大学生時代ガソリンスタンドでバイトをしていた時、C央大学生だった二つ年上の先輩が
周囲にある給油ポンプやレジや車を見まわしながらこう言った。
「それにしても人間て、すげえよな……まったくなにもなかったところから、ここまで
いろんなモン作っちまうんだからさ」
今さらの発言に聞こえるようだが、改めて周囲に溢れる機会や商品、そして甲州街道を
流れる車の群れを見ていると、本当にそうだなって思った。
原始時代や縄文時代の人はもちろん、江戸時代の人が3D映像やプロジェクションマッピング
などを見たら、黒魔術や幽霊かと思って気絶するのではないだろうか。
そう思うと、人間(原始人)の他には恐竜と三葉虫と草と木と石くらいしか風景に存在しなかった時代から、携帯やらLEDが存在する時代まで進化させた人間というのはすごい生き物である。
ここまで高度な機械を作りだすことが出来るのであれば「タイムマシン」も本当に創りだすことが出来るような気もする。
しかしタイムマシンが完成して、それを使用してしまうと時間軸や歴史に矛盾がしょうじることとなる。
例えば、たった今オレがタイムマシンを作りあげたとして、自らそれに乗って過去に行き
‘5年前’のオレ(自分)を殺すことが出来るかどうか?
5年前にたどり着いて、そこで見つけた自分自身を射殺したとする。
つまり、オレはそこで死んでいるワケだ。
だが、そうなった場合、現在から数えてオレは5年前に死んでいることになるから
誰がタイムマシンを作って、誰がオレを殺したのか?ということになる。
ニワトリが先かタマゴが先か?……というのと同じような論理で、実際の歴史が先か
それともタイムマシンが完成後が先かという矛盾ループに突入する。
だから、もしタイムマシンが完成してしまったら、地球上の歴史だけでなく各人の個人
ヒストリーにも歪みが生じて、とたんにその存在がすっと消えてしまう人も出てくるかもしれない。
従って、人類はどんなにその知能を進歩させたとしてもタイムマシンなるモノを発明してはならないのである。
いや、ひょっとしたら誰かが既に発明してしまった事実があるかもしれない。
だけど、その事実を知った誰かが、その発明の歴史は人にとって非常にまずいと思い、
タイムマシンで未来からやってきて、そのタイムマシンを完成を喰いとめたことによって
タイムマシンはいまだに開発させていないということになっているのかもしれない……
うーん、自分でもよくワカラナクなってきた(;一_一)
でも、まあ歴史を行ったり来たりするアニメとか映画ってのはオモロイよね。
中学生時代、オレがもっとも好きな映画のシリーズはインディ・ジョーンズだったんだけど
当時一番仲良かった友人が好きだったシリーズは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だった。
映画の名前や存在は知っていたけど、当時はあまり得意じゃなかったエスエフものっぽい
印象を持ってて見たことなかったんだけど、試しに見てみたら面白い。
ちょうどその時に地元から近い聖蹟桜ヶ丘の京王デパートの最上階にミニシネマが出来て
そこで新作であるパート2が上映されるということで、その友人と自転車漕いで観に行ったのを
今でも憶えている。
その頃はまだ映画館が少なく、映画を見るなら新宿か渋谷、近くても吉祥寺まで行かないと見れないという電車移動圏内にしか映画館がなかったが、中学生が自転車で行ける範囲に新しい映画館が出来たというのは実に新鮮であり、また嬉しかったものだ。
しかも、そこで話題の洋画が見れるなんて。
当日は放課後だったか休日だったか忘れたが、友人と二人でウキウキしながら聖蹟桜ヶ丘まで
バック・トゥ~2を観にいった。
ミニシネマと言っても、ちょっと大きい部屋という程度でスクリーンも小さく、字幕の一番下の文字が切れていたのにはビビったが(爆)
映画館、今はもうなくなったみたい。
タイムマシンものの映像作品はたくさん存在するが、バック・トゥ~シリーズも魅力は
その時代における街の風景描写だけにとどまらず、歴史を行ったり来たりしている間に
おきるハプニングのリンクにある。言ってみればゲームブック的な。
一度‘あってはいけない未来’に行ってしまったあと、またそれより前に戻って最初のほうは
前にみた場面があるみたいなところ。
親友である博士が殺されてしまうようなセンセーショナルな未来もあれば、ビフ・タネンという
どの時代でも共通の敵がどのシリーズでも最後に「こやし」の中に突っ込むというオヤクソクな
コメディタッチも同居している。
シリーズにおいて毎回出てくる敵が、外部に大魔王だとギャングだとかではなく、ビフという
身近な学生だと言う設定もリアル。
ドラえもんの映画で言えば、普段は暴れん坊のジャイアンが映画になったら最も頼もしい
見方のひとりになるが、バック・トゥ~シリーズで言えば、そのジャイアンが映画版では
のび太たちにとってのラスボスとなるようなものである。
そんな敵ボスの身近感もなかなかツボである。
バック・トゥ~は2と3が同時製作されて、2公開から少したったらすぐに西部時代を
舞台にした3が公開されたのが話題だった。
中学の時に、ジッポーライターのオイルをアスファルトの上に線を引くようにして2本並べて
垂らしてそこに火をつけ、2本の線が燃える様子をみて、友人と二人で
「デロリアンがタイムスリップしたあとの道路」
と言って遊んでいたこともあった気がする。ただ、それだけだけど。
(キケンな遊びなので、マネしてはいけません)
そうそう!今年「2015年」はシリーズのパート2で主人公マーティとエメット・ブラウン
博士の2人が、(マーティの)息子が犯罪者にされるのを防ぐためにデロリアンで向かった未来の年なのだ。
現実が作品上の未来に追いついたのである。
パート2で描かれていた2015年の世界では、宙に浮くスケボーとか、靴ヒモが自動でしまる
スニーカーなどが登場したが、現実の2015年である今はどうか?
近いところまで来ている商品はあるかもしれないが、まだまだ映画の中の世界には達していない。
そう捉えると、当時の人間が描いていた近未来的な2015年と比べて発達の遅れがある。
もしかしたら、文明は目覚ましい進化をしているようで、実はそれほどでもないのかも
しれない(笑)
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