へルタースケルター | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

昔、オレより年も役職もずっと上なのにまったく仕事をしない上司がいた。

自分の席から見ていてもあきらかに仕事をしてない様子が目にとれてわかって

いた。

ここまでなにもしないとむしろクールミント並に爽快に感じるほどだった。

 

ほんっとに仕事しねえなァと、いっつも思っていたが不思議と嫌いではなかった。

人あたりがよく、説教とかをしてこなかったからかもしれない。

オレ自身が努力とかモーレツとかいった類が大ッ嫌いなので、はっきりいって

しまえば、もっともらしい役職に落ち着いて、もっともらしい表情と口調で、もっともらしい

仕事の在り方を冷静に語るような人間よりかは、たとえダメ人間でもいくらか面白い

人間のほうが好きなのかもしれない。

 

ただ、他の上司は重役出社だったのだが、その上司はいつもオレと同じくらいの

始業20分前くらいには出社していた。家ですることがないからだったからかもしれないが

それは立派だなあと感じていた。

 

まだ数人しかきていないオフィスにまずオレが先に出社して始業まで時間があるから

パソコンでラーメン情報などを見ているところに、その上司がやってくる。

上司もラーメンやお遊びが好きなので、オレが観ている画面をのぞき込んでは

「お、○○!ラーメンか! 最近はどっかいったか!?」

などと嬉しそうに訊いてくるのでオレも答える。

そんなやりとりが毎日行われた。

 

ある朝、ラーメン情報ではなくて、Yahooニュースを観ていた。

なんだったかまではもう忘れてしまったが、新商品かなにかのニュースを観ていて

たしかそのキャンペーンキャラとかが沢尻エリカで、その画面の文字情報の横に

沢尻エリカの大きな画像が貼りついていた。

 

するとそこにも例の上司がきて画面を見、オレに向かって、

「なんだ? おまえ、沢尻エリカ好きなのか?」

といってきた。

 

オレはその商品に興味があっただけで沢尻エリカのファンではないので、

誤解されたくないから、

「いや、ファンじゃないですけど、たまたま見つけたこのニュースで紹介されている

商品がちょっと気になって……」

と、あーたらこーたら釈明の弁をウダウダいいだしたら、上司がひとこと。

「そこは『別に……』(と答えるところ)だろ!」

 

うーん、ごもっともだ。

このときの指摘はさすがに自分のアドリブと機転の利かなさを痛感した。

仕事をしない上司から説得力があってオレ自身も納得ゆく指摘をされたのは

そのときがはじめてだ。

ごもっとも過ぎて、気持ちいいくらいいまでもあのときの記憶が鮮明に残っている。

 

でも、そのときなんのイベントに沢尻エリカがでていたのかは、まったく思いだせない。

沢尻エリカは有名だけれど、オレの中では「別に」と「映画へルタースケルター」の

印象しかないのだ。あ、あとはハイパーメディアクリエイターの元妻。

 

しかもいってしまえば映画の「ヘルタースケルター」も観たことない。

にもかかわらず、その印象が強いということは彼女の存在感がそれだけ濃いか、

映画の存在感が濃いか、あるいは両方とも濃いかということだろう。」

 

もともとへルタースケルターにも原作漫画の岡崎京子にもほとんど興味なかったけれど

以前記事でちらっと‘気になる’と書いた漫画「チワワちゃん」(同じくまだ未読だが)の

ストーリーをしってから、なんとなく岡崎京子という漫画家の世界観に関心を持ってきて

「ちょっと読み切りのものがあれば1冊くらい読んでみたいな」

と最近思っていた。

なのでブックオフなどいったときもどんな本があるかなどの情報収集はしていたのは

前にも書いたとおりである。

 

社会性や芸術性などにて定評もある漫画家さんなので、もしかしたら市の図書館にも

おいてあるんじゃないかと思い、検索機で調べてみたらなんと「ヘルタ―スケルター」が

あるではないか。

 

やはり人気作で貴重扱いの部類に入るらしく、開放棚にはおかれておらず、

書庫に大事に保存されているなかの1冊だった。

読みたい、もしくは借りたい場合は資料票を出力して受付に持ってゆき係の人に

渡す。そうしたら係の人が書庫へゆき10分弱くらいで呼び出してくれる。

 

これは読んでおこうと思い、資料票を受付に持っていった。

やがて手元に。

 

 

 

実はもうちょっと早い段階から図書館で調べてそこにあるということはわかっていた。

だけど、やはりこの表紙はオッサンにとってかなりのハードルだった(汗)

 

若いコが受付だった場合、岡崎京子やヘルタースケルターの存在をしっているだろうかと。

同年代か、やや年下くらいの人間ならばオレ同様作品自体は読んだことなくとも、そういう

名作があるということをしっているからサブカルに興味ある男が参考にこの名作を読んで

みようと思ったんだろうという理解を得られると思うが、まだこのへんの作品や作者とその

定評をしらない若い司書のコとかが、オレの持ってった資料票を見ながらこの漫画を

見つけた際、

「うわ、いい年こいたオッサンがおっぱい表紙のエロそうな漫画借りてる!キモッ!」

などと思われるんじゃないかという想像力がフル稼働してしまい、しばらくためらっていた。

でも、いい。

一度受け取ってしまえばもうラクだ。

 

ということで出してもらったこちらを館内で読んでみた。

 

――

もとのままのもんは骨と目ん玉と髪と耳とアソコぐらいなもんでね あとは全部つくりもんなのさ」。

大掛かりな全身の整形手術とメンテナンスにより、完璧な美しさを持つモデルの「りりこ」。

女優や歌手としても活躍し人気の絶頂を迎えるが、体は次々に異常を訴え始める。

それにつれてりりこの心の闇も濃く、深くなり、彼女の人生はやがて手もつけられなくなるほどに壊れてゆく。

(amazonから引用)

 

正直いうと、読み始めた最初のほうでは

「ああ、やはり女性漫画家独特のこのタッチは苦手かな……」

と感じなくはなかった。

 

だけど読み進めているうちにけっこうストーリーに引き込まれ、同時にそのタッチもなんだか

斬新に感じてクセになりそうになってきた部分はあった。

 

全身を整形でかためている主人公「りりこ」の苦しんだり、企んだりするときの表情は

あの細い線で描かれているからこそ、迫力や不気味さが際立っているのかもしれない。

 

読み始める前は、はっきりいって女性の美にたいする執着と、それに付随する崩壊を

描いた話だとばかり思っていたが、流れの中では医療の闇や親子関係などの社会的な

病理も練りこまれていて、想像していた以上に深くよくできた漫画だった。

 

ところどころ「りりこ」の心の声が文字だけでコマの中に書かれているが、

その心の声もリアルで怖く、面白い。

人間のほんとうに弱い部分や醜い部分が的確に捉えられている印象だ。

 

整形。

これについてはなんともいえない。

 

顔を変えたい願望には2種類あると思う。

 

ひとつは純粋にひとつ上の美しさを手に入れたいという人。

あるいはコンプレックスを消したいという人。

 

もうひとつは理由あって、過去の顔を消したいという人。

 

最近は女優の有村架純の姉?が整形したとかちょっとした話題になっていたが

あれはおそらく前者。

 

ホステス殺しの福田和子や、イギリス人英会話講師のリンゼイさんを殺害した

市橋受刑者は後者。

 

後者においては世間から姿をくらますため意外の理由はないが、前者においては

そんなブサイクでもないけどなあっていう人もいる。

 

それこそ別にファンでもなんでもないが、しいていえば有村架純の姉も別に前の

顔でよかったと思う。

妹と比較されることが本人にとっては辛かったのかもしれないけれど、整い過ぎて

いないアンニュイな顔もそれはそれで味があると個人的には思う。

 

でも人はやはり、それが可能であるならばできる限り美しくなりたいものなのかね。

 

親からもらった体に傷をどうだこうだっていうのは、オレもちょっと古い考えかなとは

思う。

軽い気持ちやオシャレ感覚の整形は賛同できないが、その顔や肉体を持って生まれて

きた人間の気持ちや痛みは本人にしかわからないもの。

 

整形したことによって、いじめやコンプレックスから解放されて楽になったり

人生を楽しめるようになるのであれば、それもありかと思う。

それこそ世間一般が大好きな「啓発」というやつの肉体ヴァージョンだといえよう。

 

 

ちなみにお笑いトリオのジャングルポケットの「おたけ」もデビュー後に整形して公表していた

らしい。

前に営業で地元にやってきたときに同じジャンポケの太田がトークでそういっていた。

でも、どこのメディアもそれをとりあげなかったとか。

それはなぜかというと、「誰も元の顔をしらないから」だとか。

 

太田曰く、「知らない顔のやつが知らない顔になったところで、誰もわからないので」(笑)