日本懐かしボードゲーム大全 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

自分たちより大人である一部の世代の人たちからはファミコン世代とも呼ばれるオレら。

だけど小学校の頃、友人たちとの間で「メンコ」が流行った時期があった。


学校のすぐ近くになった文具店兼駄菓子屋で、スーパーカーの写真やらキン肉マンにでてくる

超人のイラストが描かれた長方形のメンコを友人Aに誘われて買ったのを憶えている。


友人Aは親からおこづかいをたくさんももらっていたようなので、たかが5枚50~100円程度のメンコなんてたいした出費ではなかったろうが、月300円のおこづかいのオレにしては1セット買うだけでもそれなりの出費だった。


だからそれはとても貴重であり、オレにとっては相手(のメンコ)を倒す武器というよりも

かっこよくて大事なコレクションカードといった感覚で、いつも持ち歩いていた。


ある日、Aと一緒に自転車で、同じ学校の上級生たちがまとまって住んでいる団地の

前を通ったら、その団地に住んでいるクラスメートBが数名の同級生たちと一緒に

団地の駐車場で、メンコ大会のようなものをやって遊んでいる光景に遭遇した。


それを発見したAが、

「おい、オレたちも参加させてもらおうぜ!」

と意気込み、オレも面白そうだなと思って賛成した。


クラスメートBと同級生たちも飛び入り乱入を歓迎してくれた。


だけど、幼稚園くらいの頃から人に簡単にものをあげたり、もらったりしたらいけないと教わって

きたオレは知らなかったのだ。


大人の世界でいうところのシビアなマネーゲームのようなものが子供の世界の遊びの歴史にも

存在していたということを……。


オレはメンコがヘタだった。


駐車場のアスファルトの上に白いチョークで書かれた枠の中にあったオレのメンコは

次から次へと、上級生とクラスメートが叩きつけてくるメンコによって、ひっくり返され

表のイラストや写真の解説が書かれている腹をさらしたり、枠の外へはじきだされたりした。


オレはひっくり返されたり、はじきだされたら、それで「負けた!」というだけで終わりかと思っていた。

だが、違った。


敗北を喫した自軍のメンコは相手の所有物となるのだ。

オレはそのルールを知らなかった。


オレのメンコは彼らにとって絶好のカモにされた


「よし! スーパーカーもらい!」

「キン肉マンいただき~!」


敵であるクラスメートと上級生たちは上機嫌で盛り上がっている。


負けたらメンコをとられるなんて知らなかったから、オレは悔しかった。


勝負に負けたことや、メンコの金額についてはどうでもいい。

両親や祖父母がくれた大事なおこづかいの一部を奪われているような気分だったのだ。


そんなオレの気持ちも知らず、はしゃいでいるBと上級生たち。


勝てないくやしさと、家族への罪悪感で泣きそうになったが、隣りにAがいたので涙を

こらえてメンコを続けた。


オレとはうってかわってAのほうはメンコのセンスがあり、どちらかといえば勝っていて

ゲームをすごく楽しんでいるようだ。


オレのほうは、残ったメンコがついに1枚となった。


この1枚まで持ってゆかれたら……と思うと、やはりもう続行はできない。


「わるい!A! オレもう帰るよ……」

涙声で、そういって振り向き帰ろうとしたら、Aが焦った表情をしてオレの肩をつかんでいった。


「待てよ! わかった! オレがケンのぶんのメンコのお金もだしてやるから、まだ一緒にやろうよ!」


Aは当時の親友だったので、純粋にオレとずっと一緒にいて、最期も一緒に帰りたいと思って

くれたゆえのセリフだった。


オレのぶんのメンコも買ってくれるという言葉はありがたかったが、先ほどもかいたように

「人から簡単にものをもらってはいけない」とオレは思っていたので、


「いや、いいよ……オレ帰るわ、ありがとう」


といって、ひとり自転車こいで家に帰路についたのを今でも憶えている。



翌日いくらか心のダメージも回復し、登校するとAがオレの席にやってきて、


「おい! きのうお前が帰ったあのあと、めちゃくちゃ勝ってよ!!!」

と嬉しそうにいっていたのも記憶にある。


その時はオレも「おお!すっげえじゃん!」と一緒になって盛り上がっていた。


メンコ戦闘中は屈辱的な思いばかりだったけど、今改めて思い出してみるとアレも

少年時代のいい経験だったかなと思う。



たかがメンコ。

車やアニメキャラのイラストがあるだけの厚紙。

だけど夢中になれた。


そうそう、ファミコン世代だとかいわれるオレらの世代だが、夢中になったゲームという

ものの源流をたどってゆくと、そこにあったゲームは電子機器でもバットとボールでもなく

『紙』

だったのだ。



先日書店に入った時、興味深いムック本が目に入った。


日本懐かしボードゲーム大全 (タツミムック)/辰巳出版
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あったなあ、ボードゲーム。


床に紙のゲーム盤を広げて大勢で遊ぶハイカラなすごろくみたいなゲーム。


友人同士だけでなく、家族でも楽しめたりした。



本を開いてみると、小さい頃買ってもらった懐かしいゲームがたくさんあって感動した。


うちにあったのは『お化け屋敷ゲーム』


本でも冒頭に紹介されていて、ページ数もさいていたのでやはり名作だったようだ。


おばけ屋敷ゲーム/バンダイ
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これ、家族とも友人たちとも家でよくやった。


色が違うだけの男の子の人形がコマになっているのだが、ルーレットを回す前に戦いが

始まるのだ。


みんな男の子だから、青とか緑とかのコマを使用したがる。


まず、ジャンケンして勝ったやつから好きな色のコマをとってゆくのだが、最後に残って

ピンクや赤のコマになったやつはゲーム開始前から既にいじけモードに入っていたり(笑)



ゲーム盤の裏には魔除けの呪文が書かれていたりというサービス精神も旺盛。

「だらに だらに だらに」

「ろっこんしょうじょう」

「しょうまたいさん」

「きゅうきゅうにょりつれい」

とかいう魔除けの呪文、いまだにおぼえている(笑)



テレビでCMもやっていたと思うが「パーティージョイシリーズ」というボードゲームもあった。

価格はたしか1000円という安さだったので、小学生でもちょっとおこづかい溜めれば買えた。


厚紙のゲーム盤が折りたたみ式になっていて、小さな箱にしまうことができ、友人の家とかにも

簡単に持ってゆけるのがウリのゲームだった。



妖怪とかが好きだったので、ここでオレが最初に買ったシリーズもたしか「悪霊島ゲーム」

とかいうものだった。


このゲーム、警察官とか侍とかのいろんな悪霊が蠢く呪われた島から脱出するゲームなのだが

お化け好きなオレから見ても、ちょっと箱やカードに描かれたデザインが怖かった。


何度かプレイはしたものの、最後にはパッケージの表のイラストが見えないようにひっくりかえして机の引き出し奥深くに封印してしまった。


ウルトラマンシリーズの監督だった実相寺昭雄監督は怪獣のデザインにこだわりを持っていて、

人間の体や皮膚を壊したようなデザインの怪獣は作らなかったそうだが、このゲームで使われる

カードに描かれた悪霊たちはまさに破壊されまくりだったような気が(爆)


同じパーティジョイシリーズの怪奇モノでも「幽霊船ゲーム」というのがあって、こちらはライトで

アドベンチャーおよび幻想的な感じで好きだった。


ゲーム盤をまねして、手作りでそういったゲームを作成したりして遊んだ。


うーん、画像ないのか、残念。


最近こういった記憶の引き出しを開けてくれる本が多いのは嬉しいことだ。