先日11月19日はミッキーマウスの誕生日。
90年前にミッキー主演のアニメ映画が初公開されたそうである。
それにより某ランドのアトラクションにはたくさんのファンが押し寄せた
一方で、経営しているオリエンタルランドは従業員からパワハラ問題で
訴えられ、別の騒動もおこっている。
またどこかの会社では、ミッキーを異常に愛する女が会社の大金を
横領し、その金で不倫相手との逢瀬に使うだけの豪邸を建てたとニュースで
やっていた。
家のあちらこちらにミッキーのシルエットやイラストを散りばめてあることから
近所ではミッキーハウスと呼ばれているという。
新卒社員にむけた社内セミナーなどでも、社長が社員にたいして「夢」を
語る際、ディズニーやミッキーを引き合いにだしては陳腐な熱論を投げかけている
傾向があるというのも今も変わらないらしい。
ミッキーは昔も今もアメリカだけでじゃなく、世界共通の「夢」や「自由」の象徴の
ような存在になっている。
もはやアニメキャラという小さな枠の中のチューチューさんではない。
しかし、共通の人気者というのは同時に様々なツールに使用される運命にもある。
かつて東国原英夫が宮崎県知事をやっていたとき、宮崎の経済を盛り上げるため
商売するにあたって自分の似顔絵イラストはフリー素材として勝手に使っていいと
発信したら、ある風俗店がイラストを使って話題になったことがあった。
だが、職業に貴賤はないという人の意見を前提とすればそれは決して悪いこと
ではないし、風俗店はNGというのは職業差別である。
イメージうんぬんの問題はあるにせよ、それなりの知名度のある人気ものが
そのような発信をする以上、十分に想定できたことである。
またミッキー含めた人気者やポピュラーソングのメロディというのはあらゆる
シーンで遭遇する。
よって、望まない環境下にいた際にたまたまその場にミッキーのイラストがあったり、
あるいはミッキーのテーマが流れていたとき、のちにミッキーを見てその記憶を
フラッシュバック的に呼び戻してしまう可能性もあると思える。
幼稚園のころスイミングスクールに通っていた。
自分から希望して通ったのではない。
正直憂鬱だった。
水着に着替えて、自分の担当の先生の班にゆき入水前に全員で体操をするのだけど
幼稚園児の体操はラジオ体操ではなくて、ミッキーマウスのテーマに合わせた踊りの
ようなものだった。
♪ミッキマゥ!ミッキマゥ!ミッキミッキマウッ、っていうあのテーマに乗せて、手をパンパン
叩きながらその場でクルクルと回ったり、♪エイエイエイ!にあわせて手を上につきあげた
りする踊りだった。
当時も子供ながら「これのどこが体操なんだ……」と冷めた目で感じていたが、おそらく
園児向けに習い事とは違う楽しいイメージをつけようとした演出だったのだろう。
小学生にあがったら、急に通常のラジオ体操に変わり、それはそれで事務的でつまらない
とは思った。
本来明るく楽しいはずのミッキーマウスのテーマだが、そんな経験があったゆえ、オレの中では
辞めてからもしばらくは「ミッキーマウスのテーマ=憂鬱な時間のはじまり」という概念として
インプットされてしまい、あまりいい音楽とは思えない時間が長かった。
聞く度にスイミングスクールを思いだしてしまった。
スタンリー・キューブリック監督の名作『フルメタル・ジャケット』。
もうかなり前の有名作品で、各書籍などでもラストシーンの解説ありきで紹介され
ているから書いてしまうが、ラストにおけるミッキーマウスのテーマの演出は衝撃的だった。
昔、スイミングスクールの体操の時に聞いたミッキーマウスのテーマと似たような感覚の
重さで耳に入ってきた。
替え歌でもなければメロディをアレンジしてるわけでもない。
なのに恐ろしい。
静かなる狂気。
派手さでない演出という位置づけでは、ある意味もっとも映画史に残るラストシーンだった。
※まだ観ていない人やこれから観たい人のため、ラストにおいて今はここで止めておくが
知りたい人のために記事の最後にそのへんを記しておく。
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もういうまでもないが、内容はベトナム戦争モノ。
ベトナム戦争映画においてはオリバー・ストーン監督が人気を爆発させたが、
それらにたいしてキューブリックが違う切り口で製作したような作品。
――
ベトナム戦争を舞台に、殺人兵器へと変貌していく新兵たちの狂気と、報道記者の視点から
戦争の日常の中にある狂気を描いた、スタンリー・キューブリック監督が贈る異色の戦争ドラマ。
(amazonから引用)
舞台の流れは大きく前半と後半にわかれているといってよい。
前半は新兵の訓練所の光景と、そこでしごかれ罵倒され殺人兵器へとかわるべく訓練を
受ける若者たちの姿が描かれている。
マシュー・モディーン演じる新兵たちはサウスカロライナにある訓練所で、リー・アーメイが
演じる鬼教官ハートマンに徹底的にしごかれる。
前半のこの訓練所の場面で圧倒的に印象に残るのは教官ハートマンの口から次々
飛びだす汚い言葉。
とくに芸術性のある映画内での字幕だからこそ表現がクリアにされているであろう
4文字の放送禁止用語は頻繁にでてくる。
この映画をはじめて観たのはレンタル開始されてすぐのころだがびっくりした。
多くの映画関係者や映画ファンがかたっているが、あとになってからキューブリックの
あのセリフ起用の思いきりの良さは素晴らしいと思えた。
それなりの環境にはそれなりのシーンがあるというキューブリックならでは
のメッセージだったのだろう。
過酷なのは汚い言葉による罵倒だけではない。
戦争にゆくための兵士の養成機関なので、教育や訓練の在り方もまさに地獄。
とことん追いつめられたおデブで食いしん坊の新兵はある日ついに狂って教官を
射殺。自らも銃口をくわえ自殺してしまう。
そんな流れをふまえ、第2部ともいえる戦場へと舞台が変わる。
報道隊員として戦地へ出向いたジョーカーはそこで訓練所時代の仲間と再会。
やがて戦闘へもくわわる。
終盤で建物に潜んでいて姿の見えないやり手の敵スナイパーが登場する。
たったひとりの狙撃手の前にジョーカーの仲間たちは次々と散ってゆく。
狙撃手が潜んでいると思われる場所まで決死の突入をするジョーカーたち。
そしてついに対峙するのだが、そこで見た狙撃手の意外な正体もまた衝撃的だった。
そして、その後冒頭に書いたラストシーンを迎える。
戦闘服をまとうジョーカーの胸にはピースマーク。
だけど、ヘルメットにはボーン・トゥ・キルの文字。
自分の置かれている環境にも、そして自分自身の人間性にも矛盾を感じる
ジョーカーとその仲間たち。
戦争ばかりしている国と、世界的な夢のキャラであるミッキーマウスを生んだのは
同じ国である。
現場で人間を殺している人種も、ミッキーマウスを心から愛している人種も同じ民族である。
それは最高の矛盾。
狂気にも映る最後のミッキーマウスのテーマは様々な捉え方ができるが、
そんな皮肉も含んでいるキューブリック風の演出だと思えた。
いかなる環境のもとでも、自分たはちミッキーを生んだ国民だという誇りを持てとも
捉えられるし、たとえ戦場という場面でもミッキーを歌うくらい前向きでいろというような洗脳的な
軍隊教育への警鐘にも捉えられる。
まだ観てないがこれからも本編を観る予定のない人、
もう観たことあるのでわかっているけど、もう一度観たい人は下のリンクから
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