ヒネクレ者のトレーニングルーム | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

わざわざいわなくてもいいといわれそうだけど、いわなくてもいいことを書くのがこのコラムだから

あえて記事に書くということだけ前もってお断りしておくことにする。


オレが禁煙したとき、喫煙者である知人数人から「裏切られた!」といわれた。

15年くらい喫煙していた身だから、裏切られたという気持ちもわかるにはわかる。


オレは純粋な文化系男子であって、スポーツ運動が大嫌いなので、作家の三島由紀夫が

ボディビルで体を鍛えていたと知った時は裏切られた感があった。


またドラマ「親子ゲーム」「親子ジグザグ」の頃は吹けば飛ぶようなフォークシンガー体形だった

大ファンの長渕剛が急に肉体改造をしていかつい体になっているのを見た時も裏切られた感が

あった。


エッセイでもスポーツ嫌いを公言していた松本人志が急にムキムキになっているのを知った

時も裏切られた感がすごかった。


文学とか音楽とかお笑いとか、みんな文化系じゃなかったのか!と。


だけど、ここ最近になって彼らがそういうことを始めた気持ちもなんとなくわかってきた気がする。


実はオレも考えることがあって、最近トレーニングに通いだしたのだ。

きっかけは親が通っている市民用のルームを紹介してくれたというのもある。

料金は市民であれば1回200円。



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通い始めたからといって、別に心変わりして「体を動かすことが健康だ」とか思いだした

わけでもなければ、スポーツや運動が一番素晴らしいものだと思いだしたわけではない。


子供のころから運動神経が鈍く、非力だったオレは体を動かす系に関してはトラウマまみれ

なので、むしろ今でも運動スポーツ崇高主義にはおいては背筋で悪寒が全力疾走だ。


あそこまでグダグダ金や場所でもめるくらいならば、五輪開催土地の権利なんて他国に

やっちまえと思う。


金も人手も五輪の施設にかっさらわれて、被災地の金と人手がおもいきり不足してるみたいじゃないか!と怒りもおぼえるし、なにか祭典となるとスポーツが人類の興味を集める最大公約数となることも心が穏やかでない。


もちろん、そういったイベントが好きな人もいるのはわかるから開催するのはいいけど、

金かけすぎ。メディアは騒ぎ過ぎ。興味ない人間興ざめ。


それと、前にもちらりと書いたけど周囲にたいして

「私、ホントに体動かすのが大好きなの!」とか

「ボクは健康を考えて運動することにしているんだ!」

とか、なにかとさわやかフェイスで自信満々でアピールしまくているヤツ。


本当にそうならばそれは問題ない。


だけど、いわゆるニセモノアクティブやニセモノ健康志向が多いような気もする。


本当に体を動かすのが大好きならば、どこか外出する時も時間に余裕があれば

ひと駅はもちろん、場合によっては二駅、三駅とか当然歩いているんだろうなァ!?


健康や運動がそれほど大事だと語るのであれば、駅やデパートでは当然積極的に

階段をつかい、エレベータやエスカレータは極力使わないようにしてるんだろうなァ!?


のちに本の記事で紹介する予定の某小説の1部にこんな箇所があった。


病院内では看護師の人の指示にしたがって、廊下を往復したり自力で数メートル歩いたり

というリハビリをしっかりとやる老人が、いったん家に帰って食卓につくと、席から立った数歩歩くだけで棚からとれる小皿などをとりにゆこうともせず、お嫁さんにとってもらったりする。

それはスポーツジムには通うけど、私生活でまったく階段を使わない人に似ている。


巧い例えだと思った。

リハビリの場ではしっかりするけど、それ以外の場所ではできるだけラクするという矛盾。


この作者のいう老人は、体を大事にしたいのではなく、自分がリハビリをしているしていることを

実感したいだけなのだ。



体を動かすのが好きでしょうがないという人……

健康を気にして運動していると熱く語る人……


「お金をだして、いろんなマシーンがあるジムに通って汗を流しているオレ」

「いろんなエクササイズを憶えて、栄養バランスも勉強してダイエットに励んでいるワタシ」

――

そんな自分に酔いたいだけじゃないのか?って疑問を抱くことが少なくない。


あまり詳しくないが、ジムとかダイエットのスクールとかって、運動だけでなくオプション的な

楽しみもあるのかなとは思う。


たとえば、運動に関してはそれほど重点おいてないけど、シャワーをただで浴びれるとか

異性と知り合えるかもしれないからとか、終わったあとの一杯がうまいからとか、そういう

こという人には、ある意味で正直だなっていう清々しさすら感じる。


だけど、そういうことはいわず、普段階段使ったり歩いたりしないくせに、そういうところに

通っているだけで、「ワタシは体を動かすのが大好き!じっとしていることが苦手!」と

明るくいう人間はどうもなあ……って思えてくる。


じっとしてることが苦手?

ああ、そうですか。

筋力だけがどんどん活発になっていて、肝心の忍耐力がお留守になっているようですね。

たまには座禅とかすることをおすすめします(笑)



大学の時に教授から習ったような気がするな。

「健康」の定義とは、‘心身’ともに健やかなこと。

つまり、心と体のふたつだ。


積極的に階段使ったり歩いたりしなくとも、そういった施設に通えば筋肉はつくし

サプリを飲めば痩せもするだろう。


だけど、心は偽っているのだ。

本当は自分に酔いたいだけなのに、自分は運動が好きで健康を気にしているからやってると。


心を偽り、自分にウソをついていて、それで健康といえる??


運動もスポーツも嫌いだと正直にいいながらも、東京の国分寺市から神奈川の登戸駅まで

4時間歩いて飲み会にいったり、地上8階くらいのデパートだったら、1階から8階まで階段で

駆け上がってゆくこともあるオレのほうが心も体も健全ではないだろうか(笑)



だから、オレはそういった似非アクティブたちや、オリンピックをはじめとする「スポーツが最高のエンターテイメント説」に、これからもバシバシとつっこみを入れると同時に、警鐘をグァングァン鳴らしまくってゆきたいと思っている…… が!


オレももういい年に掛かってきている。


もしオレが油断してブクブク太ったら、そんなことを叫んでも説得力に欠けるというものだ。


今は身長176㎝ (←この前の計測で3㎝伸びていたからw)

体重は61~63を往復している標準状態だが、これから中年太りしていく可能性がないとは

いえない。


ブタみたいな体で「運動やスポーツは世の中において決してもっとも素晴らしいものではない」

なんてわめいたところで、

「おめえ、運動しないでそういうこといってるから、そんなブヨブヨになってるんじゃねえか」

と返されるのが目に見えている。



だからこそ、トレーニング通いを始めたのだ。

わかりますよね(笑)



これからも運動スポーツ至上主義の風潮を自信もって否定したりする資格として、それなりに

引き締めたボディを手にいれないとだめだと思った。


なにもやらないでゴロゴロしながら運動を否定したら、さっき書いたようにいわれる可能性もあるし

「めんどくさくて体動かしたくないから、そうやっていってるだけだろ」といわれる可能性もある。


でも、やることやって、それなりの体を維持していれば、そうやって堂々という資格もあるだろうし

それなりに説得力も生まれるだろうという判断。



体を動かすのが好きだからトレーニングを開始したのではない。

その逆。

大嫌いだからこそ、あえてやる。

似非さわやかアクティブに反論させない資格となる肉体を維持するために。


文化系から体育会系に寝返りをうったワケじゃなく、文化系のスピリッツをそのままに体育会系という敵地に乗り込む心意気である。


ひねくれ哲学炸裂だねえ、オレも。

でも、動機は個人の自由だから(笑)


目指すのは健康体でもマッチョでもない。


「毎日ビール飲んだり、ラーメン食べ歩いたりしているスポーツ運動嫌いの文化系男子にしては

シマッた体してるよな」と、いわれるようなボディが目標だ。



仕事があるからそれほど頻繁にはいけないが、可能な限り一カ月に3回くらいは通おうと思う。

現在までは3回ほど通った。



一回目に指導員の人に基本的なメニューをおそわったから、それをふまえて進めている。


まずはじめにマットの上で、ひととおり全身ストレッチ。


それから、マシンの名前わからんけど、べダル漕ぐ自転車みたいなやつを10分~15分。



それから、腕や足や背中などの筋肉を鍛えるマシーンを空いている限り、ひととおり10回ずつ。


最後にルームランナーを早めの速度で20分。


それで終わり。


もっといろいろできるけど、一気にやりすぎても意味ないらしいからとりあえず。


ここまででかなり汗が流れるけど、オレはその汗が気持ちいいとは思わないようにしている。

オレのなかでは運動で汗を流すことよりも、最高の文章が書けた時や、カラオケで熱唱している

時のほうがもっと気持ちいいと思っているから。


体を動かすことで流した汗が気持ちいいと思ったり、認めてしまったら、堕落系エンターテイメントのパイオニアを自称するオレとして、それは負けに値するのだ。


ま、認めてしまったらかといっちゃうと、これもある意味自分を偽っていることになっちゃうけど(爆)


とにかく、オレがトレーニングルームに通い始めた目的は、肉体美でもトレーニングルーム通い自慢のためでも、健康でもない。


むしろ、そういった人たちの価値観に対抗および反論するための資格を得るために、外野から

叫ぶだけでなく、同じ土俵にあがってやろうというだけだ。(ひねくれMAX!!!)


念のため、最後にひとことちゃんといっておくが、中には真の健康マニアや運動好きの人も存在するというのは理解している。


トレーニングセンターやジムにも通う一方で、私生活では可能な限り歩いたり、階段をつかったり

家の前で縄跳びしたり、ウォーキングしたり、部屋で腕立てふせや腹筋したり。


そういった方々にはオレなりにしっかりと一応敬意を表している。

運動好き嫌いの価値観は違うけど、自分に酔いたいためじゃなくて本当に体を動かすのが

好きな人たちだなって部分で尊敬も信頼もできる。本物。

トレーニングから帰ったら、当然ビール飲む。


せっかく消費したカロリーのうちの半分以上をあえてすぐに戻してしまうという、健康ブームへの

ささやかな反抗。

ついでに肉もガッツリ喰らってやるのだ。



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美味い。


オレにとって体を動かすことに唯一のメリットがあるとすれば、直後のビールが喉にしみることと、

メシが美味さが倍増することだ。


たとえば運動で150カロリー消費した直後に、145カロリーを摂取する流れでいい。

消費したぶんをそのまま貯蓄せず、毎回残った5カロリーをコツコツためておけば、

オレの体質からしてブタになることはないと思われる。


多少固い筋肉がついたということを仮定して、体重はあと2,3キロ増えて65キロまでならば

増加してもいいと自分で決めた。


あまり追求し過ぎると、三島由紀夫のように肉体美ナルシストになってしまうキケンがあるので

ね(笑)


年内、最後にもう一回くらいトレーニングにゆけたらいいと思っている。


健康を失って言葉も発せなくなったり、文章も書けなくなったらそれこそ健康批判や運動批判もできなくなるからね。


以上、ヒネクレ哲学によるトレーニングの報告。

あくまでオレ個人の価値観なので、あしからず。