ヤンキー先生、単なるヤンキーに戻る | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

世の中にはいろんなタイプの学校の先生がいる。

出逢った先生の数だけ感謝もあれば恨みも存在する。

 

この前書いた本紹介の記事内にて、職業における考え方をちょっと書いたが

そこで書ききれなかったことがあるので、今回ついでにかいておきたい。

今まで出会った尊敬できる先生と、今考えても許せない先生のことである。

 

上の名前だけなら個人特定はできないと思うのでいってしまうが、小学校3年の時に

ヌマタ先生という男の先生が担任だった。

 

今考えると年齢はたぶん、40半ばから後半くらいだと思える。

クラスに最初にきて、顔を合わせた時の第一印象は、「とても優しそうなお父さん」といった

好印象だった。

そして、その第一印象は途中で変化することなく最後まで続いた。

 

当時のオレから見ても、ヌマタ先生は子供が大好きなのがわかった。

 

クラスの中にいるにぎやかな生徒にも、オレらみたいな地味でおとなしい生徒にも差別することなく

みんなに優しく接していた。

 

クラスのガキ大将グループはそんな優しい先生にたいして、よくいたずらをしかけていた。

給食の時間、わずかな牛乳を水で薄めてからキャップをかぶせ、全体的に中身を白くした牛乳瓶

を先生の机においているのを見た。

先生に牛乳を思い切り薄めた水を飲ませて、反応をみて笑おうという魂胆である。

席を離れていた先生が戻ってきて、その牛乳を一口飲むと、軽くブッと吹いた。

 

仕掛けたガキ大将グループ数人が、その瞬間先生のまわりに駆けてきて、みんなして

「先生!牛乳だと思って騙されて水飲んだ!水飲んだ!」

とはしゃぎながら、喜んでいた。

 

オレはその様子を見ながら、

「なんであいつらは、あんなにいい先生にたいして、あんなことをするんだ」ととても不快に思っていたが、

だまされた先生も笑っていて、なんとなく楽しそうだった。

 

また別の冬のある日、登校すると校庭に雪が積もっていたことがあった。

朝、ヌマタ先生が教室に入ってくると、無邪気で自分勝手な生徒たちは、「授業じゃなくて、みんなで

雪合戦したい!」と騒ぎ出した。

 

他の先生だったら、ここで「静かにしなさい!」と一括して終わりだろう。

だけど、子供が好きなヌマタ先生はちょっと考えてから、

「しょうがないなあ、お前らは。よし、わかった! 1時間目は雪合戦だ!」

といい、先生はじめクラス全員そとにでて、なんとクラス内雪合戦がはじまったのだ。

 

今考えると、自分が子供好きかとか子供らしさを尊重するかということ以外に、やはり通常授業の

予定を変えてしまうということで、職員室内における他の先生からの視線もある大きな決断だと

思えた。

でも、ヌマタ先生は子供たちの意見を自分の責任で優先させた結果の雪合戦だった。

 

雪合戦の様子を授業中の教室から見ていた他のクラスの幼馴染が嫉妬して、翌日オレに

「ああいう(甘い)先生が担任になると、将来いい人間にならないよ」

と真顔でいってきた。

 

オレがいい人間になれないといわれたことはそれほど腹が立たなかった。

だけど、ヌマタ先生のことを、そういうふうにいわれたことにはとても腹が立った。

 

ヌマタ先生は他の担任に比べたら、たしかに甘かったかもしれない。

それでもしっかりと叱るべきことは叱る立派な先生だった。

 

大好きだったそんなヌマタ先生とは1年間を一緒に過ごした。

そして、ヌマタ先生はオレらが4年生になる直前に、他の学校へと移ることになった。

学年があがることによって、担任でなくなるのはしょうがないと思ったが、ヌマタ先生がオレの

学校からいなくなることが、オレはとても悲しかったのをおぼえている。

 

先生が去った約3年後。

6年生になったとき、オレらの小学校でなにかの○周年式典のようなものが開催されることがあった。

その式典にて、「過去にこの小学校で勤務していた先生のゲスト」のうちの、ひとりとしてヌマタ先生が

来るという情報が生徒たちに中に入ってきた。

 

そして、式典当日の会場である体育館の壇上には優しい顔をしたままのヌマタ先生の姿があった。

オレは感慨深く先生を見つめていた。

 

やがて式典は終わった。

まずはオレら生徒が先に退場させられ、教室に戻って、担任が戻ってくるまで待機を命じられていた。

 

それから少しして、ヌマタ先生はじめとする先生たちが体育館から職員室へ戻るという情報を誰かが

叫んだ。

 

すると、教室待機を命じられたにも関わらず、クラス全員がいっせいに教室を飛び出しゆくではないか。

目的はわかっていた。みんなヌマタ先生に会いたいのだ。

もちろん、オレもヌマタ先生にもっと近くであいたくて、話がしたくて、同様に飛び出した。

 

体育館と職員室をつなぐ廊下までいったところで、その光景に驚く。

 

廊下がオレらの学年の生徒でぎっしり埋まっていて、先へ進めないのだ。

そして、みんなが、「先生! 先生!」「先生!元気だった!」と叫び、中には手に自由帳を

持ちながら「先生!サインちょうだい!!」といっている生徒までいた。

 

当時他のクラスだった生徒までヌマタ先生のもとへ寄ってきており、まるでアイドルとそのファンの

ようだった。

ヌマタ先生も生徒にもまれながら「こら、おまえら! 早く教室に戻りなさい!」とかいいながら、

なんだかとてもうれしそうな顔をしていた。

そばでその様子を見ていた女性教師がなんとなく羨ましそうに微笑みながら、「あら、ヌマタ先生すごい

人気!」といっていたのも聞こえてきた。

 

みんな照れくさくて素直にいえなかったけど、やはりヌマタ先生が大好きだったのだ。

薄めた牛乳を飲ませた悪ガキたちも、今思えばヌマタ先生と遊びたくて、かまってほしくて、ああいった

イタズラをしていたのだと思えた。

本当に怖い先生や嫌いな先生にはそんなことしないのだから。

 

結局、その式典のあとはヌマタ先生に近寄って話すことができなかった。

でもオレはなんだかうれしかった。

 

ヌマタ先生にまた会うことができてうれしかったのはもちろんだが、それ以上にやはりヌマタ先生は

ほとんどの生徒から愛されている先生だったということが確認できたことが、とてもうれしかったのだ。

他人が人から愛されている姿を見て、感動して泣いたのはそれがはじめてかもしれない。

 

ヌマタ先生は教科書以上のことを教えてくれた先生だった。

 

 

一方で、今でも許せない教師。

それはヌマタ先生がいた3年生が終わり、4年生になったらすぐに新担任としてやってきた。

ミズサワという50歳前くらいの女性教師だった。

悪気や悪意はないのだろうけど、とにかく自分の方針を妄信した教師だった。

 

これはある意味オレにとって過去の恥だが、いわないと伝わらないのでいってしまう。

 

(最後に「でも、それは自分にとって良い経験になった」と結びつけるような恥しか告白しない

作家や経営者が多いが、それはどこかでやはり世間体を気にしていると思う。本当に勇気を

伝えたいとかいうのであれば、なににもつながらない恥や罪だって告白するのが本来の正しい

姿勢だとオレは思っているので)

 

オレはクラスでいじめられっ子ではなかったが、おとなしい存在だったのでクラスの中でひとりだけ

オレにつきまとっていじめてきたりするNというやつがいた。

 

ある日の授業と授業の間の短い休み時間、Nがオレのところにきた。

そして、しばらく何か話した最後、授業開始のチャイムが鳴ったら、オレが傷つくことを言い放って

席に戻っていった。

 

なにをいわれたかはよくおぼえていない。

ただ、なんとなく祖母か両親がオレのために買ってくれて、そこで大事に使っていた文房具に

ついて、汚いだとか侮辱するようなことを一方的にいわれたような気がする。

 

オレは席について涙をじっと我慢していた。

だけど耐えきれなかった。

いじめられたという認識よりも、家族が買ってくれた物を侮辱されたという悔しさがあふれ

涙をおさえきれなかった。

 

チャイムが鳴りやんでから、まもなく先生のミズサワが教室に入ってきた。

ミズサワは教壇まで来ると、教室内の様子をひととおり見回すことなく、「はい、授業はじめます」

と事務的にいった。

 

Nにはいじめられることがあるオレだったが、Nもクラスで評判は良くなかった背景もあり

一部を見ていたクラスメートが「先生!○○が泣いてます」とミズサワに報告してくれた。

 

そのクラスメートは気を遣って、ミズサワがNを叱るような流れにもってゆこうと、授業に入る前に

そういってくれたのだと思えた。

 

報告したクラスメートの声を聞いたミズサワがオレの顔を見た。

きのせいか、ミズサワはなんだかめんどくさそうな表情をしてた気がする。

 

そして次に、クラス全員(当時でいえば男20人女20人)の前で、オレに向かい大声でこういった。

 

「どうしたの、○○!? なんで、泣いているの!?」

 

オレはなにもいえなかった。

涙で言葉につまったわけじゃない。子供の気持ちになればそこでどうして答えないかくらい

わかるはずだ。

 

子供には子供なりのプライドと恥じらいがある。

クラス大勢、女の子もいるまえで、自分がどういうことをされたとか、いじめられたとかいうことを

告白するなんて恥ずかしいし、そこで報告できたとしても、子供世界の法則ではそれによってまた

あとでNが「おまえのせいで、オレが怒られた」といってくるのは誰が考えても想像できる。

 

だが、ミズサワはそれがわからない。

 

クラス全員のいる前で、しつこく何度も同じことを訊いてきた。

それでもオレはその場では黙るという選択しかない。

オレは沈黙を通した。

でも、心のどこかで、授業が終わったあたりにオレのところにそっと寄ってきて「なにがあったの?」

と訊いてきてくれることを情けない話ながら期待している部分はあった。

 

ミズサワのオレに対する対応はずっと変わらなかった。

それどころか、最期のほうは声を荒げて

「どうしてなにもいわないの!!黙ってたら先生わからないでしょ!!」

と、もう半分は怒鳴っていた。

 

そしていきなりそっけなく「はい、じゃあもう授業に入ります」と今までの流れがなかったように

いい、手に持っていた教科書開いたのだ。

 

これまでの流れを無視したその切り替えにはさすがにクラス中も違和感をおぼえてくれた。

このままだとNが逃げてしまうと感じたさっきのクラスメートがミズサワに向かって改めて

「え! 先生! ○○が泣いてるのはいいの!?」といってくれた。

 

が、そこでミズサワが真顔でいったセリフにオレは言葉を失った。

 

「だって、先生が優しく何度もどうしたのって訊いてあげてるのに、○○がなにもいわないんですもの。

なにもいってくれなければ先生わかりません。○○は口がないんです。先生はお口がない人とは

お話することはできません。口がない人は放っておいて授業に入ります」

 

……

みんなの前で何度も恥ずかしいことをいえといわれて、萎縮して黙ったオレは、ミズサワにとっては

「口のない人」という認識だったようだ。

 

今でも疑問に思う。

これは教師という立場にある人間が、いじめられた子にたいして発していい言葉だろうか。

そして正しい対応だろうか。

 

オレだけにかんしての問題ではない。

世の中には気が小さかったり、ひっこみ事案であまりしゃべるのが得意じゃない人だって多いし、

基本は人と話すのが好きだけど、障害などでうまく発音が上手くできなかったり、口を動かせない

人だっているのだ。

 

あまりにもデリカシーのない発言と対応に衝撃と心の傷が上書き更新されて、Nになんといわれたかと

いう詳細すらふっとんで消えるくらいだった。

 

ミズサワにたいしてその時は愕然としたオレだが、それでもやはり心のどこかでこのあと放課後など

こっそりオレに泣いていた理由や誰になにをされたのかということを訊いてきてくれるのではないかと

小さく期待した。

 

もはやNを叱ってほしいという願いよりも、自分の担任である以上実はちゃんとわかっている先生で

あってほしかったという想いのほうが強かった。

しかし、オレのそんな期待も完全に砕かれる。

放課後も、その翌日も、それ以降も最後までミズサワがオレのことや、クラスの中で起きていた

ことについて訊いたり関心を持つことはなかった。

 

これが許せないほうの先生、ミズサワという女性担任の話である。

 

ただ質には天と地との差があるものの、形式上にはふたりとも同じ「教師」という職業であることは

間違いないのだ。

 

昔と変わったとか、大人になってから変わったとかいうパターンの人もいるだろうが、オレにとって

忘れられない存在であるこのふたり、ヌマタ先生とミズサワのふたりを思い出してみると、やはり

本質的にそういった職業に向いている人もいれば、どんな勉強してもどんな経験を重ねて大人に

なっても所詮はその程度の人というのはいるのだろうなと感じたものだ。

 

だからオレは自身の経験からして、ミズサワのような教師が出てきてしまったことから、よくこう

思う。

 

「先生」という職業には、勉強を教える技術や経験よりも、たえず弱い者の気持ちがわかる大人の人に

就いてほしいと。

 

そんな思いを踏まえてだが……

 

昔ワルだった人が改心して、勉強して、ちゃんとした仕事についたという類の話は以前からよく

ある。

 

だいたい、そういう人たちは学生時代に弱い者いじめをしていたりした経験があり、それがかっこ悪い

ことだったと大人になってから認め、そして現在はかつていじめていたような弱い立場の人を守る側に回ったりしている。

 

一方で、昔は汚い大人のルールなどに反抗していた時の気持ちは忘れずにいて、仕事についてからも

集団の圧力や歪んだ権力には許さないという反骨精神を持って活動している場合が多い。

 

最近ふたたび名前をよく聞くようになった「ヤンキー先生」という政治家の人がいるが、あの人の発言を

見ていると、まるで合わせ鏡に映したようにクエスチョンマークが ????????……と見えてきて

しまう。

 

 

かの文書の問題。

「情報をもらした人間は処分する」といっている。

 

これは学校でタバコ吸っているところを密告しようとしたまじめな優等生にたいして、

「オメエ、チクったらどうなるかわかってんだろうな!? もうガッコこれなくなるぞ、コラ」

という言葉を比較的丁寧にいいかえただけのソフトな脅迫、恫喝なのではないだろうか。

 

資質の問題で、ヤンキーは所詮ヤンキーなのだろうか。

 

アナタは昔、ガラの悪い仲間と徒党を組んでいて、まじめな同級生とかをいたぶったりした過去を

反省し、大人になってから今度はそういう同級生を守る立場になろうと思ったのではないのかと

訊きたいところである。

 

そういう不都合なことを隠そうとする大人の汚いところが嫌いで政治家になろうと思ったのではないかとも訊きたい。

 

あの発言を見聞きしていると、アウトローさがまったく見えない。

弱い者か正しい者かという分け方じゃなく、自分のポジションと自分の仲間たちだけを守ろうとする

そのへんにあふれる大人とまったく変わらないように感じた。

 

坂上忍がこんなことをいっていたとネットにあったが、たしかにヤンキーを卒業して、

いわゆる立派なオトナ、そして立派な政治家にはなったのかもしれない(笑)

 

捉え方によっては、ヘタに政治の世界にいったりせずに、まだスーツを着た40代のヤンキーとして

そのあたりをふらついていてくれてたほうが良かったような気もする。

 

今後も政治や教育の世界において、ヤンキーあがりや暴走族あがりの人材はまだまだ現れる

と思える。

 

そういう人たちの中には本当のダイヤの原石も紛れていると思うが、今回ただのヤンキーになりさがった

あの人が、そういう人たちの評判にも悪影響を与えるようなことが懸念される。

 

蛇足だが、オレは基本ヤンキーが嫌いだ。

だけど、ちゃんと過去を反省している人間はそれなりに応援したいと思っている。

 

政治でも芸能でもそれ以外でも、元ヤンをウリとして活躍を望んでいる人にたいしてはひとつだけ

いいたいことがある。

 

過去の悪行や弱い者いじめを本当に恥ずかしいことだと思っているのならば、行った先のいろんな人の前でニヤけながら「いや~、昔はほんとヤンチャしちゃって周囲に迷惑ばかり……」とかいうよりも先に

実際迷惑かけたり、いじめた張本人の前にいってしっかり頭をさげて謝罪し、過去の許しを得ることが先だと心掛けていただきたい。

 

被害者のところに直接出向かず、演説やマスコミの前だけで「昔はいろんな人に迷惑かけて」などと

いうのは、反省を装った武勇伝披露にしか見ることができない。

 

かつて荒れていた人が本当に更生したかどうかを判断するオレの基準はそこである。