まず、はじめに書くことについてお断りをしておきたいのだが、オレ自身がやったりいったり
したことじゃないのと、あくまでまだガキでバカだった15歳くらいの時のエピソードなので、
人種差別だとか女性差別だとかいうご意見はご容赦頂きたいと思う。
それをいわれてしまうと、話がはじまらないので。
高校1年の時、クラスメートのひとりにМ山という奴がいた。
茶髪にピアス、そしてボンタンを吐き、タバコも吸っていて存在感はあったが、中身は
ヘタレっぽい奴だった。
オレと親友Bと、そのМ山の三人で昼休みになにかくだらない雑談をしていた時、会話の谷間で
ふと沈黙が訪れた時間が2、3秒あった。
その時、ふとМ山を見ると、オレらの顔を見ずに教室内のどこか一点を真剣な顔でじっと
見つめたまま固まっていた。
オレもBもその様子に気づいたが、なにを見ているのだろうと思いながら、黙って4、5秒ほど
М山の様子を見守っていた。
するとМ山はその一点を見つめたまま、なにを思ったがいきなり、パン、パン、パン……
とゆっくりした手拍子をはじめたのだ。
オレもBも唖然。意味がわからない。
すると、次の瞬間、М山は口元にかすかな笑みを浮かべ、自らの手拍子に合わせて
ア、ロ~リンパティ~♪
と、呪文のような歌をひとりで歌いはじめたのだ。
それを聞いたオレとBは唖然のギアが「5」に入ったのはいうまでもない。
驚いたBがМ山に
「おい! どうした! オカシクなったか!?」
というと、М山は
「いや、あいつの歌だよ」
といって、視線の先を指さした。
М山の指さした先ではクラスでも嫌われ者だったK子という女子が友人とはしゃいでいた。
K子はギャーギャーとうるさく、誰かが授業中注意されたり、ミスったりすると、クラスの中で親しい親しくない問わず、授業が終わったらその人間のところまでやってきては、
「怒られた人は○○なんだよ~!」とかいって騒ぐ女子だった。
そして外見は太り気味で色がとても黒くて髪の毛がチリチリ。
いやいや、オレもBもМ山もいくら若くてガキだったとはいえ、どんな外見をしていようと、
性格が悪くなければ、女子の容姿のついて差別するようなことはいわない。
だけど、今考えてもそのK子はサイアクな女子だった。
おまえ、その外見だったら、せめて性格くらいは平均くらいにしろよ!といいたくなるタイプ。
神々がそれぞれに与える遺伝子と運命のバランス配合をどう間違ったとしても、そこまでの
ブ○&ゲ○は創造できないだろうというレベルの世にもおぞましい生命体だった。
↑
上のふたつの○には同じカタカナ1文字がはいります。
その性格も悪いということも踏まえたうえで、色黒髪チリチリのアフリカ系のK子が視界に
入ったМ山は、ちょっと前までテレビでよく流れていた日本船舶振興会がやっていた
アフリカの子供たちがでているCMの歌を思い出し、それで急に口ずさんだらしい。
動画検索したらCMあった、コレ→ 『船舶振興会CM』
ちょっと蛇足を挿入するが、このCMの歌はなんてと歌っているかというのはいくつか説がある。
マネした人間は多いと思われるが、ローリンパティ~♪じゃなかったりする。
シャ~リ~パティ~♪が正解だという説もあるが、後半のパティ~の部分だけはだいたい
どの学校、地方でも共通しているようだ。
以上、蛇足おしまい。話は本題へ戻る。
それを聞いてオレもBも納得すると同時に大爆笑したのだが、それでもМ山がいきなり
手拍子して歌いだした時はオレもBも戸惑った。
ついちょっと前まで普通の会話していた人間が、いきなり意味不明の歌を歌いだしたもんだから
正直、「とうとうアッチの世界へいってしまったか」と思った。
Bのほうも「ついに狂った」と思ったらしい(笑)
そうそう、大学の時も「こいつ、いきなりオカシクなったのかな……」と思ったことがあった。
ケータイがまだ今ほど普及しておらず、ポケベルを持っている大学生が多少現存している頃の話だ。
親友というほど親しくはなかったが、それなりに話したりするGという大学の同級生とたまたま
ふたりで一緒に駅まで帰った時があった。
ふたりで並んで歩いていて、横でGがなにかボソっといったような気がした。
なんとなくひとりごとっぽいなと思ったので、ちらりと横を見たら別にオレの顔を見ていることも
なかったので、ああ、やっぱりひとりごとか、と思いスルーしたのだが、その後もずっとひとりで
ブツブツといっているではないか。
再びさりげなくGの顔を見るが、やはりオレにたいしてなにかいっている様子ではない。
まっすぐ前を向き、歩きながらひとりで呟いているようだ。
オレは思った。
「ヤバい…… こいつとそこまで親しくないからよくわからなかったけど、オレちょっとイッチャッてるやつと近い関係になっちゃったのかな…」
と。
急に怖くなった。
そういう人間に近づいてしまったことと、その時一緒にいることですれ違う人たちからヘンなお友達がいる人って思われるんじゃないかという恐怖の挟み撃ち。
ただ、これについては理由がすぐにわかって、その時Gはケータイ電話で友人と会話をしていた
ようなのだ。
機械オンチのオレは当時ケータイの知識がまったくなかったから、そんな機械があるなんて
知る由もなかったのだが、ワイヤレスだかなんだかしらんが、ケータイ本体を耳まで運ばなくても
イヤホンかなにかを耳に入れれば、手に何も持たない状態で会話ができるような仕組みがあった
ようで、Gはそれで会話をしていたようだった。
便利といえば便利かもだけれど、オレはちょっと抵抗あるかも。
Gがそれを使用していたことから、そういうケータイ機器もあるのかとしったオレはその後
街を歩いてても、ひとりで歩きながらなにかブツブツいっている人を見かけると、
「ああ、あの人も誰かとケータイで会話してるんだな」と、捉えるようになった。
時々どう見ても最新機械とかには不似合な歯の抜けたオッサンとかが、同じようになにか
ブツブツいいながらニヤケ顔で歩いたりしているのに出くわしたりもした。
「ああ、今の時代はあんなオッサンでもケータイ持ってワイヤレスで歩きながら話したり
しているんなァ」
とか思いながらよく見てみると、ワイヤーがないどころか耳の穴にはなにも入れられていない。
純粋に‘季節の変わりめによく見かける愉快な人’だったようだ(笑)
でも、こういった友人たちの見せたシーンにより、改めて思うのが人間の恐怖。
世の中で鳥肌がたつほど怖いものは、夜中に枕元に立つ白い影でもなければ
お盆の季節の墓地をゆらゆらと飛ぶ火の玉でもない。
そう、人間なのだ。
もちろん、どこかにいった際の出先で見たこともあったこともない人間がノコギリをもって
こちらに向かい一直線に走ってきて切り付けてくるのも恐怖には違いないが、何より
恐いのは、これまでずっと一緒に遊んできたり生活してきた家族や友人などの身近な人間が
いきなり狂いだすことである。
去年の年末、TSUTAYAから一通のハガキが届いた。
Tカードの期限がもうすぐ切れるので早めに更新にきてくださいとの連絡だった。
年が明ける前の12月に更新にいったら、誕生月ギフトとのことで旧作映画1本無料券
のクーポンをもらった。
せっかくなので、それから1週間後にそのクーポンを使って以前から気になっていた
名作洋画の「シャイニング」を借りて観賞した。
- シャイニング (字幕版)/作者不明
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冬の間だけ閉鎖されるリゾートホテルの管理人となった小説家のジャック(ジャック・ニコルソン)。
妻と5歳の息子とともに、そのホテルに住み込むことになるのだが、実はそのホテルの前任者は
妻と双子の娘を惨殺していた。
特殊な能力(シャイニング)を持つ5歳の息子ダニーは当時の殺害におけるいろんなイメージを
目にする。
そしてホテルの魔力により徐々に精神に異常をきたしていったジャックは、最後に自分の
家族を全員殺そうとする行動にでる。
それほど詳しくはないのだが、それでもジャック・ニコルソンの顔芸的なものは昔からすごい
と思う。
日本でいえば竹中直人とかだろうか。
『シャイニング』のパッケージにおけるこのジャック・ニコルソンの顔のアップは超有名だ。
中学の時、学校の駐車場に停めてあった自分の愛車に10円玉で傷をつけられた教師が
朝礼の時、ちょうどこのパッケージ写真みたいな表情しながら、
「おい! おまえらの中でオレの車に10円玉で傷つけたやつがいたなら、すぐに名乗りでろ!」
っていっていた。
あの時の表情をスタンリー・キューブリック監督が見たものなら、ソッコーでセルフリメイク版の
制作を決定し、その教師を主役に抜擢したに違いない。
そう、この映画の監督は「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」で有名な
巨匠スタンリー・キューブリック監督。
一方で原作のほうもホラー小説の大御所、スティーヴン・キングである。
そしてこの映像作品が公開されたことにおいて、原作者のスティーヴン・キングが監督である
スタンリー・キューブリックを激しく批判したことも有名だ。
キングは映画化された自分の作品の中でこの「シャイニング」をもっとも忌み嫌っているようだ。
そては原作とはまったくベツモノのキューブリック仕様の作品になっているかららしい。
だけどこの「シャイニング」は原作は原作、映像は映像として、ユーザーからはそれぞれ高評価
を得ているのは事実。
オレは読んでいないのだけれど、原作だと物語の冒頭でジャックとその家族は赤い車でその
ホテルへと向かっているらしい。
映画の冒頭でも同じように、ジャックと家族が乗る車がホテルに向かって山道を走行しているのが上空から撮影されるシーンがあるのだが、車の色はなぜか他の色で赤色ではない。
そして、ジャックと家族の乗るその車が途中、事故ってその場に停まっている赤い車の横を
通過するシーンもあるのだが、その事故で動けないでいる赤い車が原作におけるジャックたちの
車を意味しており、それがキューブリック監督による「私は原作とは違う自分の世界を作りますよ」というキングへの挑発の意思表示だと、映画ライターの高橋ヨシキ氏は語っていた。
原作を読んだうえ、そういった制作側の裏の人間模様も前提におきながら観てみると余計に
楽しめるかもしれない。