胸キュンください | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

小学生くらいの時から異性の友人が多かったり、ふつうにモテたりした人はある意味で

かわいそうだと思う事がある。

「感覚」というものをあまりよく理解する事の無い年齢の時に、異性に対する免疫がついてしまって

いるから。


とはいえ、俗に言う「モテ期」というのは、ホントにあるのだとオレは思っている。

血液型とか占いとかは全く興味ないし、信じもしないが「モテ期」はその大小の差はあれ

誰でも1~3度はマジであると思う。

だってオレのような虫ケラでさえ、自分で、あの時はモテてたと自信もっていえる時期があったからだ。 ネガティブ皇帝のオレが言うのだから間違いない。

というか、皆さんだってあると思う。


でも、さいしょに書いた通りに、おそらく8割くらいの男女が、第1のモテ期を幼稚園から

中学校くらいの間に迎えてしまっていると思う。(あえて、迎えて‘しまった’という言い方する)


オレのモテ期は遅かったよ。高校1年の時だった。

でも、それは自分でも信じられなかった。


別にいじめられてたわけじゃないし友人もいたけど、何度も書いているように中学校生活は

まさに某宇宙刑事モノのマク―空間並みの暗黒の年代であった。


それが卒業してから高校入ったら急にアメリカ横断ウルトラクイズの勝ち抜けBGM(ミシシッピ

組曲)が鳴り続けるような生活に一転。

中学3年生から高校一年へとステージと環境が移るだけでこんなにかわるものかと。


飢えで苦しんでいたアフガニスタンの国境の線を越えたら、不思議と優雅な中立国のスイスに

入ったようなくらいの驚きと変化だった。


まあ、もともとオレ自身それほどのクオリティでもなんでもないが、中学の時は周りはみんな

オシャレに目覚めて、ムースやジェル(懐かしい)で髪の毛わけてたり、ビーバップみたいに

してたりしたけど、オレはオシャレに無頓着どころか、面倒臭がりのいい加減だったんで、

寝ぐせがついてても、そのまま学校入ってたり、ガクランの下に着る白いシャツも綿とかの

オシャレな生地じゃなく、よくある定番のテカテカしたシャツだった。そらモテんわな。


だけど、ただなんとなくで高校行くと、環境も仲間も一新するから、それにあわせて

オレもちょっとピシっとしようかなって思って、整髪料つけたり、白シャツの下に色つきTシャツとか

きて、シャツの上からちょっとその色をのぞかせるようにでもしてみたら、それだけで女子の反応が

180度変わった。(ホントに180度だ!)


繰り返し入っておくけど、これは自慢でもなんでもない。

しつこいようだが、オレじゃなくても誰でもちょっとはそういう時期があるはずだ。

まあ、普段からモテナイを自称しているから、たまには自慢の勘違い発言だと思われても別に

いいけど……。今はフェロモンなんて悲しいくらい出ていないし。

たぶん、寝ている間に抜けてるんだろうな(._.)


いやあ、でもホントに自分でもびっくりした。

中学の時は、まさにアメトークに出れるような「中学の時イケてない」グループで、

例え業務的なことであっても、俺と一緒に歩いていたり何かやっているのを見られたら

ハズかしい(いわゆる恥)。――みたいに思われていた。


だけど高校一年の時、男女数人で学校から駅まで自転車で一緒に帰ろうとした時

ひとりだけ自転車のない女の子がいて、その友人のオンナノコが

「○○君(俺)のうしろにのせてもらえば?」と言ったら、そのコが「やだ!恥ずかしい!」

って言った。

そん時、オレは「ああ、またか……」と思ったが、その子がそのあと「照れるじゃん……」と

言い加えた。


気持ち悪いこというようだが、当時15歳で、中学の時に女の子にまったく相手にされなかった

俺からしたら、とてつもない「胸キュン」であった。

おなじ「恥ずかしい」理由でも、中学の時のとは正反対である。


そのオンナノコの周辺の子ともかなり仲良くなれた。

授業が終わって、帰ろうとして友人と校門を出た時に、ちょっと離れたところでオレをみつけた

女の子(さっきの自転車の子)が、オレに向かって「○○くん、じゃあねー!」と言ってくれた。


そのコはおそらく、仲の良い男子の友人に対して、そうやって「じゃあねー」というのが日常である

のだと思う。そして、オレもそういうふうに女子から言われるのに多少は慣れていると思われたのだろう。その年ごろの男子はだいたいそうだから。


でもオレはなれていない(笑)。

中学の時は女子から帰りの挨拶の声をかけられるなんて、ファンタジ―の世界だった。

「挨拶」なんてそんなハリウッドマジックのようなことは一度もない。


だから、高校でいきなり声掛けられても、こっちはなんて言ってかえせばいいのかわからないし

いちおうまだ、女子に声掛けることに免疫ないもんだから、「じゃあねー」と言われても

返事に困り、声もだせず、とりえあず無言で女の子に向かって、片手だけあげる返事で

ごまかす。無視するわけにもいかんし。


はっきりいってしまえば、こっちは実は小心者で、とまどってしまって、さらにそのコに向かって

恥ずかしくて「じゃあねー」と言い返せないから、ただ片手をあげてごまかしただけなのに、

その数日後、女子の間で「○○くんって、挨拶の対応もクールだよねー」って言ってたのが

聞こえた(ーー;)


ケガの功名ってこういうことかな?


もうちょっとだけ一時の自慢話のようなモノをさせてもらうと、その他にも中学の時は

女の子から一回も言われたことなかった事を、何度か言われた。


「また席、隣同志になったね」

「一緒に帰ろ」

などなど。


でも、これらのセリフって、たぶん他の男子、いや女子でも中学生くらいまでにとっくに言われた

こととかあって、もしまた高校生くらいで言われていたとしても、おそらくそれが日常で、

別に胸キュンでもなんでもないんじゃないかとか考えたりした。

オレがそのステージに来たのが遅いだけで。

他の男子なんて中学生くらいの時に、とっくに「一緒の帰ろ」とか何度も言われているんだろと。


オレは中学の時、女子から名前を呼ばれる時は、名字で呼び捨てだった。

呼ばれ方はそれだけだった。

(あのころは男女問わず誰かれ構わず呼び捨てで、オレも呼び捨てで呼んでいたが)


たまにでも「君づけ」で呼ばれるくらい。

一度、卒業後に、クラスの奴がやってたバンドのライブ会場で同級生の女子に久々あったことが

あったが、酷いモンで一部の女子からは名前を忘れられていた……。

そんなオレが、高校1年生の時に仲良くなった同じクラスのちょっとヤンキーのコ(性格はイイ)

から、「○○ちゃん」て呼ばれた。名字の上の文字にちゃん付けね。


新鮮だった。そして胸キュンだった。

中学の時には名字呼び捨てか、名前を忘れられているような存在だったオレだが

そこで初めて女の子から親しみのある渾名で読んでもらえた。


そう呼ばれたあと、本当はめちゃくちゃうれしかったのだが、ちょっとクールぶって

「ちょっと、その呼び方やめてよー」と笑いながら言ったら、そのコはまた笑いながらオレの顏を

見て、「うふっ、○~○ちゃんっ!」と言った。


オレの心、あぶなくイエス、フォーリンラブ


ここでまた、多くの読者が引くような気持ち悪いことを言わせてもらうと、

オレはその日の夜、そのコの「○○ちゃん」と言ったときの状況をアタマの中で何度も思いだして

反芻していた(爆)

中学時代多少モテてた男女にはわからない感情かもしれないが、イケてなかった人間からすると、それは新たなる時代の幕開けとなるくらいの衝撃で嬉しかったのだ。


繰り返し言うようだけど、異性の友人のことを親しく渾名で呼ぶなんて、そんなこと

みんな中学で当たり前のように日常でやってたんだろうなって思う。

実際に言ってるのみたし。


でも、オレは多くの人がフツウに経験してきた当たり前の日常が、とても胸キュンに感じられた

ことが幸せだったと今でも思う。


中学まで暗黒帝国だったから、そのあとになんでもないような当たり前のことがとっても

嬉しくて新鮮に感じられたのかなって思う。


もう20年以上前になると思うけど、俳優の吉岡秀隆が新聞のインタビューの中で

「トレンディ―ドラマなんて大嫌い」と語っていた。

確かに吉岡はトレンディ―ドラマにあまり出ていない。

(というか北の国からと邦画しか出て無い気もするが)


だけど吉岡の言いたいことはわかる。


ドラマはほとんど見ないが、番宣のCMとか見るだけでもなんとなく雰囲気がわかる。


ほとんどのラブコメとか恋愛ドラマが、もう‘男女交流’になれている登場人物が前提なのだ。

話せて当たり前、手をつなげて当たり前、抱きあえて当たり前。


つまり異性を話したりすることも苦手という人物がハッピーになるっていうような概念はさらさら

ないわけね。

見ていないけど「101回目のプロポーズ」とかも、主人公は一応はオッサン(武田鉄矢)だけど

そのオッサンでも101回もお見合いしてるってことは、女性に対しては積極的っていうこと

なんだろう。喋れないとかタイプとはちょっと違う。


虎舞竜の歌じゃないけど、慣れている人からみれば何でもないような胸キュンが観たい気がする。

みなとみらいで抱き合うとか、結婚式の会場から花嫁を奪うとかそんなドラマチックな演出は

もういらない。


そういう不器用な男女にスポットを当てたドラマや小説がもっと増えれば、もしかしたら見るかも

しれない。読むかもしれない。


でも、なかなか無い。

だからオレがやっと先日書きあげた。