならないかな……」
と悲しいかな思うときがある。
今を平和と感じられる人は、心にも生活にも余裕がある人。羨ましい。
でも、同じ日本で貧困や格差やワーキングプアや差別に今も苦しんでいる人が
いることを忘れないでいただきたい。
追伸・
オレは発達障害で学習障害なので数字が覚えられない。
なので広島原爆の日と長崎原爆の日と終戦記念日を50歳にしてやっと覚えた。
広島8月6日はハム、長崎8月9日はハック、と覚えた。
トム・クルーズもそうだが、それくらい学習障害というのは深刻であり、
誤解や差別をされやすい。
世の中に学習障害に対する基本知識の改善を求む。
なんかわからないけど、パソコンでこのブログを開くとスマホ仕様の画面になったり
して操作ができなかったりするので、コメ返など遅れることがあるかもしれません。