葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

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オレはバカなので、昔からまったくする必要のない心配をしたり、まったく陥る必要のない

憂鬱に陥ったりすることがあった。


大学時代、就職先としての第一希望はニッポン放送だった。

水を注ぎ足して、どんなに嵩を増して薄めても届くことのない学歴と才能だったし、また

ラジオ業界への就職はコネがほとんどという事実を後に知ったこともあり、どう考えても

受かることはない。倍率だって天文学的に近い数字だ。


でも当時は真剣だった。

一つだけ言っておきたい。、オレがそういった業界を志望したことについて

何も知らない人間は「華やかに見える世界に行きたかったんだろう」と言ったがそんな

事実はない。


華やかどころか厳しさは地獄だと思っていたし、それでもラジオやモノづくりにかかわる業界で

自分を試してみたかったのと、事務的なかたい業界よりもそういった世界のほうが自分に向いているという冷静な判断からだった。

(そのへんに関しては今までこのコラムを読んでくれている人はご理解いただけると思っている)


結論から言うと、当時のサンケイグループ(フジテレビ、ニッポン放送、扶桑社)は履歴書を見て

有名大学でなかった時点で詳細まで見ず落とすようで、それに基づき落ちた(笑)

正式に言えば、落ちるどころか説明会にすら参加させてもらえなかった。

往復はがきで申し込んだら、「あなたは参加できません」に等しい文章が印刷されたはがきの

片割れが戻ってきたから。


だけど、連絡待っているあいだは、ほんとにバカながらいろんな思いを馳せたり、内定が

出たあとの自分の生活を想像したものだった。


そうそう、ちょうどオレがその大卒採用の就活をしていた時に、フジテレビの社屋がお台場へと

移ったのだ。

ニッポン放送もそれまでは有楽町にあったのだが、親玉にあたるフジテレビが移転して建物

のスケールもグレードアップしたため、ニッポン放送も移転して、あの球体ビルの中に吸収

されることとなっていた。


したがって、もしオレがニッポン放送に採用されて、新卒と通うこととなった場合

旧所在地の有楽町ではなく、ゆりかもめにのって埋立地まで通勤しないといけないのだ。


ここで改めて、ニッポン放送内定の確率について言っておく、というか言うまでもないが

「学歴にしても才能にしても倍率にしても絶対に受からない」


だけど、ヘンなところでは前向きなことを考えるオレは説明会の連絡ハガキが返ってくるまで

マジで悩んだ。


「有楽町でも1時間かかるのに受かったら受かったでお台場は遠いな」

「朝の番組の仕事担当になったら、毎日オレ何時起きなんだよ」

「あの狭いゆりかもめで、ムカつく上司と一緒になったら嫌だろうな……」

「夜の番組担当になったら帰れるかな……ゆりかもめの‘終電’、いや、‘終かもめ’って

いったい何時なんだ?」

……

などなど、その他多数。


良い結果が出たら出たで幸せだけど、そこからうまくやってゆけるだろうかという

マリッジブルーのような感覚。

当然受かりっこないのだから、相手もいないのに勝手にマリッジブルーになっているような

もんだが(笑)


そして最後にはすべて無駄な心配と憂鬱で終わった。あたりまえ。



あと、話はちょっと変わってバラエティー番組のコーナーでよく

「箱の中身は何だろうなクイズ」

というのをやっている。

箱の両側に空いた穴に手を入れて、中に入っているモノが何かを手触りで当てるという

アレだ。

もし、自分がテレビに出る人間だと仮定して考えたら、あのクイズに参加するのがとても

こわい。


とは言っても誤解はしないでいただきたい。

何が入っているかわからない箱に手を入れるからこわいのではなくて、実際にそれほど

ヤバいものが入っていないとわかっているのに、番組的にディレクターの喜びそうな

表情やリアクションがとれなさそうでこわいのだ。これも今の自分の状況からすれば

まったく不要な心配だが。


パターンが大体決まっていて、まったく無害なモノも代表として「たわし」や「ぬいぐるみ」

が入っている。


最近はテレビの規制が厳しくなっているからか、あまりグロテスクなものは出せない。

映してもせいぜい「タコ」


爬虫類ネタは多様されるが、ガチで手にかみついて出演者の出血が映ってしまうと

放送できないので、とたえヘビが入っていたとしてもごく小柄な蛇だ。

かみついても擬音で書くところの「カプ♡」程度の噛みつきしかしない蛇。

これが「ガブリ」まで行ってしまうと、血が出て放送出来ないうえに、天下のPTAのおばさんたち

が動きだしてしまう。


演者でない素人が見ても、そこまでの暗黙安全ゲームだということがもう知れている。

それでもビビる表情したり、派手なリアクションとかする芸人さんて、やっぱプロだなと

関心してしまう。


自分だったら、そんな芝居は出来ない。よって上手いリアクションがとれないか、ものすごく

わざとらしいリアクションになってしまう。


もし自分がテレビのこういうクイズに参加することがあったら、箱の中に手を入れることよりも

そのあとのディレクターやプロデューサーからのカミナリのほうがこわいなあ、なんて無駄な心配をすることがある。


でも、器は何であれ、中身は中身でとてもとてもコワいものだというのも事実なのだ。


例えば魚を釣って、新鮮なままそれを沖ですぐ食べる。


でも、その食べた魚が釣られる寸前に何を食べていたかを知るものはいない。

ものすごく極端で不快な話、誰かがその魚のいる湖や川に数日前、死体を捨てていて

腐敗しはじめたその死体の肉を、釣った魚が直前に食べていたりするということもあるのだ。


そうなると当然食べた人間は魚の腹に中にある人肉も食べたことになる。

そう考えると、「その中に何が入っているのか」「中から何が出てくるのか」という発想は

とんでもなく恐怖に値する。


そして出てくるものは決して毒とか猛獣とかに限らず、精神に大きな衝撃を与える

紙だったりもする。


オレが読んだのは本人のみの作品集ではなく、アンソロジーだったからそれを張り付けたが

上の「文豪さんへ」に収録されている葉山機嘉樹の『セメント樽の中の手紙』……


作品の中に出てるくセメント樽の中身が衝撃的なだけに、作品の中身も衝撃的なものへと

仕上がっている。



――ダム建設現場で働く男がセメント樽の中から見つけたのは、セメント会社で働いているという女工からの手紙だった。そこに書かれていた悲痛な叫びとは…。

(amazonから引用)


この話は果たしてホラーか、ミステリーか、それともプロレタリアか……


想像力を備え、社会への危機感を感じる人間だけが、自分だけの正解を読み取れる。


これは概念をかみ砕くこめかみが退化した現代人に向けた葉山氏の挑戦状だとオレは

受け止めている。