教誨師 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

以前、好奇心なんて誰でも持っているということを書いた。

それはそのとおりであり、オレも例外ではない。

 

ただ周囲の多くの人間はどうしたら出世できるかというビジネス的なことや

ホビー的な好奇心が多いが、オレの場合は『事件』におおいに興味がある。

そこが周囲と違うところ。

 

ジャーナリズムにおいてはアマチュアでありながら、核心に近づけたり

関連人物にアクセスできるならば、場合によってはそれなりの虎穴に

だって飛び込んできた。

なので日本を代表するふたつの事件の死刑囚をよく知る人物2名とも話を

してきたこともある。

(昔からの読者さんはしっていると思うが、残念ながらここでは詳しくかけない。

それは過去に社会テーマでアメ限で書いている)

 

ただ、正直な意見をいうと、死刑囚をよくしる人はもちろんだが、死刑囚本人と

顔を合わせていろいろ話をきいてみたいという願望がある。

座間9人殺害事件、津久井やまゆり事件、木嶋佳苗、和歌山毒カレー事件、

秋葉原殺傷事件の加藤智大、その他。

 

罪を犯した人間の闇というか思想をしりたい。

ワイドショーとかを見ていると、心理学者とかがよく分析とかしているが、

それはあくまで他人の分析であり、本人の声ではない。

 

面談などについてなどもいろいろ調べたけれど、基本、収容されている人間と面談

できるのは1日ひとりだけで、しかもそれが死刑囚になると、家族や弁護士などしか

面談できなくなるというので、やはり一般人はアンタッチャブル(触れられない)の

世界のようである。

 

どうしてそういう罪を犯したか?

死刑になることは恐くなかったのか?

やはり死刑囚の気持ちや思想は死刑囚にしかわからないと思える。

 

罪にもよるが、もしオレが死刑囚になったら、最後は悔い改めるだろうか、

それとも、自分の行動を正しいと信じたまま、絞首台にのぼるだろうか。

それは死刑囚になってみないと分からない。

 

大杉漣の遺作でもあり、またセルフプロデュースも担っている作品の

「教誨師」を週末に図書館で観た。

 

 

 

 

 

――

プロテスタントの牧師、佐伯保。彼は教誨師として月に2 回拘置所を訪れ、

一癖も二癖もある死刑囚と面会する。

無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木。気のよいヤクザの組長、吉田。

年老いたホームレス、進藤。よくしゃベる関西出身の中年女性、野口。面会にも来ない

我が子を思い続ける気弱な小川。そして自己中心的な若者、高宮。

佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない “生” を充実した

ものにできるよう、そして心安らかに “死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、

聖書の言葉を伝える。

しかし、意図せずして相手を怒らせてしまったり、いつまで経っても心を開いてもらえなかったり、

苦難の日々が繰り返される。

それでも少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、高宮だけは常に社会に対する

不満をぶちまけ、佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。

死刑囚たちと真剣に向き合うことで、長い間封印してきた過去に思いを馳せ、自分の人生

とも向き合うようになる佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される……。

(amazonより引用)

 

前に紹介したモックンの「おくりびと」は、‘死んだ人’を送りだす納棺師という仕事だったが

この教誨師はいってみれば‘これから死ぬ人’を送り出す仕事。

 

大杉漣演じる佐伯は、死刑囚に悔い改めさせる教誨師。

新任の教誨師として、拘置所で6人の死刑囚と対話する。

 

無口な死刑囚。

気の良いヤクザの死刑囚。

老ホームレスの死刑囚。

中年女性の死刑囚

家族思いの父親である死刑囚。

自己中で弱い者を大量殺害した若者死刑囚。

 

佐伯の回想シーン以外は、ほぼ教誨室のシーンである。

そこでおりなされる各死刑囚との対話がメイン。

 

ここで映像にある死刑囚との対話が果たしてどこまでリアルなのかはわからない。

ただ、死刑囚だけでなく、教誨師のほうもかなり疲労する場なのだなというのは

伝わってくる。

 

死刑制度というのはやはり難しい。

簡単にひとことでは語れない。

何度もいっているようにオレは消極的死刑賛成論者である。

被害者遺族のことを考えたら、それはそうとしかいえない。冤罪の可能性が

ない限りは。

それだけに人を殺してはいけないし、同時に生きることは大事だとも思っている。

 

でも、この「教誨師」のシーンでもあったように、誰にでも生きる権利があるといったら

死刑はどうなんだといわれたら、作品中の大杉漣のように言葉に詰まってしまう。

 

あくまで部分的でいえば、世間一般よりも死刑囚のほうが的確な指摘をしている

ときもあるのだ。

 

いろいろ考えさせられる映画かもしれない。

そして最後、ついに死刑が執行される人物は誰なのか。

 

この映画を観て思った。

小学校のときから社会科の授業で、裁判所とか罪とかについて基本的なシステムは

習うけど、中学か高校くらいで死刑囚の発言とか思想とかも習ったほうがいいんじゃないかと。

たとえそれが凶悪で常軌を逸した思想であったとしても、世の中には同じ人間でこういう考えを

持った人間もいるのだという勉強になると思うのだ。

 

検察や弁護については学んでも、実在の死刑囚については学校で教えない。

日本の教育はまだまだ臭いモノに蓋をしていると思う。