居酒屋兆治 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

忘年会シーズンである。

そんななか、今「忘年会スルー」というワードが話題だ。

 

組織においてすっかり年末の儀式となった忘年会にでたくないから

でないという風潮をしめすワードらしい。

 

忘年会にもいろんな角度からの視点があるから、ひとことにまとめて

いうことは難しいとは思う。

 

好きとは嫌いとかの問題ではなく、〆の行事だといわれればそうかも

しれない。

だが、長い地球の歴史で考えれば、忘年会という風習などほんのすこし前に

ボウフラのようにわきでた風習に過ぎないといったらそれもそう。

出席している人間が楽しめるかどうかというより、伝統行事が惰性でそのまま

続いているという考え方もオレの中にはある。

 

ただひとつ、忘年会を嫌うのは若い人の風潮というイメージがあるが、それは

違う。

年配だって中堅だって実際嫌いな人間は多いと思う。

電車内におけるマナー違反啓発ポスターに描かれたイラストにおいて

大股開いて座ったり大きな音で音楽聴いて周囲に迷惑掛けている乗客のモデルが

エリートっぽいビジネスマンや貴婦人よりも、ラッパー風の若者や女子高生のほうが

インパクトあったり見た人間の憎しみを煽りやすいよう印象操作されているのと同じで、

「忘年会嫌い=若い社員」

という刷り込みが既にオールドタイプの術中にハマりかけているので要注意。

 

口や表情にだしているかいないか、そして実際に拒否しているかどうかだけの問題で

心中における忘年会嫌いは老若男女関係ないというのがオレの持論。

 

はっきりいうとオレも忘年会は嫌いだ。

気の合う友人同士の忘年会はもちろん好きだし後日開催するが、会社などの

忘年会ほどダルイものはない。

 

だいいち、なんでようやく1年の疲れから解放されるというおめでたい日に一番

疲れなきゃならんのだ。

そこが矛盾している。

 

若手は中途半端に段取りをやらされる。

開宴までに仕事を終わらせろといわれるうえに、偉い人が来る前には席について

いろとしつこく念を押される。

ジョッキで頼めばいいのになぜか瓶ビールで頼んで、偉い人のグラスが空になっていたら

「ほら!社長のグラス空いてるだろ!横にいってついでこい!」といってくるやつがいる。

(気づいたんなら自分でいけよ)

無礼講という名の誇大広告。

途中トイレに立って、戻ってきたら別のやつが自分の席に座ってる。

しょうがないから空いている席を探したら、あまり親しくもないやつの隣りか重役のとなり

しか空いていない。

しょうがないから重役の隣りに座ったら、「自分が現役のころは誰よりも早く外にでて、人の

3倍はお客さんのところを回ったもんだ」という武勇伝をタラタラ聞かされる……。

 

うーん、やっぱりこんな1日は嫌だ。

下手に面倒くさい取引先のところで交渉するよりも疲れがどっとでる……

 

と、まあ、このブログの芸風だからやや毒を吐いたけど、なんだかんだでオレは

しっかりと出席してきたよ。

「この場所はそういうもんだ」

「タダで会社の金で酒が呑めるとわりきってやればいい」

と。

 

世の中に「仕事を楽しもうと思え!」という妙な風潮が蔓延していて、それにたいし

芸人の小藪一豊が

「仕事はつまらないもの!やりたくないけれど生活のためにしょうがなくやるのが仕事だ!」

と語っていた。

じゃあ小藪は芸人やお笑いが好きでやっているんじゃないのかという疑問はあったが、

小藪の立場の例を抜きで考えればオレも同意見。いや、現実でしょ。

ごく1部本当に好きな仕事をしている人はいると思うけど、大多数はしょうがなくやっている

はずで、心の底から好きなのじゃなく、自分にそう言い聞かせて納得させているだけ。

 

組織の忘年会も仕事と同じ。

「つまらない」「できれば帰りたい」、それが忘年会なのだ。

 

と、あえて極論を書いたけれど、本当に見失わず考えないといけないのは、

参加か不参加とかじゃなく、‘忘年会のあり方’なのだ。

 

たとえ仕事が終わったあとの時間であろうが、本当に自分にとって栄養となる時間、

そして空間だと思うならば、若い人だってきっと喜んで参加するはず。

オレだって実際、たとえ就業時間後で割り勘だったとしても、この人たちとなら

お酒呑みながらいろいろ話しききたいなと思ったことはある。

 

その忘年会スタイルが本当にみなが楽しめる流れかどうかを考える前に

参加しない人間を叩くという行為は、誰が食べてもマズイ料理をだす店の板前が

「どうして客が来ないんだ!」とキレているようなものである。

 

忘年会、とくに大勢の場はオレも苦手なので、これまでの人生で何度も参加してきた

記憶はあるが、詳しい状況はほとんどおぼえていない。

 

ただ、そんな大勢の人間がいる忘年会が終わり、やっと解放され、心が楽になり、

本当に気の合う同僚とふたり、さんにんだけの2次会でしっぽりと流れ込んだ

こじんまりした居酒屋の中の光景のほうがよくおぼえていたりする。

 

今はバリバリにコンプライアンス違反の一気コールもなければ、偉い人のありがたい

一言挨拶もない。

聞こえてくるのはBGMの八代亜紀や、カウンターの向こうで板前さんがトントントンと

野菜を刻む音だけである。

それこそ、本当に落ち着く雰囲気だった。

 

ちょっと前の夜にBSで放送されていた高倉健主演の有名な映画「居酒屋兆治」を

見たがまさにその世界。

 

 

――

北海道・函館。脱サラして小さなもつ焼き屋「兆治」を営む英治(高倉健)と茂子(加藤登紀子)の夫婦。

しかし、平凡ながらも幸せな日々を送っていた英治の前に、かつての恋人さよ(大原麗子)が現われた。

英治のことが忘れられないさよは、やがてすさんだ生活に身をゆだねていく…。
  

 山口瞳の同名小説を監督・降旗康男、撮影・木村大作、主演・高倉健の『駅STATION』トリオで映画化。

久々に等身大の庶民を演じる健さんの姿は実にさわやかで観ている側も心地よく、健さん映画に欠かせない

個性派俳優たちも競って店の客として登場。

またここでは映画初出演の加藤登紀子が絶品の味わいを見せている。

その加藤の名曲を健さんが熱唱する主題歌『時代遅れの酒場』も、この暖かくも切なく悲しい人間ドラマに

ふさわしい。

(amazonより引用)

 

以前もどこかの記事で書いた気もするが、この「居酒屋兆治」という映画の存在をしったのは

小学校中学年のときだった。

 

当時仲良かった友人の家に遊びにいったとき、ビデオテープケースの中にずらっと並んだ

VHSテープのうちの1本の背にこのタイトルが書かれていたのだ。

友人のお父さんが好きで録画保存していたのだろう。

 

そのときはまだ子供だったのでアニメ以外の映画とかはあまり興味なかったのだが、

プロ野球が好きで、当時ロッテオリオンズに村田兆治という投手がいたからそれでこのタイトルは

おぼえていた。

 

大人になってからも多少気になってはいたが、わざわざ借りてまで観てみようと思う映画では

なかったからBSの放送はちょうどよかった。

 

気になっていた理由は他にもあった。

この作品、原作は作家の山口瞳である。

 

山口瞳の本は正直ほとんど読んだことないのだが、国立に住んでいたというのはしっていて

作品に登場する居酒屋は国立市の谷保駅すぐ近くにあった「文蔵」という居酒屋である。

オレの地元。

 

今は文蔵はなくなってしまったが、山口氏がそこの常連だったため、その店とそこのお客さん

たちの人間模様をモデルにして書いたのが「居酒屋兆治」だったことをあとでしったため

一度観てみたかったというのもあった。

 

詳しくは書けないが、やはり地元の店がモデルというだけあって、作品中に登場する

個性あふれる常連客のモデルも、オレの家族や身内がよくしっている人だったりするみたいだ。

山口氏がお店でしりあった他の客と話したとき、そこで聞いたエピソードとかをそのまま作品中の

人物に当てはめたらしい。

 

正直いえばオレ個人的にはそこまでピンとくる作品ではなかった。

でも高倉健の人間臭さはやはりさすが。

そして、こういう居酒屋が街にひとつはあって、そこにひとりで通い詰めるように

なれたらかっこいいなあとは思った。

 

多くの人がこれだけ評価している映画だから、きっとオレはまだオコチャマなんだろう

とは思う。

この映画全体の良さがはじめてわかったとき、大人の映画を堂々と語れるのかも

しれない。

 

あと何年かしたら、もう1度観てみるべきだろう。

 

で、最後に最初の話に戻るけど、オレは組織の忘年会については

参加せずに批判するのではなく、「参加したうえで批判する派」である。

選挙と同じで、参加しているならばその悪い面を批判する資格はある。