ポレポレ東中野/トークゲストは麻原彰晃三女‘アーチャリー’松本麗華氏 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前回の続き。

ときには社会派であるオレのブログの真骨頂へみなさんを誘おう。

 

2週間限定で公開されている「愛国者に気をつけろ!鈴木邦男」では

毎日上映後に鈴木氏と交流のあるゲストを日替わりで招いたトークイベントが

開催されている。

 

どちらかといえばこちらのほうがオレにとってメインだったかもしれない。

タイミングよく動ける日がちょうど興味あるゲストの日だったのだ。

これが足を運ぶ決定打となった。

 

前回の記事でポスター画像をアップしたが、この日のゲストはそこに名前が

書かれている。

それでピンときた人はかなりのキレモノであり、オレと気が合いそうである。

 

この日の上映後トークイベントゲストはカウンセラーの松本麗華氏。

オウム真理教の教祖だった麻原彰晃の三女だ。

 

 

教祖の実の娘だったということもあり、オウム時代の地位は、

上祐史浩、村井秀夫、石井久子と並ぶ正大師という事実上ナンバー2。

「アーチャリー」というホーリーネームは有名だ。

先日あった高校の同級生に、「オウムのアーチャリーってわかる?」と

きいたら、「ああ、アーチャリーはしってる!有名だよね」としっていたようだ。

 

事件当時はまだ11,2歳の子供だったから顔には加工が入って隠されていたが

週刊誌やワイドショーの映像にもよく登場していた。

 

オウム後継団体であるアレフはもうやめて、今はカウンセラーとして働いており

各方面との交流と続けている鈴木邦男氏とも仲が良く、映画にも登場していた。

 

そんなアーチャリーこと松本麗華氏と鈴木邦男氏、そしてこの映画の中村真夕監督に

よる3人でのトークである。

 

映画が終わるとステージ上に椅子が用意され、まずは鈴木邦男氏が登場。

おととしの安田純平氏シンポジウム会場でお見掛けして以来だが、もうかなりご高齢な

うえ、体調もあまりよろしくないようで、身内の方に支えられながらの登壇となった。

 

続いて監督と松本麗華氏が登場。

 

とくに場内アナウンスもなかったうえに、普通に写真撮影しているお客さんがいるところ

をみると、なんと撮影可のようであるので、オレの撮影させていただいた。

すこしでも多くの人にSNSなどで広めてもらいたいという意図かどうかは不明。

 

左から監督、松本麗華氏、鈴木邦男氏である。

 

 

さて、ここから鈴木氏や監督の言葉にこたえるようにして、

松本氏が、オウムを、そして父を語る。

これはかなり貴重な場だと思う。

 

まずはオウムについて。

鈴木氏がもし自分がオウムに入っていたら、他の幹部と同じように死刑になって

いたかもしれない、ということから話がはじまった。

 

オウムは高学歴の人間が多いといわれている。

松本氏曰く、逮捕されたり死刑になった幹部クラスの人はみな高学歴だったが

それ以外では中卒や高卒も多かったという。

 

松本氏は信者の人たちに出家した理由を訊くのが趣味だったようだ。

 

また小難しい人や頭のいい人がオウムに入信してしまうという論にたいしても

「いや、けっこう単純な人が出家するのでは」

というようにも答えた。

 

鈴木氏が「上祐さんとか頭いいでしょう?」と訊くと、

「いや、上祐さんはけっこうシンプルですよ」と回答。

 

メディアから伝わって得た情報と、すごく身近な存在にいた者による情報とで

かなりそこに温度差があるように感じた。

 

事件直後まだオウムの犯罪だかグレーだったかという時期には世間はいくらか

オウム信者に寛容だったらしい。

 

サマナ服で教習所に通う信者もいたりして、教官もまた教習生であるそんな

信者に対し、

「ブレーキを踏むときは、目の前に尊師がいると思って踏め!」

などといっていたこともあるという。

※それだけ強く思いきり踏めということらしい。

 

他にもいろいろ話はあったが、すべてメモれなかったので割愛。

 

 

 

あとは教祖でもあり父でもある麻原彰晃について。

 

オレらも友人とかと居酒屋とかでたまにオウムやサリン事件について雑談すること

はあるが、どれだけ関心を持っていても所詮は第3者なのである。

 

だから当然、「麻原」という固有名詞で話したり、あるいは「教祖」とかいう言葉を

使う。

 

しかし、この空間でなんだか不思議な感覚だったのは、麻原彰晃のことを

「麻原」でも「教祖」でも「尊師」でもなく「父」と呼んで話す人物(麗華氏)がいるということである。

 

実の娘なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、やはり居酒屋談議として

オウムを語るのとは全く異なった空気の空間がそこに発生しているのだ。

 

松本氏は麻原彰晃のことを「父」という呼称でいろいろ話をし続けた。

 

これはいろいろ考えさせられた。

 

被害者が加害者を語るとか、幹部が教祖を語るとかいうやりとりはこれまでメディアなど

でも何度も目にしてきたが、オウム事件について娘が元死刑囚の父親を語るなんて

いう場面を生で見たことがなかったから。

 

地下鉄サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件、目黒公証役場の仮谷さん事件、

信者落田耕太郎さんリンチ殺害事件など、多くの犠牲者を生んでいるだけに

オレは麻原彰晃を弁護するつもりはさらさらない。

 

しかし、家族に罪はあるのだろうかと。

 

仮に娘や息子がグルになって犯罪の片棒を担いでいたとしても、それがもう

立派な大人ならば一緒に裁かれて当然だといえる。

 

だが、まだ11歳や12歳ならば父親がどんなことをやっているのかなどぼんやりと

しか理解できない。

 

鈴木氏もいっていたが、

「本人が選んで麻原彰晃の娘に生まれてきたわけじゃない」というのはまた事実である。

以前に記事でも本を紹介したが今は麻原の家系から籍を抜いている四女も、

『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』という本を書いて出版している。

 

このトークで話された鈴木氏や松本氏の発言すべてに納得したわけでないが、

こういう場所ならではの貴重な角度からの視点を言葉に変えたものを得ることができたのは

事実だ。

物事において外側からは観られない内側に渦巻くものを垣間見れた気がした。

 

トークはおおよそ1時間。

書きたいことはたくさんあるが、上手くまとめられないのと、オレの文章力ではまだまだ誤解を

招く可能性があるので簡単にこのへんで。

もし質問などあればコメントで出来る限りお答えいたします。

 

トークはおおよそ1時間。

オレは比較的はじっこの席だったので鈴木氏や松本氏が退場する際も例により

ニアミスですぐ横を通った。

 

教祖はあんな感じだったけど、娘の麗華氏は話し方や仕草も、どこにでもいるそのへんの

女性だった。

とくに自己主張が強そうなわけでもなければ、しとやかとかいうわけでもない。

客席に知り合いの姿を見つけて、笑顔で声をあげて手をふる姿はまさにそのへんにいる

女性と同じだった。

 

特別フォローするわけじゃないが宗教職は感じなかったのでアレフを辞めたというのは

本当だろう。

しかし、彼女にはこれからも麻原彰晃の娘という十字架が一生ついてまわる。

 

映画もトークも濃い一夜だった。

すべて紹介できないのが残念だ。

後半では相模原障害者施設事件の話もちらっとでていたが、今後オレもまたさまざまな事件に

ついて関係者が語る場面をこうして追い続けてゆきたいと思う。