自分より頑張っている人に頑張れなんていえない | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

学園ドラマや漫画のシーンで、とくにつき合っているわけでもない男女が

なんとなく親しく話したり互いに褒め合ったりしていたりすると、周囲が

「○○のこと好きなの!?」とか、「お互い気になってんじゃないの!?」

などと妙な詮索をしてきいてきたりする。

 

そういうとき、いわれた女子あるいは男子が必死に否定するわけだが、その

表現は決まって顔を真っ赤にしながら首をブンブンとふって、

「違うよ! そんなんじゃないよ!」

というセリフをいうことが多い。

 

子供のころ、不思議に思っていた。

どうしていつもこういうシーンにおいて「そんなんじゃないよ!」というのか、と。

クラスの中でも誰かが現実的にこのセリフをいっているのを見たことがない。

第一、「そんなんじゃないよ」の「そんなん」ってなんだ??ととても不自然に感じていた。

 

だが、高校生のときに同じシチュエーションがめぐってきたことがあった。

オレがひとりの女子とちょっと仲良く相談をしていたら、近くにいた誰かが

そういってはやし立ててきたのだ。

 

オレがその女性の前から少し離れたときに、「仲いいじゃん?好きなの?」と

いってきたような気がした。

 

そのとき、自分でも不思議だったんだけどなぜか反射的にこの、

「ち、違うわ!……そんなんじゃないよ!」

という言葉が自然と口からでた。

いってて自分で驚いた。

 

でもこのとき、人は実際に「そんなんじゃないよ」と説明してしまうことがあり、

同時にその理由もわかった気がした。

 

もちろん、そこに至るまで漫画やドラマでキャラがそのシーンでそのセリフを

口にするという情報が先にインプットされていたというのも可能性としては「

ありえるが、現実的にいきなりそう訊かれたり冷やかされたりすると、そういう

よくわからない回答をとっさにしてしまうものなのだ。

 

自分のそのときの心境をもとに分析すると、そのとき仲良く話していた女子に

たいして特別な感情は本当にない。

かといって別に相手の魅力を否定しているわけでもないし、嫌いなわけでもない。

人として、同級生としてはとても好きだけど悪い意味じゃなく恋愛感情はない

という位置である。

 

よって、そこで言葉を用意してないうちに意表を突かれて

「仲いいけど、○○サンのこと好きなの!?」

なんて聞かれたら、恋愛感情だけを否定するつもりがついうっかり反射的に

「好きじゃないよ!」と叫んでしまいそうになる。

 

でも、その表現だけだとそれはそれで相手を人としても嫌いだと訴えているように

も誤解されかねない。相手の女子がそれを聞いてそう捉えたらショックをうけるだろう。

恋愛感情はないけど、人としては好感持っているわけだから。

 

じゃあ、そこでひとことでなんと言い訳したらいいかと思いを必死にめぐらせながらも

うまくまとめたひとことが思いつかず、自分でも混乱した結果、すべてひっくるめて

ついつい「‘そんなん’じゃないよ!」と雑にまとめてしまう、というのがオレの見解。

見解というよりも当時のオレがそうだった。

 

まだスマホもSNSもない時代の中学生のそんな恋愛や青春を描いたスタジオジブリの

名作映画「耳をすませば」の中でもヒロインの月島雫がその「そんなんじゃないよ!」と

いうセリフをいうシーンがある。

 

基本、トレンディドラマとか恋愛アニメもしくは漫画は観ないんだけれど、「耳をすませば」

はやはりどこか甘酸っぱく自らの学生時代を思いださせてくれる名作なので地上波で

放送されるたびに観てしまう。

しかも、もう何度も観ているにもかかわらず、雫のボーイフレンド役のセイジの声優が

高橋一生だったのはしらなかった。

 

恋愛モノが好きじゃないオレだけど「耳をすませば」にかんして好きな理由としては

なじみのある聖蹟桜ヶ丘が舞台だからというのもあるが、さっき書いたように人間の描写が

リアルなところと、あと改めてしっかり鑑賞しているとところどころにハッとするセリフが

さりげなく散りばめられている。

 

先日の地上波放送を見てても今まで意識してなかったのにハッとしたヒロイン雫の言葉が

あった。

 

「自分より頑張っている人に頑張れなんていえない……」

 

バイオリンづくりの職人になるため、外国へ留学にゆくことを決めたセイジにたいして

淡い恋心を抱くヒロインの雫が、セイジにたいしてどう応援していいのかわからず悩む

シーンの描写である。

 

たかがアニメのキャラのひとことだなんて捉えてはいけない。

このセリフ、まさに相手にたいする礼儀的な哲学を含んでいる。

スルーしてはいけないシーンだ。

 

昔、お笑いタレントのジミー大西が他人から「ジミー、頑張れよ!」といわれたら

それにたいして「おまえも頑張れよ!」と返すネタがあった。

 

大変失礼ながらオレは正直ジミーはあまり好きじゃないし、そのキャラや芸風もあまり

受け入れられないのだが、このギャグにかんしては、ちょっと自惚れた人間にたいする

揶揄みたいな部分があるのかなと感じていた。

 

誰だったか忘れたが、あるプロ野球選手がファンから「頑張ってください!」といわれた

とき、表面ではマニュアル的に笑顔で対応したが心の中では

「ふざけんな、おまえなんかより昔からずっと頑張ってるよ!」

と憤ったというエピソードを聞いたことがあり、その気持ちもなんとなくわかる。

 

はっきりいえば、いっているほうはそんな深く考えず純粋に良かれと思ってそういっている

のだろうとは思うけれど、いわれた側からするとやはりどこか「上から見られてる」

「見くだされている」「所詮他人事だと思われている」という印象を受けるのはある。

 

オレは「頑張る」「ガンバレ」という言葉が大嫌いだと以前から書いているけれど、

それはともかくとして、本当に頑張ることをする人間というのは人からいわれるよりも

ずっと前からとっくに頑張り続けているものである。

 

だから声を掛けられた時点で、できることは既にやっているわけだから、そこが最高地点

なのだ。それ以上はできない。

その時点であまり結果をだせていないとうことは、もうその人の限界がそれだということ

だから、それ以上頑張れということは、精神的にショートして行動的にもパンクしろという

ことと同義である。

 

まず第一に、仕事の忙しさとか時間的なことだけでなく、慢性的な悩みなど抱えて日々を

必死に生きている人間は自分のコマの進め方で精いっぱいのはずである。

自分自身が頑張ることでいっぱいいっぱいだ。

 

互いに支え合う意味で百歩譲って「互いに頑張ろう」というような言葉は交わし合うと

しても、一方的に他人に向けて「頑張れ」などという余裕はないはず。

 

そして自分がそれなりに気張っている自信があるからこそ、自分より苦労をしらない人間から

気安く「頑張れ」などといわれたら当然腹がたつはず。

 

そこで腹が立たないのならば、それは自分自身まだ全然頑張っていないと自覚しているか

あるいは、相手のほうがはるかに苦労して悩んでいると認めているかのどちらかである。

 

もう、10年近く前になるだろうか。

西武ドームに埼玉西武ライオンズのファン感謝デーにいったことがあった。

 

当時の監督は渡辺久信監督だった。通称ナべQ監督。

 

グラウンド内のあちこちでさまざまなアトラクションが開催されていたのだが

ナベQ監督と握手できるコーナーがあり、そこに並んだ。

 

しばらく並んで自分の番がきたとき緊張してドキドキした。

小学校時代、球場に足を運んだときマウンド投げていたトレンディエースにひとこと

掛けることができて握手できるのだから当然だ。

 

そしてナベQ監督の前にきて握手したとき、一瞬反射的に「頑張ってください!」

といいそうになったが、さきほどのプロ野球選手の言葉を思いだし、その言葉を飲み込んだ。

 

そのプロ野球選手がそういったからただ鵜呑みにしたわけじゃない。

自分で考えてみてもたしかにそうだと思った。

 

ナベQ監督に限らず、すべてのプロ野球選手がオレなんかよりもずっとシビアな環境に

身をおいている。

そんな監督や選手にたいして、オレみたいな素人観客が「頑張ってください!」なんて

口にするのはたしかに失礼に値すると自らの考えで判断した。

 

なのでその場で一瞬考えた結果、

「これからもずっと応援させていただきます」

といわせてもらった。

 

ナべQ監督は「あ、ありがとうございます!」と返答してくれた。

 

ナベQ監督はとてもできた人なので、もしオレがそこで「頑張ってください」といった

としても決して嫌な顔せずに「ありがとうございます」と答えてくれたと思う。

 

でも、このときのひとことはオレ自身もっとも無難でベストだったと今でも思っている。

 

ただしプロ野球選手や芸能人の場合はその忙しさが露出の具合によってわかるけれども

我々一般人同士はお互いどちらがどれくらい忙しいかというのがわからない。

 

誰のほうがどれだけ忙しいのかということも、個人のキャパシティによるので、

拘束時間とか業務内容だけでは比べられないのが事実である。

 

もしかしたら周囲の誰よりも自分のほうが忙しいのかもしれない。

あるいは表にそのそぶりは出さないけれど、自分より周囲の人間のほうがずっと大変で

悩んでいるのかもしれない。

そんなことはお互い24時間監視でもしていないと判断できなくて当然である。

 

でもオレは相手のほうが自分より忙しかったり、悩んだり、苦悩してる可能性がある以上は

決して「頑張れ」という声の掛け方をしないようにしている。

 

もしも相手のほうが見えないところで気張っていたり、もがいていたり、苦しんでいた

場合は失礼だと思うからだ。

 

なので、もし友人や知人がなにか新しいことなどにチャレンジするとかいうことを聞いた場合、

オレは絶対に「頑張れ!」なんていう言い方はしない。

 

「良い結果がでることを祈っています」

「応援しますけどあまり無理しないでください」

というようないい方をさせていただく。

 

芸はないかもしれないし、これもこれでマニュアルっぽいかもしれないけれど、

本心だ。

その人が自分なんかよりずっと頑張っている可能性がある限り、オレごときが

「頑張ってください」なんて上から目線でいえない。

 

平成最後のMー1王者に輝いたコンビ「霜降り明星」の片方の芸名は「粗品」。

どうしてそんな芸名にしたのか?という質問にたいして彼の答えは

「つまらないモノですが……という謙虚な気持ちの意味で」とのことだった。

 

どうでもいいことのようで、とても重要な姿勢だ。

 

たくさんのビジネス書を読み漁って、相手を褒める多くのボキャブラリーを身につけていたとしても、

何気ないふとした場面の発言で、そいつが相手を自分よりも上にみているか下にみているかと

いうのが露出するものである。