WBCは程よく日本を応援したい | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

サッカーは興味ないが野球は興味あるので、朝はWBCの日本対メキシコ戦

をテレビで観ていた。

 

正直、日本のペナントレースは興味あるが、五輪とか世界が絡んだ

野球はそれほど興味ないけれど、WBCはまあなんとなく観ていた

感じだ。

 

結果は村上のタイムリーでメキシコにサヨナラ勝ち。

見事だった。

これで日本は決勝にゆくわけだ……が、

 

ちょっとこの展開には疲れた。

もちろん、日本にケチをつけるつもりもまったくないし、応援は

しているが、野球とか日本にかかわらず、どうもオレは

‘頑張って結果をだしている人’

を見ると現実に打ちひしがれて疲れてしまうようだ。

 

WBCに出場している彼らは普通の人ではない。

特別な才能に恵まれている強い人たちなのである。

彼らがやってできるんだから、オレにもできるという方程式は

ありえない。というか、存在しない。

 

違う世界の人達の活躍が心に痛いのである。

 

何度もいうように、もちろん比較的ではあるが日本を応援してはいるが

これでもし、明日の決勝で日本がアメリカに勝って優勝したら、

まちがいなく日本中で

「勇気と感動をありがとうムード」

「努力は必ず報われるムード」

があふれるだろう。

それもまたオレを疲れさせるのだ。

 

ぶっちゃけいってしまうと日本は今の戦果でも、もう十分功績を

残してると思っている。

だって、これだけ多くの参加国のなかで決勝までいったのだから。

まあ、韓国と中国には負けてほしくなかったけれど、イタリアとか

メキシコのような強い国には別に負けてもよかったかなと思っていた。

 

「頑張ったけれど報われなかった」という例を伝えるのもまた現実的に

大事ではないだろうか。

ダメ人間のオレにはそういう思想がシンクロする。

 

頑張れば報われる、というのが正しいとすれば負けたイタリアや

メキシコは頑張っていなかったということになる。

いやいや、イタリアやメキシコだって試合に向けてかなりの練習や

勉強をしたはずである。

やはり報われない努力や頑張りはあるのだ。

 

だからここで日本が世界一になったら、嬉しいには嬉しいが、

さきほどあげたうるさいムードが蔓延する可能性が高い。

 

 

小学校や中学校の朝礼でも、WBCの話をする校長先生とかもでてくるだろう。

そして、「やればできる」的なありがたいお話をするのが目に見える。

 

なので、正直明日の決勝は複雑だ。

日本が勝てば嬉しいが、同時に大きい津波のような疲れがどっとでるだろう。

 

彼らは才能があったからああしてスポットライトを浴びているが、所詮、オレら

とは違う世界の人で、オレの生活はなにも変わらない。と

 

オレがひねくれたダメ人間だからかもしれないが、やはりオレは何事においても

頑張って結果をだした人よりも、頑張ったけれど結果がでなかった人のほうに

好感を持てるというか共感するし、応援もしたい。

なにより頑張ったけれど結果をだせなかった人を見ているほうが心から落ち着く

のである。

 

オレ自身、サッカーもワールドカップも興味ないから、野球にまったく興味ない

人の気持ちも理解できる。

 

タイミングによっては、日本対アメリカの結果が出てる頃にこの記事を読んでいる

人もいると思うが、もし日本が優勝しても必要以上にバカ騒ぎしないことと

国民全員が野球に興味あって当たり前みたいな前提で、「昨日の試合すごかったね!」

などと人にふるのはやめていただきたいと思う。

 

オレと同じ価値観を持っている人たちに投げかけたい。

世の中には努力して報われた人よりも、努力したけれど報われなかった人のほうが

圧倒的に多いはず。

すこしでも気持ちが楽になるのであれば、それを忘れない方が良い。

 

あまりにも輝いている高根の花的な人たちばかり見て自分の夢を投影させると

現実の自分とのギャップに叩きのめされる。

 

だからオレはWBCにおいては日本を程よく応援する。

アメリカに負けたらそれはそれで、ああ、頑張ってもやはりダメなときもある

んだなと再確認して心から落ち着くだろう。

 

これは決してネガティブな気の持ち方をしているわけではない。

現実に生きてゆくためのノウハウを語っているだけである。