三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

テラスハウスという番組は1秒も観たことはない。

だがそれに出演していた木村花さんという女子プロレスラーの方がネットによる

書き込みが原因とみられることで自殺してしまったニュースは当然しっている。

 

「きっとそのへんの騒動についてもケン74が反応して記事ですぐ書くんじゃないか?」

 

そう思ってくれた読者さんもいるかもしれない。

でもオレはあえてこれまで書かなかった。

 

いや、もちろんそれについて即座に述べたいことは当然あった。

だけど躊躇した。

 

ネットを利用して木村さんを批判した人間にたいして、オレがネットで批判する

ということは、表現や言葉に品や礼儀があるかないかだけの問題で

行動としてやっていることはそういう人と同じではないか?という疑問があった

のが理由。

 

だからまるまるそれで一回の記事を書くのは遠慮しておいた。

人がひとり攻撃されて亡くなっているので、不幸中の幸いという表現もまた

ちょっと違うのだが、事後の流れとしてひとつだけ木村さんに小さな救いがあった

とすれば、それは「たかがネットの声なんて気にするべきではない」というような

意見が世間や評論家の口からでなかったことである。

 

なんだかんだいっても他人の声やネットの悪口などは気になってしまうのが

人間ではないか。そしてその薄気味悪い匿名の攻撃力は第3者が思っている

よりもずっと強力なのである。

 

たとえばネットのコメントなどで「殺すぞ」とかきこまれても、本当に殺される

かもと恐がる人はほとんどいないと思う。

恐いというよりも気分悪い、気味悪いのである。

それはいたずら電話に似ているかもしれない。

いたずら電話をうけること自体に命の危険はないが、しつこく何度も

かけてこられると精神は参ってくる。

 

近日別記事で紹介する予定だが、あるタレントも自著の中で現代は

SNSやらLINEやら、メッセージを手軽にポンと送れてしまうため、

悪口や批判を人に送るハードルが低くなってきていると書いている。

まさにそのとおり。

そしてその流れの最悪の結果を招いてしまったのが木村さんの件だと思う。

 

もうなんというか、名乗った上での討論とかが今はあまりない印象。

「死ね」とか「消えろ」とか中学生レベルボキャブラリーの一方的な

吐き捨てばかり。

さきほども書いたとおり、これは通信ツールやSNSの発展が引きおこした

副作用であり、負の産物だと思う。

 

インターネットやスマホやSNSがなかった時代のほうが、互いに正面から

ぶつかりある「討論」なるものが存在する良き時代だったように思える。

 

先日「パラサイト 半地下の家族」を観た二日後、また映画を観にいった。

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」

 

 

かの有名な三島由紀夫と1000名以上の東大生がおこなった「討論」映像を

編集したドキュメント映画である。

 

映像そのものが貴重なのは十分納得しているが、正直それを映画として

料金を取ってまで公開するのはどうかなという思いはあったものの、

コロナの件に限らずいろいろストレスもたまっていたので、たまにはこうして

映画館でそれを発散するのもいいか、と思い観賞に出向いてきた。

 

あらすじは以下。

 

――

1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説

の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。

1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。

中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、

69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、

2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。伝説とも言われる「三島由紀夫 VS 東大全共闘」の

フィルム原盤をリストアした映像を中心に当時の関係者や現代の識者たちの証言とともに構成し、

討論会の全貌、そして三島の人物像を検証していく。ナビゲーターを三島の小説「豊饒の海」の

舞台版にも出演した東出昌大が務める。

監督は「森山中教習所」「ヒーローマニア 生活」の豊島圭介。

(映画・COMより引用)

 

世間的な視線でいえば保守派である三島由紀夫。

そして革新派である東大全共闘。

その双方がぶつかりあう。

 

ここで一句

東大生、昔は運動、今クイズ。

今の東大生といえばメディアの仕向けもありインテリという印象だが、

当時は学生運動が激化していて、東大生もギラギラした武闘派だった。

引用したあらすじにもあるように、さすがの三島でも1000人相手に喧嘩になったら

勝てる見込みはない。

だが、三島は警察の警護の申し出もことわり、単身で会場である東大駒場キャンパス

900番教室に乗り込む……

(実はもし三島が学生に襲われたらということを考えて、楯の会のメンバーが

教室に数人忍んでいたから厳密には単身ではないのだが)

 

ドキュメント映画なので俗にいうネタバレというのはないわけだが、あまり書くと

詳細説明になってしまうからので、感想を簡単に。

 

特別に面白かったというほどではないが、でもやはりこれこそ本当の「討論」

なのだなという熱は十分伝わってきた。

 

三島も東大生も伊達に天才といわれているわけでもない。

保守と革新、相反する立場でいながら感情的になるわけでもなく、下品な言葉を

吐き捨てることもなく、しっかり討論というレールの上で平行しながら走行し

論で戦っている。

 

このやりとりを観ていると、冒頭で書いたような便所の落書きのような

インターネットのおける書き込みが本当に低俗に感じられてならない。

 

世の中には本当に

「人の話を聞かない」

「自分の思想が正しいという前提でふっかけてくる」

人間が多いが、映像を観ていると三島も東大生も互いの思想をしっかりと

交換したうえで、それについても穏やかにそして丁寧に反論を返しているのだ。

 

また基本的な思想上の敵だからといって、互いになんでもかんでも相手を否定したりしない。

 

討論の途中で三島はこういった。

「右だろうが左だろうが、私は暴力に反対したことは一度もない」

「諸君らの熱情だけは信じる。他は信じなくとも」

 

最初は三島を論破して壇上で切腹させようと勢いづいていた東大生

たちもときには三島の言葉に拍手をおくったりする。

 

どちらも相手を軽蔑すると同時に、どこかリスペクトしている部分が

あるということの証だろう。

 

そして捉える角度は大きくことなるかもしれないが、どちらもつまりは

日本をよくしたいと願っているのが伝わってくる。

 

三島も学生も、日本がアメリカの尻に敷かれていることと、

極端な資本主義にうつつを抜かしていることに危惧を感じているという点では

考えが一致しているのだ。

三島は共産主義を嫌っているが、かといってアメリカを手本とする資本主義に

依存することも嫌っているのは市ヶ谷の演説で有名である。

 

 

 

三島に関連する人間のインタビューを挟んで編集された映像だが、気づけば

あっという間に約2時間経っていた。

 

内容的にも話題的にもいつか地上波のゴールデンおよびプライムで放送される

ような映画でもないだろうから、これはこれで劇場で観ておいてよかったとは

思える。

 

ただ気になったことがふたつほど。

 

予告編でも映っているが、東大随一の論客といわれ子連れで登壇した全共闘の

(当時の)芥正彦氏が、どうしても「おそ松くん」に登場するイヤミに見えてしまうこと。

もうひとつはシリアスに語る東出昌大のナレーションの説得力の薄さだった。

 

 

 

 

(2012年5月3日の防衛省見学ツアーの過去記事より)

ろう城した三島が突入してきた幕僚とやりあった際ドアにつけた刀の跡と演説したバルコニー

刀跡1

バルコニー