元気と笑顔で人を信用するな | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

朝起きて一息ついたあと、サンデージャポンの放送まで時間があったので

午前中早い時間に市議会議員選挙にいってきた。

 

 

 

今回は十数年ぶりくらいに白紙投票にしようかと直前まで考えて

いたが、やはり記入して投票した。

 

市議会については候補者が多いので正直誰がどうなのかわからないため

かなり迷った。

だから最初は白紙で出そうかと思ったのだ。

 

みなさんは誰に投票するかの基準をどのようにもうけているのだろうか。

オレは少なくとも、「元気」と「笑顔」だけは信用しないようにしている。

人を信じるのに最も参考にしてはいけない項目である。

 

以前もちらりと書いたが笑顔とか元気とかで人を信頼してしまう人たちが

ひと昔前に号泣で話題になった野々村元県議みたいな人の演説や自己紹介を

聴いて投票してしまうのだと考えている。

 

笑顔と元気というのは基本的にウサンクサイものなのである。

オレは今まで学校でも職場でも、元気で笑顔の嫌われ者を何人か見てきた。

もっともたちが悪いのは、本人たちが嫌われていることにまったく気づいて

いないのである。

まあ、それはさておき……

 

どうして人はなにかあればすぐ笑顔だとか元気が大事というのだろうか。

 

かつて松本人志がエッセイ「遺書」のなかで、明るいやつよりもネクラのやつ

のほうがお笑いに向いていると書いていたが、それと近い感じで政治家には

笑顔で元気な人よりも寡黙な人のほうが向いているような気がする。

なんというか寡黙な人のほうが裏がないような気がするのである。

 

いや、政治家に限らず、一般の仕事や営業でもヘラヘラして明るいやつよりも

暗いやつのほうが信頼はできるかもしれない。

 

新卒で就活をしていたとき、なにかとあれば面接では笑顔で元気よくという

助言を受けた。

どうして面接官という人種はああも元気のある笑顔の若者が好きなのだろうか。

世間一般の理屈ではなく、自分の判断基準を持つことができないのだろうか。

面接官も面接官ならば、まかりとおっている助言をまともに受ける学生も学生である。

と、就活をしていたとき思っていた。

 

就活をしながら、笑顔と元気に病的に固執する面接官たちにひたすら悲しさを

感じていた。

社会人経験のない若僧がわかったようなことをいうな、という声も聞こえて

きそうだが、事実はそうじゃない。

社会人経験ない若僧が見ても一目瞭然なほど、世の面接官たちの質がひどいと

いうことである。

 

彼ら彼女らが笑顔や元気に固執するイイワケはこうだ。

「面接という、たった数分の間でどんな人か判断するのは難しい。だから

元気や笑顔の第一印象を参考にする」

 

……

 

あのさー、あんたら実際は違うにしても、人からは「人を見抜くプロ」って

呼ばれている人たちなんだろ。

それで給料貰っているんだったら面接時間の短さをイイワケにするなよ。

 

プロって呼ばれているんだったら、短い面接時間のなかで笑顔とか外見的な

ことでなく、相手の中身をズバリ探れるような質問を考えるとかしてるのか??

そう、この言葉は使いたくないけれど、彼ら彼女らが好きなことばでいえば、そう

努力。うん、質問を考える努力だ。

してるんだろうか。いや、きっとしてない。

就活をしていたとき、そういう面接官に出逢った記憶がない。

どこを受けても口からでてくる質問は同じような廉価版ばかり。

 

まあ、過去の苛立ちを語ってもきりがないから面接官の話はもういい。

とりあえず笑顔と元気が好きな人種として、ここで例を挙げさせてもらったまで。

 

とにかく、みなさん、

選挙にせよ、プライベートのつきあいにせよ、人を笑顔や元気で信頼してはだめだ。

政治家がそのいい例である。

笑顔で元気でポジティブなことばかりいっている人間ほどウラがあったり、なにか

悪いことをやっていることが多い。

 

オレはネガティブ人間だけれども、ウラはほぼ無い自信がある。

だって、ネガティブはことは最初から堂々と言葉にも態度にも表面にだしているから。

だから自分でいうのもなんだけれど、人見知りのくせに友達は多いのだと思う。

 

そうだ。ネガティブで暗い人間ほど不器用であり、いい意味で社会不適合者で正直者

なので、嘘や綺麗事が言えないのである。

 

ずっと昔、どこで誰にいわれたかは忘れたが、

「死んだ魚みたいな目をしている」

といわれたことがあった。

 

そうか。死んだ魚の目か。

たまに聞くワードだ。

 

オレにそれをいった人は、きっと引きこもりか世間知らずかのどちらかで

市場とかスーパーの鮮魚売り場とかに足を踏み入れたことがないのだろう。

 

小説のなかでも書いたが、

鮮魚売り場並んでいる死んだ魚たちの目はとても「綺麗」なのだ。

ヘタに生きている人間の目よりもずっとキラキラと輝いている。

 

死んだ魚と同じ目をしてて光栄だね。

最高の褒め言葉である。

 

もう外見や第一印象に依存することから脱皮しないと、人を選んだり

見抜いたりする力はいっこうに進歩しない。

じゃあ、なにを基準にすればいいかだって?

それを今から考えるのだ。