クリーチャーに電流を | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

図書館から借りてきた小説を電車の中で読んでいて、それが惹かれるような面白い作品だった

時は、いい本を見つけて読めたというとても嬉しい気持ちになる反面、肩から崩れ落ちそうになる

ような絶望感が襲ってくることがある。


作品のストーリー性や、文章のあらゆるところに地雷のように散りばめられた見事すぎる比喩、

それに大勢の登場人物というコマをスムーズに動かすのその技術の巧みさを、こうも見せつけられると、世間ではそれほど有名でない作家さんの中でも、こんなレベルの人たちがウジャウジャいる世界に自分が挑んでいるかと思うと、目の前に現れたフリーザの戦闘能力をスカウタ―で見たときくらいにがっくりというような沈んだ気分になる。

「ほっほっほ。私の戦闘力は53万です」と言われたような。ちなみに小生は戦闘力3くらい。


オレよりもずっと前にモノ書きをして応募とかもしていた知人が、最近書いてみたという短編原稿を

送ってくれたので読んでみた。

もう、すべて読み終える前に、文章の冒頭からすでにプロが書いたような雰囲気のはじまりだった。さすがだ。 やっぱりオレなんかまだまだ甘く実戦不足であると痛感する。


とはいえ、最初から戦闘力53万の人間なんて存在するわけがないし、存在してはいけない。

やはりコツコツと少しずつでもいいからとにかく書き散らかして、経験値を積んでゆくしかない。


そういうわけで今、5作目の原稿をなんとか133枚目まで書きすすめた。

たぶん200枚ちょっとあれば完結するペースだ。

てか、250枚でおさめないと規定違反になってしまうから、なんとかおさめないとイカン。


正直、平日の執筆ペースは鈍っている。

ただでさえ疲れるのに、最近はこの暑さでそれが倍増。


ある程度長い文章を考えて書く作業をしていた経験がある人ならわかると思うが

疲れて帰ってくると、執筆がスムーズにいかない。

それは書きたくないとか、眠いとかいう怠惰的なことではない。


そこに疲労があると、とりあえず文章を考えて何か書いても、翌日その文章を改めて

見てみると、文法がメチャクチャだったり、筋に矛盾があったり、深夜に書いたラブレターのような

翌朝見てすごくハズかしくなるような稚拙な文章を書いたりしていることが多い。


結局ぜんぶ書きなおすことになるので、手間を考えれば、多少脳ミソを回転させるだけの

元気がある時に書いたほうが有効的である。

それでもやはり毎日少しずつ書かないと、締切に間に合わないのが悲しいけどね。


しかし前にも書いたけど、今執筆中の作品はだんだんダークになってくる。


「プロでもなければ予選だってまだ通過したこともないのにモノ書きを気取っている

自惚れクソ野郎」

であるということを自分で認めたうえで書いてゆくけど、今書いているのはグロテスク性と

純文学の含む芸術性をうまく合わせて調合したような「性」についての作品。


なんだかね。文章を考えて書いていると、必死にクリーチャー(怪物)を生み出そうとしている

フランケンシュタイン博士のような気分になる。


あ、ちなみに怪物くんなどアニメで誤解されがちだけど、「フランケンシュタイン」っていうのは

アニメとかでよく見る顏が傷だらけで、こめかみにボルトがささっているごつい怪物のことでは

なくて、その怪物(クリーチャー)を生み出した博士のことである。

ドラキュラも固有名詞なのに、よく「吸血鬼」の俗称だと誤解されてるな。どうでもいいけど。


記憶の限りだから多少間違っているかもしれないが、フランケンシュタイン博士はそれ(クリーチャー)を作りだす行為が世の中に対してはもちろん、神にもそむく行為だと知ったうえで、クリーチャーの体をつくりだし、毎晩のようにそれに手を入れては電流を流し、蘇生させようとし続けた。


実験台の上に横たわるクリ―チャーは見るからにグロテスク。

だけど実験が成功して動かない限りは、それはただのグロテスクな個体に過ぎず

動かない物を作ったところで博士は天才でもなんでもない。


そんな狂気の発明に夢中になる博士は周囲から変人狂人扱いされ続けて異常だと言われた。

だがある日、博士はついにクリ―チャーに生命を与えることに成功する。


生み出したのは見るからにグロテスクで凶暴で、決して世の中から求められていない存在の怪物

だったことには違いない。最後になってついに本当に神にそむくことをやりとげたのだ。


フランケンシュタイン博士の怪物を生み出そうとする執念は怨念に近く、たしかにその思想は

狂気だったかもしれない。

だけど考えなかった領域に踏み出し、そう簡単には作り出せないものを生み出したのも事実。

狂人であるのも事実だが、天才であるのも事実。

だけど、天才という結果が出るまでの実験過程は長かった。クリーチャーの体には何度も

電流を流して蘇生させようとしたのだ。


フランケンシュタイン博士によって生み出され、そして世に放たれたクリーチャーは破壊と

殺戮を凝りかえした。

そして最後、フランケンシュタイン博士も自らが生みだしたクリーチャーによって破滅する。


オレが今書いている話もかなりグロテスクになってきた。

だけど、キワモノ路線をウリにするつもりはまったくない。


前にも書いた通り、キワドイながらもその中に芸術性rと文学性を上手くまぜた作品に仕上げたい

という意図と計算のうえで書き続けている。


毒と娯楽性を含みながらも、世間にはびこる良識や綺麗事を破壊出来る作品になれば

嬉しいかなと思っている。中二病か(笑) いや、オレは真剣だ。


完成に向けて、毎日毎日、手のカタチを整えたり足のカタチをそろえたりしてから、時々実験的に軽く電流を流すようなこと(推敲や見直し)をしているが、やはりまだピクリとも動かない。

言うまでもなく、まだまだ物語の中に張り巡らす配線が甘くて完全ではないという証拠だ。


フランケンシュタイン博士が、そのグロテスクな怪物を動かすまで何度も電流を流しては

失敗するのを繰り返したように、オレもこれから何度も作品に電流を流してみても失敗する

ということを味わうだろうと痛感する。


だけど、諦めずに何度も繰り返していれば、それはフランケンシュタイン博士の怪物のように

いつかは動き出すと思う。

だけど、その時、オレはフランケンシュタインの作品と同じように、自ら生み出した作品に

よって破滅に追い込まれるだろう。


もし! もしもだ! 

今書いている作品が間違って世に出ることがあれば(まあ、まず出ないけどねw)


評価の声の半面、作者であるオレがいくら「創作」だとか「ひらめいた作り話」だとか

言ったとしても

「これは作者の隠れた願望だ」とか「実は私小説なのでは!?」とか言われる可能性が高い。

つまりは自分の書いた作品で、自分の人間性イメージを落とすという意味での破滅。


でも、モノ書きでなくてもたとえば俳優がヘンタイをみごとに演じ切ったらそのイメージが

かたまる時みたいにあらゆる表現者はそういうリスクも背負って、なんぼだっていう覚悟が

必要なんだろうなあ。


たしかに自分で書いてて、たまに「オレはなんという話を書いているんだ?」と思ってしまうこと

がある。 


週末や日曜日に午後から出掛ける予定がある時は、午前中にある程度執筆するのだが

休みの日の朝から「○○の××に△△をした」とかいうような描写を一生懸命に考えて

書いていると、

「はうあ! オレは休日朝から何ておぞましいことを書いてるんだぁ」

とマジでおかしくなりそうになることも(笑)


それがまだおフザケで書いてたり、仲間内へのメールで書いてるならそれほどでもないのだが

ちゃんとした仕事に近い執筆&構成として真剣にアタマかかえて考えて書いてるから、なおさら

我にかえった時、おかしくなりそうになるわけ。

まあ、そういう危機状況に耐えて書き続けるのも試練だ。


ただ、執筆活動を始めたばかりに比べて、書くペースが遅くなっているというのはいい方向に

修正できているのかもしれない。


前まではとりあえず締切優先で、突っ走るように書いていた。

スピードはあったかもしれないが、ゴールとは少しすれた方向に向かって全力疾走していた

かもしれない。


だけど今は全力疾走ではなく、綱渡りをしている感覚だ。

書いている作品は単なるキワモノでもグロでもエロでもない。

それらも含んでいるがイロモノ部分をウリにした文学ではなく、それだけ文学性と芸術性も

練り込んでよく考えて作っているつもりである。


だけど、そこは綱わたり

慎重にバランスをとりながらゆっくり歩いて渡ってゆかないと、左右のどちらかに落ちてしまう。


右側は単なる低俗なイロモノ作品。右側は無難で優等生ぶった純文学。

どちら側に落ちてもだめ。

オレはその中間に位置するの細い道を最後まで渡りたい。

だからこそ焦ってはダメだ。


オレは毎日ゆっくりと歩き、そして毎少しずつ作品というクリーチャーの体の中に電流を

流し続ける……。いつかピクリと動く反応を見せることを期待して。


とりあえず、「性」をテーマにした初の試みは特例で今回の5作目だけ(笑)


コレを書き終えたら、次はおばあちゃんとの思い出を辿る旅に出た孫を主人公にした

ちょっと優しい話を書きたいなあとか考えているがまだ予定。

早ければ今年中に書けるかな……


書ければいいけど。


とりあえず今は週末に集中して執筆作業を進行されてる感じだ。


今回の記事はほとんど希望的観測というか、まず的中することのない未来予想図みたいな

近況報告記事になったけど、あらゆる表現者は多少自惚れているきらいじゃないと斬新な

発想は生み出せないと思うからね。


今日はこれまで。

今回笑いどころがほとんなくて申し訳ない。

てか、いつもないか(爆)


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