うっせぇわ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

下の人間が上の人間の話を‘ありがたいお話’とよくいうが、

その‘ありがたい’という表現は揶揄である。

 

ありがたいといわれる話が、事実としてありがたかった話だったことは

ほとんどないともいってよい。

 

前にもどこかの記事で書いたかもしれないが、オレの嫌いな言葉の

ベスト3は

1位 努力

2位 根性

3位 勇気

である。

 

好きな言葉ではない。嫌いな言葉。

もっと厳密にいえば大大大嫌いな言葉である。

 

前にちらっと働いていた零細企業で、社長との面談みたいなのが

月に1回ほどあるのだが、そこで例により社長からのありがたい言葉が

一方通行的にずっと話されるのだった。

 

それだけ長い時間拘束されて話を聞かされるのだから、途中までの

どこかで聞いたような精神論はきっと前フリで、最後はきっと社長というよりも

人としてすごく貴重な着地点的な言葉を聞かせてくれるのかと思ったら、

「すべては努力なんだよ」

というオチで終わられ、すごくガックリきたのと同様に失望したのを

今でも憶えている。

 

そりゃ、たしかに努力が報われるパターンもあるのは認めるけれど

組織の上のほうにいる人間というのは揃いも揃ってこの「努力」という

言葉を好んで振りかざす風潮が気持ちワルイし、もっと自分の言葉で

正直な声を訊かせてほしいという思いは強い。

 

話題の歌、Adoの「うっせぇわ」。

テレビでスポット的に流れているのはよく耳にしたが、この前まともにと一回

通して聴いてみた。

 

「二番煎じ言い換えのパロディ」

「嗚呼よく似合う その可もなく不可もないメロディ」

 

このへんはそういう自分の言葉で説教しない大人のことも歌っているんだろうな

と思った。

 

しかしこのAdoという歌手。

すこし前まで現役女子高生だったというから驚きだ。

 

オレが高校生の頃はどうだっただろう。

なんとなく将来やりたいことのビジョンはすこし見えていながらも、

それにたいして具体的に動くようなことはなく、ただただ遊ぶことばかり

考えていた。

 

自分たちが高校生のころも、ネットやYouTubeがあれば、きっと何かが

違っていたはずだ、というのはきっと言い訳になってしまい、実際もし

あったとしても、きっと何もやってなかっただろう。悔しいけれど。

 

ただ初めて通して聴いたとき、ちょっと違和感あったのは

途中、酒が空いたグラスがあったらすぐに酒を注ぎなさい、とか

みながつまみやすいように串はずしなさい、とか

大人の呑み会というシチュエーションでいわれることにたいして

うっせぇわと、と歌う歌詞があった。

 

社会人経験のない女の子がまるで社会人をわかったように歌うのも

どうかと思ったが、作詞と作曲は本人じゃないようで納得。

てっきりすべて本人が手掛けているのかと思っていた。

 

この歌、好きか嫌いかといえば好きなほうだけど、歌詞は微妙かも

しれない。

微妙というのは良し悪しじゃなく、まだ若い会社勤めない10代の子が

歌うぶんにはある種の大人への反抗ソングとしてノリがいいけれど、

社会に出ている20代や30代が歌ったら、ヘタしたら中二病とかとられかねない。

表現って歌ったり書いたりするタイミングが難しい。

 

自分の言葉で人にモノを伝えたり叱ったりするのも難しい。

 

「自分の言葉で話せよ」という台詞さえ、もう他人の言葉になっているフシはある。