ギルバート・グレイプ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

積乱雲ではなく入道雲。

ゲリラ豪雨ではなく夕立ち。

 

オレらの時代の夏休みはそんな言葉がよく聞こえてきた。

二度と戻らない懐かしい時間、懐かしい風景。

 

毎年恒例で神奈川県にある親戚の家に泊まりで遊びにいっていたのだが、

当時は東京だけでなくその周辺の県にも空地と呼ばれる場所がやたらとあり、

その親戚の家のすぐ目の前にも夏草がボーボーに伸びた空地があった。

 

ある年の夏休み、少年だったオレはその空地に生えている高い夏草の1枚の

葉の上で一匹の芋虫がもぐもぐと長閑に葉をかじっているのを見つけた。

 

今改めて考えてもどうしてそんな残酷なことを思いついたのかわからないが、

芋虫の姿をみたオレは、その芋虫が乗っている葉っぱに爆竹をさして思いきり

爆破してみようと思った。

 

夜に楽しむために買った花火セットの中に入っていた爆竹とマッチをとりにゆき、

束ねてある爆竹をバラして、その4,5本を食事している芋虫が乗っている葉っぱに

突き刺し点火して、すぐ離れたところに逃避し指で耳をふさいだ。

 

数秒後、パンパンパンパパパン!! という爆破音が閑静な住宅街に響き渡った。

音が鳴り終わったあと、オレはその葉っぱのところに駆け寄った。

 

爆破で焼け焦げて穴があいた葉っぱ。

そしてその上でさっきまで平和に葉を食べていた芋虫が体中をただれさせ

傷から緑の体液を流しながら苦しそうにもだえていた。

 

その姿を目にした瞬間、オレは言葉を失ったと同時に、これまで感じたこともない

くらいの罪悪感に襲われた。そして気持ちは限りなくブルーに底へ。

 

子供とは不思議だ。

誰からいわれたわけでもなく、自分から面白がって好奇心で生き物を殺したり

するのだけれど、実際殺したり苦しんでいる姿をみたら、急にとても悲しくなる。

 

芋虫の姿をみて、このひどい所業はオレがやったのかと。

なんでオレはこんなことをやったのか。

罪悪感と悲しみで過ごす夏休みとなってしまった。

 

大人になった今でも、あのときの芋虫には申し訳ないことをしたと思う。

平和に食事しているところを、わけわからないまま爆発されたのだ。

人間の世界でいえば無差別テロ意外のなにものでもない。

子供は純粋に残酷だというけれど、どうしてあのときあんなことをしたのかと

今でも悔んでいる。

 

映画『ギルバート・グレイプ』の冒頭のほうで、レオナルド・ディカプリオ演じる知的障害の

ある少年が田舎の家の近所でバッタと楽しそうに戯れているシーンがある。

 

だが、興味からかそのバッタをポストのふたのところに持ってゆきポストのふたを

バタンと締めて少年はバッタの首を切断してしまう。

 

明らかに面白がって自分でやった行為なのだが、切断されて亡骸となったバッタを見た

少年は、そこで改めてバッタが「死んでしまった」ことを認識し、悲しさのあまり号泣する。

ジョニー・デップ演じる兄のギルバートはそんな弟の頭をなでながら優しく励ます。

 

自分でバッタを切断しながらもそれで泣きだすディカプリオの映像をみた瞬間、

夏休みに芋虫を被爆させた少年時代のオレがフラッシュバックした。

 

 

 

――

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」のL・ハルストレム監督による青春映画。

アイオワ州エンドーラ。生まれてから24年、この退屈な町を出たことがない青年ギルバートは、

知的障害を持つ弟アーニー、過食症を病む250kgの母親、2人の姉妹の面倒を見ている。

毎日を生きるだけで精一杯のギルバートの前に、ある日トレーラー・ハウスで祖母と旅を続ける

少女ベッキーが現れる。

ベッキーの出現によりギルバートの疲弊した心にも少しずつ変化が起こっていく……。

(Yahoo!映画より引用)

 

ギルバートの弟であるアーニーはハンデを持っていて、ちょっと目を離すと街の給水塔とか

とにかく高いところに登ってしまい、警察沙汰になる。

兄のギルバートはそんな弟の面倒も見ながらも、太り過ぎで家からでなくなった母親の

面倒もみている。

妹もいるのだが、自分勝手なので、家族の世話はもっぱらギルバートの役割だ。

 

 

ただ、このテの設定のストーリーだと、たいてい、愚痴をいいながらも最後は世話する

とかいう流れだが、ギルバートにおいては家族を嫌いながらもとかでなく、弟にたいしても

母親にたいしても本当に正面から愛情を注いでいるのが他と違うところ。

弟も母親も守る、家族については笑い者にも噂話のネタにもさせないというギルバート

の優しさが涙を誘う。

 

街からもでず、自分の青春も犠牲にして家族に愛情をささげるギルバート。

そんなギルバートの唯一の癒しは、かなり年上の人妻との逢瀬。

 

不倫や浮気が必要以上に叩かれる昨今だが、この映画のギルバートに限っていうと

自分の時間を犠牲にして、そのうえこれだけ人生に疲弊しているのだから、

その時間くらいは幸せを感じてほしいとさえ思ってしまうほど感情移入できる。

 

そんなギルバート一家の前に現れるベッキーという女性。

そこからはじまるまた新しいひとつのストーリー。

 

そして最後、母親が亡くなるのだが、あまりに太り過ぎた母親は2階の部屋から

運ぶことができない。

かといって、特別な搬送をしたものならば周囲にもバレて、あっという間に

街の笑い話として広まってしまう。

そこでギルバートがとった行動による衝撃のラスト……。

 

ジョニー・デップもレオナルド・ディカプリオも正直、好きでも嫌いでもなかったけど

この作品の役と演技においては素晴らしいと思わず拍手。

 

まだあどけないディカプリオも初々しいが、メイクなしの若いジョニー・デップも

なんか新鮮。

「ナチュラル・ボーン・キラーズ」ではヤンチャな殺し屋娘を演じていたジュリエット・

ルイスの存在も映像中に添えられたささやかな花という印象だ。

 

名作だけど、まだ観たことない人には絶対おススメの感動の1作。