中原昌也の人生相談 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

「バイトするならタウンワーク」……


あのコマーシャルをはじめて目にした時、違和感をおぼえた。

そして、いくら仕事とはいえ松本人志もついにヤキが回りって丸くなったか、と感じた。

だけど、それもオレの勝手なイメージだとあとになって気づく。


松本人志はアルバイトだとかサラリーマンにような生き方はあまり好きじゃないという印象が

なぜかあったのだ。

そういった生き方が好きじゃなく体質にあわないこともあって、好きだったお笑いの道に入ったというイメージ。


だけど、よく思いだしてみたら、もう20年以上前に読んだエッセイ集にて、「今度アルバイトを

してみようかと思った」と書いていたから、やはりバイトというものに否定的な立場というのは

オレの勝手な思い込みだったようだ。


イメージや思い込みの影響力というものはほんとにこわいのだ。

あるいは何も言葉を発していなくとも、その表情とかから、こいいうふうに考えているヤツだとか

決めつけられたりする。


なんだかわからないがオレも他人から勝手にこう思っているとか決めつけられたりするから

とても疲れる。


相手の話をちゃんと聞いて納得しているのに、「なんか不満そうだね」といきなりいわれたり、

大勢いるなかでちょっとくたびれた顔をしていると、「自分だけが辛いと思うな!」と急にいわれた

こともある。なんでやねん。


あと、類はともを呼ぶという言葉があるが、同類だとも思っていない種の人間から

勝手に同類だと思われ近寄られ、オレまでヘンな仲間にくくられてしまったり(汗)


たしかにオレもマイナスな話題やネガティブな話題やマイノリティな話題をすることは少なくないが

マイナス、ネガティブの中にもいろいろなタイプがいて、異なるのだ。

オレはそれらを哲学や自虐的ネタとして変換して発信してゆくタイプなので、ただ単に口にして

傷の舐めあいするようなタイプとは違うつもりだ。


だけーど昔は周囲にたまーにいたんだな、ネガティブななかでも全く異なるタイプなのに

オレに落ちこぼれトークとかしてきて、

「どうせ、‘オレら’なんてさぁ……」

と、“ら”をつけてオレまで一緒にしてきたりする人(笑)


おい! ちょっと待て!!

オレはオレで単独の「馬番」がついているんだから、オマエと同じ「枠番」でくくるんじゃない!


嫌われるよりかはいいかもしれないけど、ちょっと嫌な感じの好かれ方には違いない。


そういえば高校2年の時にAという友人がいたのだが、その友人は比較的地味なタイプだった。

だけど当時でいうちょっと暗いオタクのようなタイプではなかった。


そのAから聞いた話なのだが、入学した1年生の時、出席番号順でうしろの席にBというクラスメートがいたらしい。同様にかなり地味だがBは、はっきりいってクラスに他に友達がいないオタクだった。


席が前後だから一言二言は会話したことはあるようだが、同じ地味なタイプでもAはBのことを

まったく同類だと思っていなかった。自分はオタクじゃないからと。

だから当初、特に仲が良かったとか悪かったとかはないらしい。


入学から少し経った時、クラス内の交流を深めるという目的のイベント(BBQ遠足だったと記憶する)の企画があり、その数日前に担任が「好きな者どうしで3人のグループをつくれ」といったらしい。


その時、Aはクラスに数人いた気のあう何人かに声を掛けようと思ったそうだが、後ろの席にいる

Bからいきなり

「Aさん! (3人のうち) あともうひとりは誰にしやしょうかね!?」

と言われて、内心「ええっ!」と勝手に親友意識を持たれていたことに戸惑ったという(笑)


たしかにまず最初に「A君、オレと一緒のグル―プになってよ」というふうに言われたならば

まだ多少困る程度の反応だったろうが、既に仲間だという前提で言われたら、それは戸惑うだろう。


心の奥底ではBに対して「誰もオマエと同じグループになりたいなんて言ってねえよ!!」

と思ったらしい。

結局どうなったのかまでは聞いたけど、オレも覚えていない。


……


うん、そうね。


こういう言い方すると、それこそ差別だとか他人を見下した視線だとか言われそうだけど

でもやっぱり、自分からみてちょっと苦手だなとか、価値観違うなとか、友人少なそうだなって

見える人から予想外といえるほどの強い仲間意識を持たれてしまうと、自分もどこか誤解されて

いたり、間違った人間性を相手に受けつけてしまったのかなとは考える。



元々、暴力温泉芸者というアーティスト名義で活動し、退廃的な小説で物書きとしても

三島由紀夫賞を受賞するなどしている中原昌也氏の悩み相談本がなかなか面白い。



中原昌也の人生相談 悩んでるうちが花なのよ党宣言/リトル・モア
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収録されている読者からの相談のひとつにも「死にたい願望」のある女性から

悩みがきていた。


中原氏はネガティブなコラムや小説を書くことが多いので、悩みをよこした女性とすれば

「同じ死にたい仲間として、中原さんの意見を聞きたい」みたいな感じできていたのだが、

それに対して中原氏は

「いやいや!ちょっと待て! オレは自殺したいなんていったことはないぞ!」

と答えたうえで、

「まず第一に痛いのはイヤだし」
と補足している。



こんな感じの「やりとり」と「テンポ」。

なんか好きだ。


ヘタに押しつけがましい説教を聞かされるより、かえって「オレの悩みってくだらないのかも」

って思える気になる。


で、はっきりと「こうしろ!」みたいな回答ってあんまりない。

比較的脱力系なのが多い。

蛭子サンのお悩み相談本とかもそんなようだとか聞いた。


今は説教系に悩み相談よりも脱力系悩み相談のほうが人間を救うかもしれない。


そして何かしら誤解されている人の回答のほうが面白いし、共感できる部分がある。



中原氏は「ぼくは自分が幽霊だと思い込んで生きている」と最後に書いている。

これって一見ネガティブだけど、ぐるーっと一周まわって実はポジティブなんだと思う。


最初からネガティブに考えていれば、逆に気軽に動いたり生きたりできる。

そんな感じ。

「命の尊さ」とか連呼されると、かえって枷をつけられたような動きづらさを感じるよ(笑)