村上龍の作品に「イン・ザ・ミソスープ」というのがある。
20代前半の頃、書店で見かけてなんとなく興味を惹かれ購入した。
歌舞伎町で外国人向けのアテンド(案内)を生業とする主人公ケンジと、そのケンジのところに
客としてきた外国人観光客フランクが主な登場人物だ。
新宿を案内してほしいというフランクをケンジはキャバクラにつれてゆくが、そこでフランクが豹変。
キャバクラ内で大量殺戮を繰り広げる。
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ちょうどこの時期に重なって、世間を震撼させた酒鬼薔薇の神戸児童連続殺傷事件がおき、
あとがきにて村上龍が「現実と小説の世界の区別がつかなくなった」といったような心境を
記していた。
そう、最近で言えば、少女行方不明事件で、警察が踏み込んで来た時に、さらった少女の
ことを「自分の妻です」といった容疑者がいた事件があったと思ったすこしあとには、例の
佐世保の同級生殺害事件が世間を騒がしている。
「事実は小説より奇なり」ではないが、まさに村上龍の書いているとおりで、「事実は小説より
‘猟奇’なり」といったところであり、いまやホラー作家などがどんなに猟奇的な物語りを紡いだと
しても、もう現実を超えることは難しいような次元になってきたように感じられる。
こわいのはその犯罪者の残虐性ももちろんだが、そういうことは自分の周りではおこらないと
どこかしらで思っている自分も含めた半径数百メートルの一般人の危機感のなさ、
そして面白がって騒ぎを焚きつけたりするネット愛好人種……
ネットの世界には書きこんだ者自身の匿名性は存在するが、加害者や被害者の匿名性は
もう無いに等しい。
もっともオレは綺麗事がキライなので、被害者遺族のことを考えたら、たとえ未成年だろうが
実名を公表すべきで、死刑にはならないにせよ一生拘束されて過ごせという考えかただが
なんとなく面白がりネットの匿名性を利用しての実名拡散はあまり賛同できない。
発信者名を堂々と公表したうえで、ちゃんとした思想や考えのうえでの発信および拡散ならば
まあ、よいとはいわなくともオレは何もいわない。
今回の事件に関しては、はっきり先に言っておくといくら少数派主義だとはいえ、加害者少女の
肩をもつつもりは微塵もない。微塵もだ。
何も悪いことをしていないのに我が子をいきなり殺されたご遺族の気持ちを考えたら言うまでも
ないが。
100歩譲って、これがもし、ずっといじめられててストレスがたまって暴発したとかならまだ
動機だけは理解できる。
でも今回の件に関して、被害者の少女のほうにしてみれば、まさにいきなりの地獄だったと思い
その瞬間はかなりの恐怖だったのではと思うと、やりきれなくなる。
だから、誤解を招かないようにして事件について先に言っておくと、加害者に同情もないし
たとえ未成年であろうと一生拘束されるべき。というのが答えだ。
と、事件のことはここで一旦切りはなして、ここからは事件の例とは全く別としての殺人論を
書いてゆくことにしたい。(とはいっても、ちょっとは関わるのだが)
今回の佐世保の事件のケースはいわゆる「純粋殺人」とか「快楽殺人」と言われている。
つまりは怨恨だとか金銭目的ではなく、ただ純粋に殺したかったからというのが目的。
実際のところはいま捜査中で、今後自供内容は変わるかもしれないが、一応、純粋殺人と
いう前提で思っていることを綴ってゆく。
このような残酷な事件が起こるたびに、「生きることの素晴らしさ」とか「人間のあり方」というものを考えさせられることになる。
大学生の時に、タランティーノ原案でオリバー・ストーン監督の
「ナチュラル・ボーン・キラーズ」という映画を見に行った。
主演はウッディ・ハレルソン。
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主人公の殺人鬼カップル、ミッキー&マロリーは道中で殺人を繰り返すが、それは金銭目的でもなんでもない。
ただ殺しが好き、人を殺さずにいられない‘生まれついての殺人者’なのだ。
そんなかっこうの数字(視聴率)を持っている彼らをメディアは毎日のようにとりあげ特集を組み
英雄に仕立て上げる。そんなメディアに操作された民衆は彼らに酔狂しはじめ、熱狂的なファンまでもが世界中に現れる。
(本編の中では日本の繁華街でのインタビューもあり、アメリカのテレビ局から彼らについて
どう思うかインタビューされた若いギャルが「ミッキー!私も殺して!♡」と叫ぶシーンが印象的だった。
物語の流れよりも、凝った演出が目立った作品だっただけに当時の評価はあまり芳しくなく
オレも映画館でみて、うーん、と思ったが、今思いだしてみると、けっこう風刺が効いていて
もう一度みたくなった。評価もまた見直されてきて高くなってきている……ような気もする。
タイトルやダイジェストだけパッとみると、派手なバイオレンス作品のようにとられがちだが
実は痛烈な「メディア批判」であり、またそれにあおられる「愚かな大衆批判」を描いた作品
なのだ。
最後にとらえられた連続殺人者ミッキーが、テレビ局の腹黒いインタビュアーと対峙して
質問に応えるシーンがあり、そのやりとりと殺人鬼ミッキーのセリフがナイフのように鋭い
セリフだった。
その部分が、最初のほうに書いたオレにとっての「人間のあり方」に疑問を投げかけるのだ。
腹黒い局の人間(インタビュアー)を演じていた俳優はたしかトム・サイズモアだったかな?
そのインタビューが、やっと逮捕されてブチこまれたミッキーに対して、
「我々には真実を国民に知らせる義務がある」とか
「なんの罪もない人間を殺して、人としての罪悪感はないのか?」
とかいった、もっともな質問を次から次へと繰り返す。
そこでそのテレビ局のインタビュアーに対して、ミッキーが返した一言。
「オレの(殺人)は純粋な一瞬。 お前は嘘だらけの一生」
ミッキーの言っていることがおわかりだろうか。
殺人鬼ミッキーが言うには、自分はカネのためだとか名誉のためだとか家族のためだとか
ではなく、ただ殺したいから殺しているのだということ。
映画の中の世界だからここで「殺人」が良い悪いはおいておくが、欲だとか利益や名声が欲しい
とかいう邪念ではなく、純粋な思いで殺しているということ。
つまりは自分に正直に素直に生きているからやっていると。
殺したいからというのも否定せずに堂々と言っていると。
だけど、お前は……つまりそのインタビュアーは「国民のため」だとか「命の大切さ」だとか
のたまっているが、それは表向きで、本当は他人の命なんてそんな関心なく、ただ数字(視聴率)
目当てなくせに、いかにも正義の人ぶって、そんなもっともらしい言葉ばかり巻き散らして、おまけにオレらのような殺人者のケツばかり追っかけてるようなクズだ…… と言ってるワケだ。
殺人なると、これはもう深刻で大きな事態だから、やりたいからといって簡単にやられたら
それは勘弁だとは思うが、それ以外の日常シーンにおいてはミッキーのこのセリフで考えされられることが多い。
はっきり言ってしまうと、ミッキーの言っていることは的を得ていると思うのだ。
だから、オレは「人間のあり方」について考えて悩んでしまう。
生きることが素晴らしい。この世の中で生きてゆかなければダメだ。というのならば
このインタビュアーのように嘘つきの偽善者としてやってゆかなければムリなのかと。
生きてゆくのは不可能なのかと。
映画の例で言っても、無実の人を殺すのはいけないことだ。
だけど、純粋さを捨てて、嘘つき偽善者として生きてゆくのとどちらが美しいかというと
それは悩む。
「なにがなんでも生きてゆくことは素晴らしい」というのであれば、今みたいな社会ならば
嘘つきとして生きてゆかなければならない。
いや、生きてゆけない。
でも、それは純粋な生き方ではないのだ。
人間嘘をつかなければ生きてゆけないのも事実、もはや世の中を綱渡りして落下しないように
わたってゆくには、社交辞令というバランス棒を持たずに渡ることは不可能。
嘘も方便という。建前はしょうがないともいう。それは事実だと思う。
事実ではあるが、そういうの口にする人間は純粋ではなく嘘つきというのも事実だ。
純粋がすべてだとは思わない。
でも多くの人間が純粋には生きていない。
ここでちょっとだけまたあの事件のことに戻す。
加害者はある意味で純粋だからこそ、その残虐性もむき出しにした。
純粋というものはまっすぐな分だけ暴走しやすいキケン性がある。
そして、こういった事件を繰り返してはならないというメディアも、そういいながら
毎日のように特集を組み、被害者家族のもとにも押し寄せたりして数字を稼ごうとしている。
あらゆる出来事を国民に知らせるためだと言いながらも、自分の局の社員が傷害やらおこしても
それは取り上げないだろう。
別に加害者の味方をするつもりはないが、報道の仕方であまり気に気喰わないところが
もうひとつ。
加害者の生い立ちやや部屋の様子をとりあげて、一部だけを強調し、報道するにあたっては
理想的な犯罪者像を仕立てあげようとする部分。
その趣味が犯行の動機などに直接関係ない場合でも、犯人が住んでいた室内にアニメやゲームがあったりすると、他にもいろいろあったとしても、まるでそればっかりがあったとか、それしか部屋になかったといったような報道の仕方をする。
オレはゲームもやらないし今のアニメもほとんどみないが、そこだけはちょっと違うと思う。
たしかに、そういった趣味や嗜好がエスカレートした結果のような犯罪が起きることもあり
それはそれでそういった報道がされてもやむを得ないとは思うが、少し前のアクリ食品群馬工場で起きた毒物混入事件の犯人の時もそうだった。
やったことは許せないが、コスプレの趣味は犯罪とはまったく関係ない。
メディアや良識者にとって、コスプレやアニメやゲームが好きで、さらにその人間が
引きこもりだったり、派遣だったり、フリーターだったり無職だったりとかいう立場の弱い人で
あればあるほど、大衆の興味を引く最高の犯罪者として目立つ存在になり、その情報に左右されてしまう大衆が、そういう人たちばかり犯罪を起こしやすいという偏見を抱くようになる。
一番怖いのは犯罪を起こす人間か、あおるメディアか、自分に嘘を突き続け生きる大衆か?
こういう純粋ゆえの暴走事件が起きる反面、自分のイメージを守るための建前やあからさまな
嘘を正しいこととして気取りながら純粋な人間を押しのけて生き残ってゆく人間をも見続けていると、どうやって生きてゆくのがもっとも正しいのかということが本当にわからなくなってくる。
結局最後はまた、うまくまとめられなかったような気がするな……すまん。
最後に被害者のかたのご冥福をお祈りいたします。