僕は四つの精神障害 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前々回に放送されたアメトーーク。

キング・オブ・コントで優勝したお笑いコンビ、コロコロチキチキペッパーズ(通称コロチキ)

の片割れ「ナダル」を特集した企画だった。


観ていなかった人はわからないかもしれないので申し訳ないが、ナダルが先輩に対して

いった失礼発言などが他の芸人によって面白エピソードとして話され出演者も会場も

大盛り上がりだった。


紹介する芸人の話のもってゆきかたや、勢い、間(ま)等も手伝ってか、観ていてオレも

瞬間的には笑った。

だけど、エピソードひとつふとつを聞いたあと改めて考えてみたり、一通り見終えたあとは

どうもひっかかるものがあり、心の底からは笑えないものがあった。


オレがあらゆる情報などを頭に入れていない空っぽの状態で、単なるバラエティ好きとして

見ていたならば、何も考えず大爆笑していたと思う。


だけど、ここ数年、障害やその症状に関する本などを読んできていたので、番組を見ている限りそれらの症状の数々がナダルにかなり重なるのだ。


これ、そのへんの知識がなにもない人間から見たら、空気の読めない礼儀知らずでプライドだけ

が高いやつが、いろいろ暴露されている面白トークというふうに映るだろうけど、、もしも…もしも

本当にナダルに該当する障害があるとするならば、笑っちゃいけないやつなんじゃないかなって

危惧した。


ネットの反応はあまり気にするほうじゃないが、これを見た世間の人はみんな普通に笑って

いたのかと気になり、翌日ちょっと検索してみた。


その放送回に関して「神回!」「大爆笑」といっ大絶賛の声がたくさん書き込まれている反面で

やはり、オレと同じような意見も多く書かれていた。


「あれはホントにいじったり、笑ったりしちゃいけないやつじゃないのか!?」

「ナダルの例は発達障害によくある症状」

などなど。


真実はわからんが可能性を考えると、そういった感じ方や捉え方をしている人も多く存在

したのがかろうじてホッとした部分。


発達障害というものは身体的な障害と違い、外見的に問題は見えない。

だけど考え方や話し方に症状が表れるため、変なヤツや失礼なヤツだと思われて

しまうのが現状。


仮にナダルがそうだったとしてもナダルの場合が芸人という職業柄、名前売って、周囲から

いじってもらってウケてなんぼという仕事だから、結果的としてはプラスになるからいいかも

しれない。本人がいじられるのがイヤだとしても。

芸人である以上、どちらにせよある程度は笑われないと仕事としては成り立たない。


ただ問題なのは、発達障害のことをまったく知らない人があの放送回を観たあと、

同じクラスや職場などにいるナダルのようなタイプの人をいじれば、同じようなリアクションや

失言などがとびだして、周囲が盛り上がるんじゃないだろうかって考えること。


いろんな空間のなかでも純粋にただ「ヘンなやつ」も存在はする。

だけど、一見ヘンなやつに見えて実は外見的には他の人と変わらない発達障害の人もいる。


ナダルに関してはプライドが高くていじられるのがイヤだと紹介されていたが、もし発達障害だと

してたら、その表現には語弊がある。


いじられるのがイヤな人が多いというのは事実だが、それはプライドではない。

純粋で感受性が豊かで傷つきやすいという表現が優しいのではないかと思われる。


だけど言い返せば言い返すほど、まわりは面白がって余計にいじってきたりバカにするような

ことを言ってくる。


いっているほうはその場を盛り上げていい気分になっているつもりかもしれないが、いわれたほうは周囲が思っている数倍苦痛と屈辱である。


そしてその苦痛と屈辱は交配し、やがてうつ病を生み出すに至る。


オレはアメトーークという番組が大好きである。

とりあげるテーマにもよるが、ここ数年では安定して爆笑して楽しんだり、トリビアを仕入れたり

できるクオリティの高いバラエティ番組だと思う。


またオレは昭和時代の口うるさいPTAみたいにバラエティ番組を目の敵にして、

なにかと「子供に悪影響を与える」だとか「差別をあおる」とかわめいたりするのが好きじゃない。

限度こそあるとは思うがバラエティはある程度ヤンチャだからこそ存在価値があると思っている。


だからこそあえていうが、アメトーークはもしナダルをフィーチャーした第2弾をやるのであれば

局とスタッフの方は慎重に企画してほしい。


真実はどうなのか。

もし、純粋にヘンな失礼なヤツであれば、もうお構いなしに爆笑をガンガン取りにいって問題ない

と思う。

だけど、その前に企画したスタッフさんはそういった例に該当する障害があるということをちゃんと

理解しているのかというのも大前提になる。


そこだけ…、本当にそこだけはっきりしてやってくれればオレも今度は200%心の底から

ゲラゲラ笑えると思う。


いつか、この本に関する記事も書こうと思っていた頃、ちょうどそんなオンエアとそれに関するネット議論があったから、それを記事の書き出しに利用させてもらった。


少し前に読んだ本。


「僕は四つの精神障害」


僕は四つの精神障害 ‐強迫性障害、性同一性障害、うつ病、発達障害と共に生きて‐/星和書店
¥1,296
Amazon.co.jp

著者は津野恵さんという人。



「強迫性障害」

「性同一性障害」

「うつ病」

「発達障害」



四つの障害を背負って生きている。

重い。

とてもへヴィーだ。

いや、そういうふうにいうと逆に失礼なのかもしれない。


はじめに――

の部分で、本書は克服体験記や闘病記ではなく、著者のありのままを綴った手記だと

断りがかいてある。


読んでいてそれは伝わってきた。


だからそれを読まずに本書を読むと、箇所によっては「病気を理由に甘ったれている人」

にも見えてしまうけど、本当につらい人、誤解され続けている人っていうのは、それくらい

心をやられてしまっているというのも同時に伝わってくる。


最近よく耳にする言葉に「感動ポルノ」というのがある。

身体にハンデを持った人に焦点を当てて、なにかにチャレンジさせたり密着したりして

観ている人間を感動させようとする企画。


俗にいう「お涙ちょうだいモノ」である。


ご本人たちが自ら何かをやりたい、何かに挑みたいという考えは素晴らしいことだが

問題なのは、「○○をやってみませんか!」とか持ちかけて、過剰な演出し人々を感動させる

ことをビジネス化しようとしている側だと思う。



特別扱いや聖者扱いは逆に差別に思えてならない。


たとえば日常生活においても、ハンデを持っている部分に関するフォローはさりげなく

してあげるべきだと思う。


バリアフリーのない階段の前で車椅子に乗っている人が困っていたら、助けるべき。

それはハンデに直面した部分だから。

だけど障害者の人を極端に哀れに思っている人とかっていうのは、たとえば車椅子の

人が外にいる時、落ちてきた鳥の糞が服をかすった時とかも笑っちゃいけないと考えたりする。


健常者であっても障害者であっても、外を歩けば鳥の糞が落下してくる可能性はある。

逆差別をする人っていうのは、ハンデに関する部分に関係ないことでも障害者におこる

不幸系のことはすべて笑ってはいけないとか捉えている人がいそうな気がする。


特別扱いってかえって本人は寂しいんじゃないかなって思える。

のろまな子が鬼ごっこでオミソにされるのと同じで。

やっているほうは優しさのつもりだろうから、そのすれ違いがまた難しいなとは思うんだけれど。


なんでこういうことを書いたかというと、人間って外見的に明らかに障害を持っているなあとわかる人に対しては、場合によって過剰なほど気に掛けるのだ。


だけど、その一方で外見的には健常者とかわらない障害者の人に対しては鈍感で

「へんなヤツ」「常識のないヤツ」「頭わるくてふざけているヤツ」「落ち着きのないヤツ」

「人の話を聞かないヤツ」などと、いじってきたり、時には怒鳴ってきたりする。


そこに生じる誤解は決して外の世界だけで渦巻くものではない。

家族内という空間でも誤解は生じるのだ。


この著者の人も母親といろんな衝突や誤解もあったらしく気持ちをお察しする。


各章の最後に母親から著者に向けた一言が書かれたページがついているのだが、

それがけっこう泣けてしまう。



当時はそういう障害があるということを知らなかったからこそ向けた優しさが本人を苦しめた

事に対する申し訳ないという謝りは切ない。

お母さんは決して悪くない。読んでいる限り母親として当然というか、それ以上の愛を向けてあげていた。女の子らしい可愛い服を買ったり作ってあげたとか。


だけど四つの障害のうちのひとつ。

性同一性障害がまさに障害となってしまった悲しさ……


お母さんの言葉は読んでいて正直つらい。



みなさんのまわり、見た目は五体満足で悪い人ではないんだけれど、なんとなく

ヘンだったり、行動や考え方が変わっていたり、しゃばりかたが独特な人とかいませんか?


あなたがいじったり、細かく注意したり、変わったリアクションをマネして茶化したりしている人、

もしかしたら目に見えない障害があるのかもしれません。


ちょっとでいいです。

まずはその可能性も頭に入れておいてください。


先ほども書いたように、なかには健常者だけどホントにふざけたヤツや、やる気がなくて

人のいうことを憶えないヤツもいます(笑)


でも、そんなことは普段の人間性や目に浮き出る真剣さを見ればわかるでしょう?


その観察すら怠けるような人間ならば、どんなコミュニティに入ったところで人望なんて

芽生えないと思います。


「部下を育てる方法」だとか「コミュニケーション能力を養う本」とかいうビジネス書をたくさん

読むのも個人の自由。


だけど、そういう類の本ばっか読むばかりに、ちょっと不器用な部下や人の話を理解するのが

ヘタな人間をみたら、すぐ「できないヤツ」という印象を持ち、本に書いてあったことを押し付ける

人間になる危険性があります。



本当の優しさ……


人を矯正することだけに目が行き過ぎたあまり盲目になって、本当の優しさというものを

はき違えちゃいけませんよね。


うーん、本当はね、まだまだ書きたいことあるんだけれど、ここまでの長文と内容の重みが

読者さんの心に既に10Gくらいかかってきていると思うから、今日はこのへんで。


次回は軽い話題で。たぶん(笑)


では、おやすみなさい。