スティーヴン・キング「ゴールデンボーイ」 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

「最近読んだ本でおススメとかあります?」

と訊いてくる友人知人はセンスあると思う。

 

ここ1、2年でも久々話した友人知人はじめ2、3人からその質問を受けて

嬉しくなった。

 

はっきいってどれだけ親しくても、本とか音楽とか映画って個人によって

好きなジャンルが思いきり偏るモノだと思うから、たとえ自分が気に入っても

あまり強く勧めたりしてこなかったのだ。

ラーメンでいえば、同じラーメン好きでも、そのテイストやサッパリ、コッテリによって

好みがわかれるようなもので。

 

だけど、「おススメの本」を教えてほしいという人は、基本的に読書が好きな人間だと

思うので、その質問を受けた際はだいたい「これを是非読んで!」

とすすめている小説がある。

 

過去に記事でも紹介した、李龍徳の本だ。

当時の記事はこちら

『死にたくなったら電話して』

 

この作品は本当に面白い。

ここ数年で読んだ小説の中では思いっきり爽快で気持ちよく酔える毒が

調合されている。

 

この場を借りて改めてまた強くおススメしたい一冊である。

 

で、それによりすこし前に同じ小説好きの友人とスカイプで通話した際、

おススメの本を訊かれて、この「死にたくなったら電話して」のことをいった。

 

過去記事を参考にしていただければ早いが、具体的に生きづらさを感じている

予備校生がひとりの若いキャバクラ嬢と出逢い、彼女から絶望哲学を聞いているうちに

その世界にどっぷり浸かってゆく話だと簡単に説明した。

 

そしたら、その友人から

「まるでステーヴン・キングの『ゴールデンボーイ』っていう小説みたい」

という声をもらった。

 

映画化もされたようだが、逆にオレはその作品をしらなかったこともあり

ちょっと興味を持って借りて読んでみた。

 

――

トッドは明るい性格の頭の良い高校生だった。

ある日、古い印刷物で見たことのあるナチ戦犯の顔を街で見つけた。

昔話を聞くため老人に近づいたトッドの人生は、それから大きく狂い…。

不気味な2人の交遊を描く「ゴールデンボーイ」。30年かかってついに脱獄に成功した男の話

「刑務所のリタ・ヘイワース」の2編を収録する。キング中毒の方、及びその志願者たちに贈る、

推薦の1冊。

(amazonから引用)

 

「死にたくなったら―」のほうは徳山という予備校生がキャバ嬢と出逢うことにより

人生や価値観が変わってゆく。

 

この「ゴールデンボーイ」は、トッドというまじめな少年が、元ナチの老人と興味の話に

興味持ち、交流しているうち、少年、老人ともに自分の中にある、あるいは残っている

残虐性に目覚める、というような話だった。と思う。

 

たしかに似ている。

というか、この作品が参考になったのかもしれない。

 

正直いうと、後半のほうは疲れてボンヤリ読んでいたのであまり細かい流れはおぼえて

いないのだが、全体的にその不気味っぷりはさすがキングという印象は濃かった。

 

なにかといえば、人にたいして話したり、物事を伝えたりするのが上手い人間になれ、って

いうおエライさんはいるけれど、よく考えるまでもなく、

「しゃべりが上手い人間=思想が正しい人間」というワケではないから、その教育も考え物

であるとオレは感じる。

 

中身は邪悪やインチキだけど、人を納得させたりすることには長けた人間がトップや

カリスマになってしまう危険性もあるのだ。オウムのように。

 

オウムの場合は比較的稀なケースだったのかもしれない。

 

でも、やはりこの人の話を聞きたいと思わせるような人っていうのは、本人が意識せずとも

それなりの人望を無意識に持っている人だとは思う。

 

今から自分の立場なりの立派なことをいってやろうとかいう意図がある人間ていうのは

やはりどこかその雰囲気がにじみ出ていて、まわりもあまりしっかりと耳を傾けていない

のがわかる。

 

オレは小学校のころ、朝礼で校長先生や学年主任が話しているとき、壇上の先生よりも

他の生徒の様子を観察したりした。

 

会社勤めしてからも、社長や役員が話をしているとき、他の社員の様子を観察したり

していた。

 

それによってわかるんだな。

今、話している人が人望あるかどうかが。

 

「この人の話を聞いていれば、いつかためになる言葉がでる!」っていう人望を

持っている人が話ているときには、多くの人間が真剣な視線でその人をじっと見ている。

 

一方で、ほんとにしょーもない自慰行為同然の演説を垂れている教師や上司が話している

ときは一応視線だけは向けてはいるものの、みなその顔が退屈を通過して呆れた表情を

してるものなのだ。

 

それも個人の価値観のサジ加減といえばそれまでだけど、人望測定におけるひとつの

判断基準にはなると思う。

 

「人の話を聞いてるのか!」と怒る人はよくいるけれど、今一度相手にそう怒る前に

自分自身が人に話を聞いてもらえるような人望や信頼を持った人間かどうかという確認

作業をしたほうがいいかもしれない(笑)

 

オレ個人としては、たとえ正論であっても自分の保身やイメージを優先してるのが

垣間見えるような人の話はつまらないから聞きたくない。

 

だったら、たとえ本音じゃなく悪ぶっていたとしても、その人なりのセンスと毒を

味わえる話を聞きたいものだが、リアルな世界ではなかなかそういう魅力的な人物に

出逢うことがなく残念である。

オレもその魅力ない人間のひとりだという自戒も込めて。