ヤバい。
非常にヤバい。
こんな状態はもしかしたら、二十歳過ぎて初かもしれない。
もう10日以上、小説などの文字が書いてある本を1ページ……いや、1文字も読んでいない。
あまりいいたくないが、多忙と疲労で読む気力がない。
文字を追うことはできても、内容が頭に入りそうもない。
これからもしばらくはこんな状態が続きそうだが、理由はどうかギブミー窓枠(おサッシください)
ただ、ブログにおける「小説」「文芸本」のテーマにかんしては、まだ追って紹介記事にしていないだけで
既に読んでいる数冊の本のネタストックはあるので、それを切り崩してゆけば記事は書ける。
小説ではなくて文芸だけれども、今回はまずそのネタひとつを消費しよう。
今のオレみたく疲れている人や、小説などのストーリーものが苦手な人でも軽く読める1冊の文芸。
「アンソロジー ビール」
アンソロジー ビール
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各方面の文化人や有名人が語るビール(お酒)にまつわる想いやエピソードをまとめたエッセイ集。
蒸し暑くなってきたこの季節にもピッタリなテーマ。
はっきりいって、メチャ面白いわけでもないし、この本を読むためだけの時間を割くほどの内容
じゃないけど、ちょっと時間を埋めたい時などにチラっと読むにはちょうどいい。
阿川佐和子と故・阿川弘之は親子で文章を寄せている。
阿川佐和子は「お酒はなにが一番好きですか?」と訊かれるのが一番戸惑うと語っている。
なにが好きかというのは状況によって異なるという。
それは食べるものによって(酒)を決めることが多いからだとのこと。
「基本的に料理と同じ出身地のお酒を選ぶようにしている」と書かれた回答は見事な表現だ。
一方で、父の弘之氏のほうは、一部の‘そういう店’で、店員が「おビール」というのが気に入らないと
怒り。
外来語に「お」をつけるな!! というのが阿川弘之氏の論。
いわれてみれば、たしかに他は「おワイン」とか「おウィスキー」とか「おポップコーン」とかいわない。
おさしみとか、おいなりとか、「お」という尊敬語がつくのは通常‘日本語’だけだ。
さっき、サッシに「お」をつけたばかりだけどね。
ちなみにビール造りの歴史を遡ると、紀元前4000年のメソポタミアに行き着くらしい。
これは、お豆知識。
また、誰が寄せた文章だったかは失念したが、とあるビール会社の社員が語っていたこんな
エピソードも面白かった。以下。
「私たちでもブラインドで飲まされたら、アサヒだかサッポロだか当てられやしないんです。
日本で普通ビールと呼ばれているものの品質は、各社ほとんど変わりがありません。
気をつける店は、銘柄や工場名ではなくて、どのくらい新鮮か出荷した日付けのほうですよ」
(引用)
先日、氷結についても書いたが、たしかに人間の気分は銘柄やネーミングで左右されやすい。
新鮮なビールが飲みたいっ!! と思った時はなんとなく麒麟の「一番搾り」を買ったりするが、
冷静に考えてみると、たしかに「じゃあ一番搾り以外のビールはすべて二番搾りなのか……?」
という消去法に行き着く。
美味いビールの味は本物だけど、ネーミングやキャッチコピーはやはりマジック&トリックなんだな。
そういえば、オレは部屋でひとりで缶ビールを飲む際、グラスに注いで飲むという概念がなかった。
プルタブを開けて、そのままグビグビと空けていた。
周囲に訊くと、みんなグラスに注いで飲むとのことで、「ああ、そうなんだ」と思ったものだ。
おそらく泡を楽しみたいのだと思う。
どうして、オレは缶のまま直で飲み続けていたんだろうかと、自己分析してみた。
ひとり暮らしだから、たしかにグラスを洗うのが面倒くさいというみみっちい感覚も多少はあったかも
しれない。
だけど、本当のところは違った。
「旅情気分」「ネイチャー気分」に浸りたかったのだ。
たとえば旅行に出かけた時、ローカル線の4人掛けボックスシートでビールを飲むときは
だいたい缶のままだ。
ジョッキにもグラスにも注がない。
また、川辺や砂浜などで一杯やる時も基本はキンキンに冷えた缶のままでグビグビやる。
ジョッキにもコップにも注がない。
アワはないけど、風情がある。
それもそれでなかなかいいものだとオレは感じる。
数年前にどこかのビールメーカーが、缶をがぶ飲みできることを歌った新商品を発売したのを
今でもおぼえている。
プルタブを開け時の、その飲み口が通常の缶ビールの飲み口よりもひとまわり大きいのが特徴で
味についてはあまり強調していなかった。
ちょっとだけユニークな切り口だなって思ったけど、すぐに消えてしまった。
やはり世間一般は、缶のままガブ飲みよりも、他に注いで泡を舐めるほうが好きなようだ。
オレは店で飲むなら当然、泡アリ。
乗り物あるいは自宅で飲むなら、泡ナシの缶のままが好き。
たまには気分転換で自宅泡アリも飲むけど。