誰の言葉? あなたの言葉ではないんでしょ? | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今日の記事はもしかしたらあまり共感を得られないかもしれない。

例によってやや極論寄りで書くのでそれだけ先に断わっておく。

 

先日、街を歩いていたら、近くを歩いていたサラリーマンらしきふたり組の会話が

聞こえてきた。ひとりがもうひとりに向かってこういっていた。

 

「でも、怒ってくれる人がいるうちが花だからな」

 

 

職場やサークルなどのなかで怒られているとき、このように

「怒ってくれる人がいるうちが花だよ」とか、「叱られているうちが花だよ」とか

いわれた経験はないだろうか。

 

誰がはじめにいいだしたのかわからないある意味で都市伝説がかったこの

セリフ、ずっと前から疑問と違和感がある。

まず、それが「花」だという根拠がない。

そして、どうしてその時点で叱っている側が正しいという前提になっているのだろうか。

これも一種のまやかしマジックかもしれない。

 

もちろん、ケースバイケースで、このタイミングでこの人から怒られるのは納得いく

ということもある。

でも、なかには個人的感情だけで怒ってくる人間や、部下や後輩にたいして

怒っている自分て優しいだろうという自分の世界に浸っている人間もいるのは事実だ。

 

オレの好きな哲学者の中島義道的にいうところ、

「おまえのためを思って怒ってやっているんだから感謝しろ!!」

というふうに、マウント取り、あるいは恩きせにきているような人間も少なくはない。

 

たとえば怒った本人がつけたしでいってくるならば、まだわかる。

だが、叱咤を傍目にみていた第3者がそういってくると、

「なんでおまえがわかったように、しかも怒ったほうが正しい前提で口を挟んでくるんだ?」

と感じたりもする。

 

そう、重ねていうが、この「怒られているうちが花だよ」の類のセリフは麻薬のような効果

があって、いった人間は「私ってなんて相手思いなんだろう」という悦に入れるのだ。

だからたちが悪い。

 

相手をケチョンケチョンに攻撃したうえで、それでも自分が優しい人間思われたい人間は

決まってこの言葉をリーサルウェポンとして使用する。

 

ちょっとネットで検索してみたら、オレと同じように違和感を抱いている人間も多からず

いたようで、

「(指導者として)無能な人間ほど、このセリフをいう」

という声もあった。

なんとなくわかる気がする。

 

いや、もしかしたらこの「怒られているうちが花だよ」という論は当たっているのかも

しれない。

当たっているとしよう。

 

ただ、いつ誰がどこではじめにいったのかわからない「怒られているうちが花」という

言葉をあたかも自分で考えたようにいっているのが腹立たしい。

その思想をいうのはいいが「自分の言葉」でいえ。

といいたい。

人に説教したり、諭したりするにも、どっかの三流ビジネス書や四流自己啓発書で

拾ってきたようなセリフをいう指導者が多すぎる。

 

今、日曜日の夜、「機動戦士Zガンダム」の再放送がやっているので観ている。

さすがはガンダムシリーズ、登場人物がはっするセリフにも哲学的なものが多く散りばめられている。

「永遠のガンダム語録」という本にも紹介されているが、先日の放送でこんなセリフがあった。

 

ベルトーチカという女性の登場人物がいるのだが、部下と一緒に歩いているとき、

部下がなにかもっともらしい発言をしたときにこう返して、部下はなにもいえなくなった。

 

「誰の言葉? あなたの言葉ではないんでしょ?」

と。

 

このセリフ、シンプルだけれども日常で何度も使いたくなる光景が多い。

 

本当にどこの誰がいったかわからないけれど、いつの間にか社会に当たり前のように

浸透してきた言葉を軽々しく仕事とかで使う人間って多い。

 

なにかとあれば「怒られているうちが花だよ」という人間にたいして、

「それは誰の言葉ですか? あなたの言葉じゃないんでしょ?と」いえたらどんなに

気持ちいいだろうか。

まあ、「あなたの言葉じゃないんでしょ?」という言葉もオレの言葉じゃなくベルトーチカ

の言葉なんだけれども。

 

たぶん、このセリフをいう人はボキャブラリーと想像力が乏しいのかなと思う。

そして人に怒りながらも自分は嫌われたくない臆病者。なのかもしれない。

 

「怒ってくれる人がいるうちが花だよ」という人は、いった相手が雰囲気に騙されて、

私のことを思って怒ってくれているんだと思ってくれているうちが花かもしれない(笑)

 

最後に改めて誤解のないよう、いっておく。

本当に相手のことを思って叱る人もいるというのはわかっている。

 

ただ、「怒ってくれる人がいるうちが花」「叱られているうちが花」という手垢ベットリの

チープな言葉は嫌いだ。それだけ。