ショーシャンクの空に | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

直接対峙して話をしたいと思う‘第3の男’が実はいる。

前からコンタクトをとれる機会がないかとぼんやり近況をリサーチしていた。

 

それはマーシーこと、T代まさし氏。

 

社会派対談でまだ未開のジャンルはずばり「薬物」。

今時期的に注目されていることもある。

T代氏は今は薬物治療施設ダルクの職員であるから、啓蒙という意味で真剣に

話しをさせていただきたい、と伝えればなんとかつながるんじゃないかと。

 

と、思っていたら先日なんと、NHK Eテレの「バリバラ」という番組に薬物依存に

ついて語る講師役としてT代氏が出演していた。

 

元タレントとはいえ、まだまだ知名度や話題度があるようだから、素人相手に

無料で時間を割いてくれることは難しそうな雰囲気だ。

 

そんなT代氏、登場早々から呂律がまわっていなかったので、MCから

「まだ(クスリ)やっているんじゃないですか?」

といじられていた。おそらく台本かカンペだとは思うが。

 

するとT代氏、

「いや、よくそういわれるんですけど、(ヤクを)キメていたらこれが逆に

ビシっとしゃべれるんですよ。なんでスムーズに話しているほうがアヤシイです」

と返答。

 

なるほど。やっていた本人がいうだけリアルだ。

いいこと聞いた。

オレはよく口うるさい人間から、やれ声に覇気がないだの、はっきり大声で誰々みたいに

しゃべれといわれるので、そのときは「ハキハキしゃべる人って、キメてたりするらしいですよ」

と返してやりたいと思う。

もちろん、極端な売り言葉に買い言葉だが(笑)

 

その後はシャネルズやラッツをしらない若いアイドルの女の子たちに自分が音楽でバリバリ

活躍していたころのことを解説していた。

 

正直、T代氏のダジャレやギャグは当時からあまり好きではなかったのだけれども、

名曲「ランナウェイ」を語っているとき、

 

「♪連~れていってあげるよ~~、とか歌ってたら、(両手首の内側をあわせ手錠を表して歩き)

オレが連れてゆかれちゃったんだから」

といっていた自虐はちょっとウケた。

 

でもT代氏も薬物で3回捕まって府中刑務所にも数年入っていたわけだから、

それを考えると元気だ。

 

これまでも2名、個人的な取材と興味で刑務所に長い間入っていた人と会い話したけど

やはり元気だった。

 

もしオレが刑務所に3年でも30年でも入ったとしたら、出所することにはすっかり

精気を削がれていると思う。

あるいはそれまでに滅入って廃人になっているかもしれない。

 

仮に刑務所に入ることになったとしても、自分自身が本当に犯した罪ゆえの流れなら

まだ納得ゆくし、素直に受け入れるとができる。

精神が崩壊することにも耐えられるかもしれない。

でも、もし冤罪だったら……

 

自由と時間を奪われただけでなく、自分がこうして閉じ込められている間にも

自分をハメた真犯人がのうのうと暮らしていると思うだけで、やり場のない怒りが

爆発して、そちらの要素のほうで頭がイカレてくるかもしれない。

 

 

映画「ショーシャンクの空に」にかんしては、以前AERA的なダジャレタイトルで政治記事を

書いたが、実はそのときまだ元ネタとなる「ショーシャンクの空に」は観てなかった(;´∀`)

 

タイトルをネタにした以上、元作品も観ておかないとイカンと思い、あの記事を書いた

直後くらいにDVDで視聴。

冤罪で刑務所に長年入った男の話である。

 

 

 

――

スティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』を映画化したのが本作である。
   妻とその愛人殺しの容疑で終身刑の判決を受ける、銀行マンのアンディ。

無実の罪ながら投獄されるが、決して希望を捨てず、自由を得られる明日を信じ続ける。

一方、古株の囚人レッドはそんなアンディに、「刑務所で希望をもつのは禁物」だと忠告する。

 

アンディとレッドの友情を中心に、ショーシャンク刑務所で生きる男たちのさまざまな人間模様を

描いていく。人生の不条理や悲しみを問いかけながらも、たどり着くラストシーンは見る者の胸を

さわやかに、だが強く打つ。
  

 いつも静かで穏やかだが、内面に強い意志をもち続けるアンディを演じるのは、ティム・ロビンス。

その友人レッドに、モーガン・フリーマン。長い囚人生活に疲れはてていたが、忘れていた希望を

とり戻していく姿がいい。監督は『ザ・フライ2』を手がけたフランク・ダラボン。

(amazonより引用)

 

 

無難に良い映画。

 

これはあくまでフィクションだけれど、実際に冤罪で何年も刑務所に入れられた環境下で

ここまで前向きに生きてゆこうと思える人間は稀だろう。

 

人生は理不尽だけれど生きることを諦めるなというメッセージだと思う。

 

長年刑務所内にいて出所してシャバに出た老いた元受刑者が、刑務所のなかでは他の受刑者

から一目置かれていたのに、外の世界で働きだしたとたん一気に食物連鎖の底辺的な扱いをうける。

 

それはもう塀の中とか外とか関係なく、どこかに属する人間はすべて一歩組織の外へでたら

役職やキャリアも関係ない偉くもないただの人だという、スティーヴン・キングもしくは監督なりの

風刺的な演出だったのだろう。

 

そして脇を際立たせたのは汚職所長の存在。

一件ほがらかで優しそうに見えるけど、やることはエゲツナイ。

邦画「それでもボクはやっていない」の終盤で、冤罪の青年に有罪判決をくだした小日向文世

演じる裁判官を思いだした。

 

しかし、スタローン主演の「ロックアップ」にしても、ルパン3世の「必殺鉄トカゲ見参」の回に

しても、主人公が収容される刑務所の所長はなぜか裏とSっ気がある所長が多い(笑)

 

最後、主人公は地道な作業で年数をかけて刑務所から脱出(脱獄?)するのだが、

あれもひとつの「何事も諦めずしっかりとコツコツとやれ」というメッセージだったのかなと感じる。

 

そう、オレもコツコツと文学賞にだす小説を書いているけど、今書いている作品は煮詰まった前回

と比べるとペースが快調で、なんとか現在400字詰め原稿用紙で210枚までいった。

 

応募小説を書いている人ならばなんとなくわかると思うが、余裕ぶっこいてるわけでもかっこつけてる

わけでもなんでもなく、200枚くらいまで書くことはさほど難しくないのだ。

ただ、200枚まで書いて、応募規定が240枚以内だった場合、残りの文章をうまく40枚以内で

収めるほうが難儀。

 

どんなに素晴らしい世界観、面白い作品が仕上がったとしても、240枚以内が応募規定の

賞に241枚の作品だったら、それはつまりドボン。

 

具体的に例えれば、そう、アレだ、アレ。

わかるかなあ?

「風雲!たけし城」的な肉体ゲームで、助走つけて滑走路上に置かれたボディーボードみたいな

板に飛び乗り滑っていって、矢印の位置と池に滑走路が途切れた間でうまく止まらないといけない

あのゲーム。

勢いが足りず矢印の手前でストップしてもアウト。

勢いあり過ぎて池に落ちてもアウト。

そう、アレ。

 

ライターズハイになって、勢いよく200枚までスラスラ書けたら書けたでそれはいいとしても

話をうまくまとめた結果、枚数が241枚までいってしまったらそれは池にドボンと同じアウト。

今後の作業は勢いの調整となりそうだ。

 

小説を書いてきて本当によかったと思うのは、現実の世界でクズな人間と出逢えば出逢うほど

小説の世界で登場させるクズキャラのモデルには困らないことである。

 

どんなキャラを作れば読者から嫌われるだろうかなど、わざわざ考えなくていいのである。

実際に出逢ったクズをそのまま原稿の世界に放り込んで描けば、オレが盛ったり脚色する

必要もなく、自動的に読んだ人たちから思いっきり嫌われてくれるだろうから(笑)

 

悪いがそのへんだけはポジティブにいかせてもらうよ、ニヤリ ( ̄▽ ̄)