花いちもんめ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

都内に空地がない。

改めてそう思う。

雑草がボーボーになっている更地はあるがだいたい「立入禁止」と書かれた看板があり、

柵があるのでオレらの定義でそれらは子供たちが自由に遊べる空地とは呼べない。

 

オレが小学生のころはまだ空地があり、学校が終わったらカラーバットとカラーボールを

持って草野球をしにゆく風景があった。

 

野球をやっていると、顔なじみの近所の酒屋のおじさんがバイクで通りかかり、

オレらを見つけるとバイクをとめて近寄ってきて、

「おう!バットはもっと短くもったほうがいいぞ!」

などと教えてくれ、すこし試合をみたあと配達に戻ってゆくような交流の風景も

同時に存在した。

ややサザエさんチックな光景がある古き良き時代だった。

 

やがて中学生になると空地で遊ぶこともなくなった。

高校生になると、他の市に住む友達が集合しやすい駅にあるカラオケやボーリング場

で遊ぶようになったので地元で遊ぶこともなくなった。

 

大人になったら実家を離れたので、実家近くを歩くことすらもなくなった。

 

5、6年前だろうか。

たまたま実家に帰ったとき、久々に近所を歩いていたら、その酒屋のおじさんを

見かけた。

さすがに歳はとっていたが、顔には面影が十分あるのですぐわかった。

 

オレのほうをじっと見ているので、向こうもあのときの子供が大人になったのが

オレだということに気づいたのだと思い、

「あ、こんにちわ、お久しぶりです」

と声を掛けた。

 

そしたらおじさんはキョトンとしたまま何かいってきた。

「○×は、▽☆ですか……?」

と。

 

え?今なんていったんだろう?

 

最初はオレがおじさんのいったことをよく聞きとれなかったんだろうと思い、

「え?なんですか?」

と、丁寧に訊き返した。

 

するとおじさんは同じ表情のまま、また「○×は、▽☆ですか?」

と繰り返した。

 

発音は聞き取れたが、いっている意味がわからない。

火星で大喜利のお題をだされたような不思議な感覚だった。

 

おじさんはまだそこにじっと立ったままオレを見つめている。

 

そこでやっと状況が飲みこめた。

酒屋のおじさんの記憶はオレの中ではあのころの元気なおじさんのままで

止まっている。

だが、おじさんと最後にあった日からもう30年以上が経っているのだ。

顔こそ面影があるが、おじさんはもう十分なおじいさんだ。

 

そうだ。

長く会っていなかった間、おじさんはすっかり老人になり、そしてボケてしまったのだ、と。

オレの顔もおぼえていたわけじゃなく、ただそこを通りかかった人にひたすら話しかけて

いたのだろう。

 

なにをいっているのかわからないとはいえ、しっているおじさんだけに無視することは

罪悪感からしてできず、かといって同じことしか聞かないから、相槌で返事を繰り返しても

きりがない。

 

とりあえず、ひとことふたこと適当に返したあと、「すいません、ちょっと用があるので」

といい、その場を去った。

なんだか、ちょっと表現しずらい切ない時間だった。

 

オレがはじめて老人の「ボケ」という症状の存在をしったのは、たぶん小学生のころだと

思う。

 

そのころひとつの映画が公開されて、テレビでそのCMがよく流れているのを目にした。

十朱幸代と西郷輝彦が出演している「花いちもんめ」という作品である。

 

 

 

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――

長寿王国ニッポンが抱える大きな社会問題に、俊英・伊藤俊也監督が真っ向から取り組み

描いた超問題作。

 

人間誰しも避けられない “老い”と、徐々にやってくる“ボケ”を通して、ボケ老人を抱えた家族の

動揺、そして家族の絆の強さと脆さを見つめ、第9回日本アカデミー賞最優秀作品賞・脚本賞・

主演男優賞を受賞した作品。

 

もと大学教授の考古学者・鷹野冬吉が“アルツハイマー型老年痴呆症”にかかった。

軽いめまい、手足のしびれから始まり、極度の物忘れ、家族の顔や名前さえ判らなくなり、

ついには失禁、徘徊、妄想と、一気にボケが進行する。そして、そんな冬吉に戸惑いを隠せない

家族たち・・・。

物語は、ボケてしまった義父の面倒をみながら大奮闘する長男の嫁・桂子を中心に、

家族ひとりひとりの反応と人間模様を涙と笑い、感動と衝撃で綴る人間悲喜劇。

(amazonから抜粋引用)

 

キャッチコピーは

「おじいちゃんが壊れてゆく 家族の戦争がはじまる」。

 

テレビでCMを観たときはまだ小学校5,6年だっただろうか。

同世代でおぼえている人もいくらかいそうな気がする。

それだけセンセーショナルなCMだった。

 

おじいちゃんが部屋で暴れながら、襖の紙をびりびり破り、叫びながらその紙を口へと

放り込みモシャモシャ食べ、それを家族がはがいじめにしてやめさせている。

(本編を観たら流れがわかったのだが、既に食事をしたのにそれを忘れてしまい、家族から

飯を断られたら、腹が減ったと騒ぎだし半狂乱になって襖の紙を食べだした)

 

そんな場面が流れ、映像が切り替わったと思ったら今度は部屋の中で白いモモヒキ?の

尻の部分を茶色く汚したおじいちゃんがまた騒いで、周囲がそれをとり抑えている。

 

叫びながら紙を食べたり、排せつしたまま部屋を歩いたり……

今この年齢なら、深刻な社会問題、老人のボケ問題として冷静に捉えられるが、なんせ

映画公開された当時はまだ子供。

 

小学生だったオレにとってこの映像はかなりトラウマだった。

 

そのころから社会的な問題には興味ある兆候があったので、観たい思いもあったのだが

排泄場面の生々しさや、自分が老人になったころを想像して照らし合わせるとやはり怖くて

映画そのものは気になっていたものの、大人になったからもなかなか観るということに

踏み切れなかった。

 

でもすこし前に思い切って鑑賞。

とくに大きな出来事があるとかいう話じゃないけれど、約2時間退屈することなく

目を離すことなく見入ってしまった。

 

おススメという表現はちょっと違う。

日本に生きて老いてゆく者は、一度観ておくべき作品といういいかたが一応

もっとも適切かもしれないというのがオレの見解。

 

この「おじいちゃん役」の千秋実さんという方。

公開当時でも実際それなりのご高齢だと思われるけれど、解説などにもあるように

演技が本当に迫真ですごい。

 

暴れたりするシーンが鬼気迫る一方、日常でボケーとする演技もリアル。

 

それと作品全体の構成が素晴らしい。

テーマに悲喜劇とあるが、まさにそのバランスが絶妙に仕上がっている。

 

映画というのは基本エンタメ。

いくら老人のボケという深刻な問題をテーマにするにしても、それなりのユーモアは

練り込まないといけない。

 

演出としてお気に入りという言い方をしてしまっていいかわからないが、そんなシーンが

いくつかあった。

 

徘徊するようになってしまったおじいちゃんが、ある日娘のネグリジェを来て夜に

外出してしまう。

それを見てクスクス笑う周囲の通行人たち。

 

そこまでならまだいいのだが、おじいちゃんがはその恰好のまま歩いて

盆踊り会場までゆき、踊る人の輪の中に入っていって大勢の注目を浴びてしまう。

 

また別の日。

同じように今度は家族のいる前で夜に外出しようとするのだが、部屋を出る前、

壁のほうに向きを変え、キリっとした動きで上にある神棚に向かい、両手を大きく

パンパン!と叩くシーンがあるのだが、実はそれは神棚ではなくて、昔ながらの

横長の茶色いエアコンなのである。

 

エアコンを神棚と思いこみ、礼儀正しく手をあわせるおじいちゃん。

それを見ながら半ば呆れたようになにもいわない家族の面々。

 

この2つのシーンにおいては、笑っていいのか笑っちゃいけないのかというなんとも

微妙に演出されたユーモアで、監督の手法に拍手だった。

テーマがテーマだけに重くなり過ぎず、かといって大爆笑までもってく不謹慎さもなく。

ご長寿早押しクイズ的なユーモアを感じた。

 

考古学の権威で考古学が好きだったおじいちゃん。

痴呆症になっても、自分の好きなことだけはやはりどこか忘れずにいる姿が切なすぎる。

 

御興味あれば、これは本編で観てもらいたいのだけれど、夜に徘徊するおじいちゃんが

工事現場に遭遇したときの行動は、冷や汗と涙が一緒に流れそうだった。

 

超高齢化社会の日本を考えるなら、

また、老後の自分を想像してその姿を向き合うのであれば、ジャンルとして好き嫌い関係なく

みておくべき1作だと思う。

 

オレもトラウマだからということで終わらせず、観ておいてよかった。

うん、あえて「面白い」という言い方をしたい。