シン・ゴジラ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

子供の頃に教わることのひとつに「モノを大切にしろ」というのがある。

言い換えれば、壊すなということである。

 

大人になってから公共のモノを壊すと、それは損壊罪という罪になる。

 

つまりは捨てるゴミを分解したり、古くなった建物を解体するとかいった目的

以外で、まだ使用できるモノや使用中のモノを壊すことは道徳上よくないという

教えである。

 

とかいいつつも人はハリウッド映画で繁華街や高層ビルが大爆破するシーンに

歓喜したりする。

 

そしてウルトラマンや怪獣映画などにおいて、大都市が派手に破壊されれば

されるほど興奮と爽快さをおぼえる。

 

もちろん観客はそれがドキュメントでなく、ミニチュアやCGで作られた都市であり

実際の街は平和であり、また死者もでていないことから作られた世界だと安心して

エンタメとして割り切って喜んでいるのだと思う。

 

ただ、作られた世界とはいえ、価値観的に「破壊」は「破壊」。

 

どんなに道徳的なことをいっても誰しもが心の奥に「破壊願望」を秘めているから

そういったシーンに不快感を得ず、歓喜するのだと思う。

 

パーフェクトヒューマンなどいない。

 

だから、オレはその感覚が健全であると思う。

破壊や爆破のシーンで興奮するくせに、自分は微塵な破壊願望も持っていないと

いいはるほうがずっと不健全ではないだろうか。持論ね。

 

破壊願望もあるけど、現実問題としては破壊や爆破シーンにてストレスを発散できる

というのもあると思う。

 

テレビ画面やスクリーンの中で怪獣が派手に暴れて街やビルを思いきり破壊すれば

するほど気分はすっきりする。

 

映像世界の中とはいえ、これは破壊者が「怪獣」ということが免罪符になっていると

考えられる。

 

自分はモノを破壊したくない。

罪悪感も芽生えれば逮捕もされるから。

 

別の人間が壊すのもあまり気分よくない。

自分もその破壊者と同じ人間だと思うと、それも罪悪感が芽生えるから。

 

でも‘人間以外のなにか’が自分たちの代わりに破壊してくれるのなら、なにも責任は

感じない。

 

人はみな、うちに秘めた破壊願望や殺戮願望を、架空世界の中の怪獣に潜在的に

たくしてストレスを発散してきたんじゃないかと、大人になってから思うようになってきた。

 

そんな中、先日レンタル開始された庵野秀明総監督の

『シン・ゴジラ』

を借りてきて観賞した。

 

 

シン・ゴジラ シン・ゴジラ
 
Amazon

 

去年のTSUTAYAから、Tカードの期限が切れるので更新しに来てきださいという

ハガキが届き、更新しにいったら、1本無料券をくれたのでそれでレンタル(笑)

 

感想を先にいってしまうと素晴らしすぎて震えた。マジで。

 

映画の面白さなんて個人の好みの問題だと思うが、この作品はまさに大ヒットなのが

文句ナシで頷けた。

 

洋画邦画問わず、ここ数年の間にみた映画の中ではもっとも面白かった。

 

オレは特撮モノや怪獣は好きだけど、どちらかというとウルトラマンとかみたいな

作品が好きで、怪獣と人間だけという怪獣映画はあまり得意じゃなかった。

だけど、シン・ゴジラはそんな概念をも見事に破壊してくれた。

 

さきほど書いたとおり、スクリーンに登場する怪獣はとにかく暴れるのだがこの映画の

ゴジラはあまり暴れない。

 

厳密にいえば、物語にて流れている時間の中ではいろいろ破壊しているのだが。

破壊の映像演出にそれほどの時間を割いてないのである。

 

※以降、一般販売されている関連本にも書かれている程度の部分的なネタバレあり。

ストーリーの核心に触れる部分やラストのオチは書かないが、まったく知らない状態で

今後DVDで観たいという人は読まないでいただきたい。

 

噂には聞いていたが、これは怪獣映画ではなく、良い意味で政治社会映画だと

思えた。

 

ゴジラのシーンと政府の会議のシーンの割合は、おそらく3:7か4:6くらいで

ほとんどが政府の人間のシーンだったような気がする。

だけど緊張感が途切れず、まったく退屈しない。

大人は十分楽しめる。

逆に小学校くらいのお子さんは怪獣映画だと思って観に行ったらツマランかもしれない。

 

さすがはエヴァンゲリオンの庵野監督である。

 

子供向けといえるアニメを基盤として、その上に哲学、宗教観、政治、男女の性などを

描き、見事に大人向けのアニメであるエヴァを作り出しただけあり、このシン・ゴジラに

おいても特撮・怪獣=子供向けという世界観を見事に覆した作品。

 

テロップ多様する手法もエヴァと通じるものがある。

 

政府内の仕組みや自衛隊の兵器などに関しても徹底的に取材されており、登場する

乗り物や兵器のほとんどが実在するものである。

 

この1作品で「怪獣マニア」「政治マニア」「軍事マニア」の3ジャンルの心をグワっと

わしづかみにしているのは間違いない。

 

丁寧に散りばめられたいくつもの細かい演出もニクい。

 

ゴジラが暴れる舞台もいきなり東京駅とか新宿とかでなく、蒲田からはじまり鎌倉や

武蔵小杉などと、そういった親近感のある場所が多い。

 

また怪獣映画やパニック映画でよくある演出で、ゴジラが暴れている時、家電量販店の

中にディスプレイされたたくさんの大型テレビにそれぞれの局のニュースキャスターが速報を伝えている画面が映っているのだが、たくさんあるテレビのうち、ひとつのテレビの画面だけ

みなしごハッチらしきアニメが流れている(笑)

 

女優の余貴美子が気の強い女性防衛大臣役を演じているのだが、モデルとなる人物が

かつて防衛大臣を務めていた今の都知事というのも伝わってくる。

雰囲気、たしかによく似ている。

 

応援要請のため、苦渋の想いで政府が米軍に応援を頼む場面も深い。

ゴジラ駆除のためのやむをえない米軍兵器投下について、政府の人間が

「日本は3度めの核を経験するのか……」みたいにつぶやくのはまさに風刺だった。

 

そして、一番気に入った演出が「無人在来線爆弾」という兵器!!

これはもうシビれまくったのなんの。

 

これまでの例だと、だいたい怪獣と戦う映画において登場する兵器の相場といえば

近未来的なデザインの架空の兵器だったのだが、ここで政府が決行した無人在来線

爆弾とは、山手線中央線京浜東北線など実在する電車に爆弾を積んで、無人で

走らせ、ゴジラの足元へぶつけて爆発させて足をとめるという近代兵器。

 

この微妙な現実感と、「在来線爆弾」という親近感&生活感あふれるネーミングが

またなんとも愛しい。

オレは感動した。

(これは実際に映像で山手線や中央線が線路を走ってゴジラにぶつかるのを観て

いただきたい!是非!)

 

日本という国のカルチャーの評価をさらにあげる1作なのはいうまでもない。

 

 

ところで「シン・ゴジラ」の「シン」って、どうしてカタカナなんだろうって思っていたけど

全部カタカナで表記すると、「シン・ゴジラ」の中に「シンジ」(エヴァンゲリオンの主人公

碇シンジ)っていう文字が入るからかなって考えたが、深読みしすぎだろうか?