太陽がいっぱい | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

結婚したことはない。

だから当然自分が主役となる披露宴なるモノを開催したこともない。

 

結婚して披露宴開催したことある女性から聞いた話だと、来てくれる友人などの

席位置を決めるのはかなり骨の折れる作業だったとのことだ。想像つく。

 

自分がその席にいて、両隣に座る人を指名するのであればまだいくらか

ラクだろうけど、自分自身は違う席にいて、離れた卓にすわる他人同士の

組み合わせ(席)を決めないといけないのだから、気遣いのパズルピースを円形の

卓のまわりにうまくハメて完成させてゆくような作業だろう。

 

そこに限っては客観的に職場内や同級生同志で誰と誰が仲悪いとかもしっている

わけだからなおさらだ。

鈴木義次センセイと冨永一朗センセイのような「ビジネス犬猿の仲」であった

としてもお笑いマンガ道場においては席は離す演出していたし。

 

他人同士を動かす作業に関して疲れるのは式や披露宴の席決めに限らない。

 

いつ、どこの職場とは詳しく書けないが、昔、上の人からオレの指示のもとで

下の人間ふたり使って、ある仕事をさせてほしいという指令がでた。

 

オレが下の人間と組んでふたりでやるのではない。

オレはあくまで指示だけ。組ませるのは下の人間同志ふたりというのがキーだった。

 

だが、そのふたりのうちひとりは既に上の人間から「こいつで」という指定がかかり

決まっていた。

そいつと組むもうひとりはおまえが決めて、そのふたりでやらせろ、ということだ。

 

ここでひとつ大きな問題が。

 

上の人間が先に指定してきたひとりが、はっきりいって周囲に評判良くないのである。

幸せといっていいのか、本人そのことにまったく自覚ないのだが、周囲の人間がよく

思っていないことは耳にしている。

ここでは仮にAとしておく(イニシャルではない)

 

よって、他の人間に「Aと一緒にこの仕事をやってほしい」と頼んだところで、いい顔

されないのがわかっているから、オレがその相方を指定するのも難しくなかなか嫌な

役回りである。

 

いろいろ考えて、人選に頭を悩ませた結果、ひとりパッと思い浮かんだ。

他の人間と比べると、比較的Aとよく話したり笑い合って盛り上がっているBという

人間だった。

 

「あ、B! ちょっといい?」

といってBを近くに呼ぶと、Bは「はい」といってオレのところへきた。

 

オレが

「おまえさ、Aと仲良しの友達だから、ひとつお願いしたことがあるんだけど……」

と、そこまでいったところで、本題の相談を切り出す前にもかかわらずBがものすごい

顔で激しくオレにこういってきた。

 

「ちょっとやめてくださいよ!! なんでオレがAと友達なんですか!別に仲良くないですよ!」

と。(汗)

 

驚いたオレは

「え!? なに?? おまえも嫌いだったの!?」

と聞くと、

「あたりまえじゃないですか」

と返ってきた。

 

「いやあ、いつも一緒に話して笑ったりしているから、てっきりおまえは仲良いのかと

思ってたんだけど」

とオレがいうと、Bは

「そりゃあ、同じ会社の中でこれからもずっと一緒にやっていかないといけないわけ

だから、たまには合わせて一緒に話したり盛り上がったりもしますけど……でも別に

仲良しじゃないので」

とシビアな答えが返ってきた。

 

オレが思っていた以上にそれぞれがシビアに割り切って共同生活を送っていたようだ。

 

そのとき、Bからひとことこういわれたのをおぼえいる。

「ってか、○○さん! あいつのこと好きな人なんていると思ってます??」

 

そこで思わずハッとして過去を思いだした。

この質問されたのは、そのシーンがはじめてじゃない。

 

何年か前、バイト時代の友人と日帰り旅行いった道中でも当時のバイト仲間の話題になり、

あまり評判よくなかった人のことをややフォローするつもりで発言したときも、友人から

「○○くん!あの人のこと好きな人なんていないよ!」といって笑われたことがあった。

明確に思いだせないが、その他にもどこかでもう一回そんなやりとりがあった気もする。

 

そのときたしかこう指摘されたのだ。オレにたいする優しさ含めて――

 

「みんながさりげなく距離おいてたり嫌っているような人にたいしても、あまり悪くいわず

付き合ってあげる優しさが○○さんのいいところなのかもしれないけど……

嫌われてるやつって簡単に変わらないから、それにずっと我慢してつきあっている○○さんの

ほうがいつか爆発しちゃいそうな気がして心配なんだよね……」

 

たしかにはじめて入った会社の部署の同期は、オレのことを「我慢の人」だといった。

優しいというと聞こえがよいが、そこでもめ事が起こると今後やりづらいという小心的な面が

あるといえばそれだけだ。

ただ周囲から「もうちょっとキレてもいいと思う」といわれることは多々あった。

 

でも人間関係って皮肉なもので冒頭に書いたように同じ職場だったり、家族だったり

あるいは毎日のように親しくしている親友同志のほうが、愛情も生まれやすいと同時に

憎しみや殺意も生まれやすいのだ。

 

関わり薄く、あまり関心ない人間とのほうがトラブルの種は少ない。

一緒にいる時間が長かったり、会話も多い間柄のほうが、いつかトラブルにつながる

件が発生する。

DVだっていってみれば家庭内暴力だし、殺人事件も確率的には身内の中でも発生率

が格段高いらしい。

 

でも、もし仮に。本当に仮にだが、オレが友人や同僚に殺意を抱いてふとした勢いで

殺してしまったとしても、それはあくまで突発的な感情だけであり、そのついでに自分の

利益になることまで求めようとは思わない。

 

それはオトナだからといえばオトナだからだし、勢いで殺してしまったとはいえあくまで

感情的なものに過ぎないからである。

 

ただ、まだ何者でもない若さというものは、殺意のついでにゆけるところまで突き進んで

しまう危険なものなのかもしれない。

 

アラン・ドロン主演の名作『太陽がいっぱい』を観た。

 

 

 

 

―― 貧乏なアメリカ青年トムは、金持ちの息子フィリップを連れ戻すため、ナポリにやってきた。

フィリップにねたみを覚えたトムは、殺して裕福な生活を手に入れようとする。

そして計画どおり殺害し、自殺に見せかけるが…。
   原作は、パトリシア・ハイスミス。緊迫感あふれるサスペンスストーリーと、

キレ味の鋭いどんでん返しがみごとだ。まばゆい地中海の太陽と海の輝きを背景に、

屈折した青年の鮮烈な青春像を浮き彫りにする。

主演のアラン・ドロンは、この映画でスターの地位を不動のものにした。

冷酷なフィリップを演じるモーリス・ロネ、その恋人を演じるマリー・ラフォレの美しさも見ものだ。

監督は名匠、ルネ・クレマン。アンリ・ドカエによる美しい映像と、ニーノ・ロータによる忘れられない

名旋律が印象的である。

(amazonから引用)

 

オレが生まれるずっと前に公開されたサスペンスロマン。

どちらが先かはわからないが、どことなく石原慎太郎が書く不良ストーリーっぽい。

イタリアの海の映像と流れる音楽が美しい。

 

概要は引用のとおり。

 

アランドロン演じるトムは、なにかとハナにつくフィリップを船上で殺害し、

死体を布にくるんで海へと捨てる。

身近な人物だからこそ、憎しみも芽生えやすく、またフィリップが自覚なかったところも

トムの殺意をさらに成長させたように映る。

 

フィリップの人間性を観察している限り、ここまではトムに感情移入できる。

これまでの人生でオレも似たような環境にあったことが何度かあるから。

 

でももしオレがそんな状況で相手を殺めてしまったとしても、それ以上の罪は重ねない

だろう。

 

だが何者でもない若きトムは、それをきっかけに富を追いかける。

 

フィリップの恋人には、フィリップは自殺したと伝える。

そしてその彼女を自分のものにする。

 

さらにトムは殺したフィリップになりすまし、彼も財産的なものをすべて自分のものに

しようという計画を進める。

 

やってきたフィリップの身内を殺し、その遺体を堂々と引きずって人がいる街中を

歩いたりするのも今の時代みたら、はっきりいって滑稽。

 

偽造した身分証明書の製作過程も大袈裟で大仕掛けだが、それらも含めて昔の映画

ならではの演出だと思いながら鑑賞すると、趣きがとてもある。

 

ラストシーン。

警察が追っている中、チェアーに寝そべりながら眩しいまでの太陽を体に浴びて幸せを

感じているトム。

家の中から呼ばれて一瞬戸惑うものの、「電話だ」といわれ、急に安堵して見せる無邪気

な笑顔……

 

あれは、いくら完全犯罪をもくろんで進めても、やはりどこかでボロをだして油断しきるような

純粋な若僧だということを当時のスクリーンで描きたかったのだろうか。

 

観終わった直後は、平均的に「面白かった」という感想だったが、だんだんじわじわと

素晴らしさを感じてきて、名作だといわれるのがよくわかった。

 

今の映画シーンを基準にしてしまえば必然的に古く単純な映像に捉えてしまう。

可能な限りでいい。公開当時60年の若者になって映画館に足を運んでみた気持ちになって

観賞するのがベストだ。

 

ちなみにオレが生まれる前に公開されたこの映画の存在とタイトルをはじめてしったのは

たしか小学生のとき。

 

ある番組中の劇で、ふたりの男性が「いろいろ名作映画のビデオ借りてきたから観るか!」

といい、男性のひとりが「これ、有名だから観よう」とデッキにカセットを入れた。

ふたりが見ているテレビの画面にその映像が映り流れ始めた。

 

真夏の太陽が降り注ぐビーチ。

デッキチェアーの上ではサングラスをかけた男性がくつろいでいる。

 

優雅にくつろぐその男性は、チェアーに寝たまま、おもむろに置いてあった新聞を取り

広げて、スポーツ面を読みだす。

 

そして誌面のスポーツ記事を読みながら、男性は静かにこう呟いた。

 

「大洋が一敗……」

 

そして画面に「END」の文字。

 

それを観た男性ふたりが、「おい!なんだこれは!!」と怒り出す。

 

テレビの中でサングラスをかけて新聞を読んでいた役は志村けん。

そのテレビを観て怒った男性ふたりは同じく志村けんと加藤茶である。

 

そう、カトケンごきげんテレビの1シーン。

 

当時まだ小さかったので、大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)はしっていたが、

元ネタの「太陽がいっぱい」という映画をしらずにわけがわからず、一緒に観ていた

親に「今のどういう意味?」と訊ねたら、「『太陽がいっぱい』という有名な映画が

あって、それのダジャレだよ」と教えてくれたのがキッカケである。

 

記事タイトルみて、今回は光GENJIの曲の記事かな?と思った人は残念でした(笑)