パラサイト 半地下の家族 白黒版 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

先日、新宿で通行人がホームレスの人にモノを恵んでいる光景を見た。

サザエさんみたいなアニメとかではたまに見かけるシーンだが、リアルな

世界で目にしたのははじめてだった。

 

通行人は若い女の子でホームレスは男性。

渡されていたのは大きいプラカップに入ったタピオカティーらしきモノだった。

 

すべて飲み切れなかったから処分ついでに提供したのか、それとも純粋な

憐みの御恵みだったのか。

どちらにせよ、そこの接点でひとつの小さな食品ロスが回避された結果に

なったのは間違いない。

 

ひとりのホームレスがふとしたことから飲み物を手にいれた光景をあとにそのまま

歩いていたら、今度その先にまたホームレスの人がいた。同じく男性だ。

 

男性は人の波がゆきかうこちら側に丸めた背を向けている。

男性の手元にジュースのペットボトルが見えた。

 

なんとなく2、3秒見ていたら、そのペットボトルの中に黄色い液体が

たまってゆくのが見えてしまった。

放尿だ。

 

公衆の目に露骨に入らぬよう、そしてやたらそこらビルの壁などにしないようにという

ホームレス男性なりの最低限の礼儀だったのか、それとも公衆トイレまでゆくのが

純粋に面倒臭いという程度の考えなのかは不明である。

 

いずれにせよ、不快ではあった。

ただその「不快」の正体において、果たしてどちらからやってくる不快感なのかという

自信がオレにはなかった。

ひとつは、ホームレスの放尿を見てしまったことにたいする不快感。

もうひとつは、そういうホームレスを見て嫌悪感を抱き蔑んだ目でみている

自分への不快感。

あるいは、両方なのかもしれない。

 

俗にいうネト○ヨとかは、とにかく働いていない人間を叩きたがるが、

いうまでもなく、ホームレスの人間には2種類ある。

「まじめに不器用にいきてきたからこそホームレスになってしまった人」

「ふまじめに生きてきた当然の報いとしてホームレスになった人」

である。

 

以前、ドリアン助川の「多摩川物語」という小説を紹介したが、

エピソードのひとつに空き缶を潰して暮らすホームレスのバンさんという

人が登場する。

あるひとりの登場人物がバンさんについて、

「ひょっとしたら、バンさんはなにひとつ盗めない性格だったからこそ

空き缶を潰す人になってしまったのではないか」

とつぶやくくだりがある。

 

いいたいことはくわしく書かなくともおわかりいただけると思う。

人をだませたり、食料を盗んだりできるくらいだったら、ホームレスになんか

なっていないのだ。

正直で不器用で嘘をつけなかったからこそ、不遇が続きそういう生活を

強いられているのである。

いつも弱者側に寄り添うドリアンらしい描写である。

 

現在の日本では「○じき」という言葉は放送禁止である。

だが、その理由は決して‘差別’だからという意味ではないらしい。

 

国がいうには、

「日本はすべての人が平等に健康的に暮らせる国だから、『○じき』

なんて存在しない。存在しない物を表す言葉などない」

とのことだ。

となると、どうやらオレらはいつも大都会の片隅や橋の下で幻覚をみている

ようである。

 

表現の仕方や品性はばらつくにせよ、現実的に日本に貧困は存在する

わけである。そこから目をそらしてはいけない。

 

コロナ騒動で世間が混乱しているこんなときだからこそ、助け合わないと

いけないのに、手を差し伸べるどころか騒動に便乗して非正規社員などを

ばっさり切っている企業も多い。

正当な解雇ならまだともかく、ここぞとばかりにコロナをきっかけにして。

貧困は慢性的である。

この試練のようなコロナ騒動で人間はなにも変わらなかったらもうジ・エンド

に近い。

 

もちろん、貧困は我が国だけの問題ではない。

遠くの国々でもお隣でも慢性で治らずにいる。

 

公開から半年くらい経っていて本当に今さらなんだけど、アカデミー賞を

獲得した『パラサイト 半地下の家族』を観た。ただし白黒版。

 

仕事終わったあと、ちょっと晩飯にゆきたい店があったのだけど、

まだそんな腹が減っていなかったので、翌日休みだし2、3時間ほど

どこかで時間を潰したいと思っていたら、ちょうど隙間時間にハマる

感じで劇場公開していたからいった流れである。

 

館内もソーシャルディスタンスでひと席あけての着席。

 

 

 

 

――

半地下住宅に住むキム一家は全員失業中で、日々の暮らしに困窮していた。

ある日、たまたま長男のギウ(チェ・ウシク)が家庭教師の面接のため、

IT企業のCEOを務めるパク氏の豪邸を訪ね、兄に続いて妹のギジョン(パク・ソダム)も

その家に足を踏み入れる。

(シネマトゥデイより引用)

 

 

韓国の貧困と格差を描いた作品。

自国の重い現実を描いた世界観という意味では賞を争った「ジョーカー」と同じである。

今やまさに万国共通の問題は貧困格差。

 

半地下で暮らすキム一家の長男ギウには仲が良く頭がいい友人がいて、

彼は富裕層であるパク一家の娘の家庭教師をしている。

その友人が海外に留学してしまうため、自分の代わりにパク一家の娘の

家庭教師をやってくれと頼むところから話ははじまる。

 

自分なんか頭が悪いから無理じゃないかというギウにたいし、友人は

「おまえなら下手な周囲の同級生より頭いいから大丈夫」という。

 

ギウは機械やデザインに強い妹のギジョンに頼み、有名大学の在学証明書を

偽造。それを持ってパク家の豪邸に面接にゆき採用されて家庭教師となる。

 

パク家には娘とその弟がいるが、パク家族の奥さんは弟の美術教師も探している

といい、それをきいたギウは妹のギジョンを知り合いの教師ということにして

同様に雇うことを奥さんに提案。

 

そこからパク一家から得る金で自分たち一家が暮らせるようになる

ギウとギジョンの計画がははじまる。

元からパク家に雇われている使い人たちを罠にはめ、追い出しては巧い誘導で

自分の母や父をパク一家に招きいれるギウとギジョン。

……

と、まああまり書くとあれなんで、内容紹介はこれくらいにしておこう。

 

アカデミー賞はシリアルで重めの作品が選ばれる傾向があるが、

この『パラサイト 半地下の家族』はどちらかといえば展開的には

娯楽サスペンスといった印象だ。

 

全体的に退屈なシーンはほとんどなく、ずっとスクリーンに目が釘付けとなった。

 

金持ちの富裕層だからこその油断。

そしてうす汚い半地下で暮らしていた貧困層だからこその雑草のような

強い維持。

そのへんの絡みがテンポ良かった。

 

白黒版だったからというのもあると思うが、中盤からは全体的におどろおどろしさが

漂っていて、ヒューマンホラーっぽかった。

 

 

総合的な感想。

多少ご都合主義的な場面もあるが全体的に面白かった。

肩がこるような遠回しなメッセージもないし、わかりやすい。

同じ貧困格差テーマでも個人的には「ジョーカー」のほうがちょっとだけ

オレ好みだけれど、「パラサイト 半地下の家族」も風刺が効いてて十分

見る価値はあり。

血の色がわかりにくかったということでいえば、やはりカラーで観る

べき作品だったかも。

 

 

中盤からラストにつながるキーとなるのはやはり、半地下の人間独特のあるモノに

たいする富裕層の暗黙の差別だった。