カメラを止めるな! | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

映画やドラマに出演する俳優は無名のほうがいい。

もちろん公開前における話題性は乏しくなるので、局も配給会社も

できるだけのギャラをはたいて、人気役者や大御所をラインナップする

のは自然だと思うが、誰もがしってていろんな劇で顔を見かける俳優は

どうしてもその俳優としか見えない。

 

なので、どんなドキュメント風の映像で素人を演じたとしても、

「人気ある俳優が素人をしっかりと演じているな」としか映らず、

どうしてもひとつ壁を挟んで冷静に観てしまい、臨場感に欠けるのは否めない。

 

それを踏まえると、やや演技が大根であったとしても無名役者が演じているドキュメント

風映像のほうがリアリティがある。

プロであろうが素人であろうが、どちらにせよ観たことない人には違いないので、

ある意味では新鮮味溢れ、比較的ではあるが、どこの誰かしらない近所の一般の人たちの

行動を映した8ミリビデオを観ているような気になれる部分はある。

 

ドキュメント風映画ではないが、初期のころの北野武映画は無名役者メイン起用で

有名だった。今は人気者路線になってしまったようだけど。

 

素人と有名というよう対比の流れでもうひとつ映像関連をいわせてもらうと、

あくまで個人的な考えだが、もともと地味でブサイクだった男女があるキッカケで

美男美女に生まれ変わり、そこから人生が変わったとかいう映像もあまり好きじゃない。

整形、魔法、あるいは単純に努力でも、すべてひっくるめて。

 

正確にいうと、世界観の設定は別にいい。

ただ、そのブサイク→美男美女への変身における演出の過程が嫌なのだ。

 

よくあるのが、もともと美形の顔として売り出している男性アイドル、女性アイドルに

ブサイクメイクをさせて最初のほうで登場させる。

いわゆる黒髪でオカッパあるいはボサボサヘア、丸メガネに、青白いドーラン。

そして無表情。

そのメイクが既に「不細工イメージ」においた偏見。

不細工といえばこういう形相というような。

 

そして、作品ごとの流れで途中いきなり美男美女に変わる。

ストーリー上は魔法だったり整形だったり努力だったりするんだけど、

現実的にはもともと美形だった男女俳優が、そのメイクを落として普段テレビや映画で

見せている顔をだしているだけである。

 

え、なに?

それって遠回しに

「ワタシ、なにもしなくても普段からすごい綺麗な顔してるから、ブサイクな役を引き受ける

ときはわざわざそういうメイクしないといけないんですよね、タハッ!」

「オレって普段の顔も、劇的に変身したっていうような役ができるほど美しいからね、へへ」

っていいたいワケ??

 

嫉妬である。

それはさきに認めておく。

オファーも本人ではなく事務所かMGが受けたであろうこともわかる。

でも精神がコロネパン状態にねじれたオレみたいな人間はそういう角度で捉えてしまう。

 

そんな流れだったら、まだ本当に不細工な役者にそのまま不細工役で登場して

もらって、CGかあるいは手の込んだメイクで美形役やってもらったほうが修整技術も

含めて評価できる気もする。

 

でもプロデューサーとかも「素顔のままで不細工役で」とはなかなかオファーできないか。

オンエアは実際観てないし、今ならば差別要素的なもので設定もタイトルもNGだけれど

ずっと昔(日テレ?)で「ブスでごめんね」っていうタイトルのSPドラマがあったのをおぼえている。

 

見た目はイマイチな男女カップルの恋愛ドラマだった。

ブ男(当時の局の表現)役にはトミーズ雅。

ブス役には陸上系の女性アスリート。

 

ちなみに同じ陸上ジャンルにて偶然にもフルネームとキャラが似たような女性がふたり

いるけどそのうちの片方である。

 

当時まだコンプライアンスがゆるゆるだったとはいえ、ラテ欄で番組名を観たときに

「この局もずいぶんリスクを犯すタイトルと設定のドラマやるなあ」

と感じた。

 

そういう意味で興味あったので、ラテ欄の下にあった番組紹介文もちらっと読んでみた。

この時代はまだ役者意外のジャンルの人がドラマとかで演じることがなくて、局が

女性アスリートにオファーをだしたのは極めて異例だった。

 

結果としてオファーを引き受けドラマ出演したが、最初にスタッフから「ブスな女性の役で」

とオファーされたときはかなりショックだったといっていた。

うん、別に善人づらするわけじゃないけれど当然だと思う。

トミーズ雅は芸人だからまだネタになるけれど、アスリートは本業じゃないうえにブス役と

いわれたわけだから。そのとき「自分ブスなんだ……」って改めて思わされたとか。

今だったら大問題だ。

 

あと、ずっと昔の中学か高校のころ、ミッキーローク主演の「ジョニーハンサム」

という映画を観た。

ものすごく醜い顔の男(ミッキー)が、顔を完全に変えて別人になりすまし、かつての

恨みを晴らしにゆくという話で、タイトルどおり生まれ変わった男はハンサムな顔になった。

でもそれも現実的には、不細工メイクを落として普段のミッキー・ロークの顔になっただけ。

 

作品的にはまあまあ面白かった気もするが、演出過程的にはこれもまたミッキー・ローク

の顔や表情がセクシーだということを改めてプロパガンダした映画という印象もあった。

 

 

さて……

 

最後はブサイク役の論になってしまったが、冒頭は映画の無名役者起用の話題から入ったので、

それにひっかけて話を再開するけど、この前地上波放送された話題作『カメラを止めるな!』を

観た。

 

 

 

 

 

記事の冒頭、なぜここまでダラダラと前口上を書いたかというと、やはりこの映画の記事を書くに

あたっては多少ネタバレにつながることを書かざるおえない。

 

だけど、いきなり「ネタバレ注意」と、それから書き始めてしまうとこれから観ようという人は今回の

記事まったく読めなくなってしまうので、冒頭から‘ここまで’は、まだ観ておらずこれから観ようという

人のための文章。

 

例によって詳細なネタバレまでは書かないけれど、それにつながる文章は書いてゆくので

もう地上波やDVDで観た人、これからも観る予定はないという人だけが自身の御判断で

以降記事の続きを読んでいただければと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。

本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。
そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる! 大喜びで撮影を続ける監督、

次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
“37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル! "

―――を撮ったヤツらの話。

(amazonから引用)

 

うん、面白いか面白くないかどちらかといえば面白いとは思った。

 

でもやはりコメンテーターや識者が絶賛し過ぎて、これから観ようという人たちに

たいしてのハードルを上げ過ぎてしまった部分はあると思う。

 

「ユージュアル・サスペクツ」の記事のときも書いたかもしれないけれど、

先行して観た人やコメンテーターとかが、そろってもったいぶって

「後半でいきなり……」とか、「大どんでん返しが!」とかいうのを聞いていると

こちらも「なにかある」と構えた姿勢で観てしまうと同時に必要以上に期待して

しまう。

 

その情報が頭にあったからかどうかはわからないけど、作品中でも後半で

ネタばらしされるが、ところどころに散りばめられた違和感で、途中仕掛けがわかって

しまった。

 

オチというか仕掛けに気づいたのは2か所。

もちろん、その違和感もネタバレに向けた意図的なモノだとわかっているが、

この時点では「なにかヘン」とボンヤリ思わせながらも明確には気づかない人も多いだろう

ことまで意図した演出。

 

ひとつは、逃げるスタッフを撮影しているカメラのレンズについた血しぶきを撮影者の手

を拭っているシーン。

 

もうひとつは監督が、カメラに向かい、「カメラは止めない!撮影は続ける!」と叫ぶ

シーン。

 

本当に現実としておきている事態であれば、ゾンビに追われているカメラマンを

目の前で追っているカメラマンもゾンビに襲われていないとオカシイわけだからね(笑)

その違和感にすぐ気づけば正解がでるのは早い。

 

それと、「最後の最後でどんでん返し」というよりかは、ちょうど真ん中から「B面公開」

といった感じだった。

時間軸的なモノでいえば、前田敦子が出演していた「イニシエーション・ラブ」の

A面、B面のようなモノか。

 

ほんとに最後の最後で、ラストの展開があるかなと思ったけどそのままでいった。

そこは考え過ぎだったようだ。

 

うん、やっぱり決して悪くはなかった。

だけど前にメディアがちと盛り上げ過ぎた。

 

逆にあまり語らず、多少ハードル低くしてたほうがその反動が大きくなって、さらに評価

あがったんじゃないかなって思う。

 

ホメ殺しとはまた違うんだけれど、人って世間が大絶賛している作品にたいして、

「自分は酷評してやろう」っていう戦闘態勢を構えてしまいがちなので、何にも影響されず

純粋な目で作品を見つめるのって難しい。