ありがとうを言わない大人達 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ちょっと前に街を歩いていたら、前からオレと同じ歳くらいの男性が歩いてきた。

別に悪そうなタイプでもなければ、ちょっとイッちゃってる感じの人でもない。

すれ違いざまに、いきなり「あ、すいません」と声をかけられ急ぎ足のオレを止めた。

男性は「今、何時ですか」とオレに聞いてきた。

ああ、なんだ時間知りたいのか――と思って、オレは「○時○分です」と丁寧に教えてあげた。


それを聞いた男性は、1,2秒間、宙を見つめ、その視線のままオレの目を一度も見ずに

コクンコクンと、とても小さく2回ほどうなずいた。

その頷きは、オレに対する軽い会釈などではなかった。

今聞いたその時間からあることを軽く計算して、自分の中で「よし」という何かの予定を確信

したという頷きだった。そして、オレの顏を見ずにそのままスタスタと歩いて去っていった。

……


明らかにオカシイ。

いや、きっと削られた時間があったのだ。失われた数秒間が、そこに。

そうじゃないとありえない。


赤の他人のうえに、急ぎ足の人間を呼びとめて質問しておいて、聞くことだけ聞いたら

「ありがとうございます」「どうも」もしくは口には出さないにしても軽くアタマを下げるくらいは

して当然だけど、さっきの男との一連の流れに中に、その行動はなかった。


そうだ。そんな非常識な大人がいるはずない。

きっと、あの男は礼は言ったのだ。

でも、その礼を言った瞬間の時間だけが、オレの中の時間の流れから削除されて記憶に

残っていないのだ。


なんて思いたいが、そんなアメリカのB級お色気コメディ映画のように時間を止めれるヤツなんて

いるはずがない。間違いなくヤツは「実録・礼儀知らずのバカ」だったのだ。


まあ、今紹介したようなタイプはごく一部だとは思うが、最近思うのは街中とかでなく、または

知り合い、赤の他人とかの間柄関係なく、「ありがとう」を言えない大人達が多いとオレは

怒っている。 もうー!プンプン。さとう珠緒。


正直言ってオレは好きか嫌いかと言ったら「挨拶」というのは好きではない。

人間関係において面倒くさいから。

でも、好きではないが、絶対に必要で、なくなったらもっと大変なことになると思う。

それは「おはようございます」だけに限らず、御礼の「ありがとうございます」とかも。


でも、その基本中の基本が出来ないのか、もしくは出来るのにやらないのかわからない

人間を多く感じる。


記事タイトルにおいて「大人」と書いたが、中学生や高校生、大学生でも学校生活

で見かけたことはある。



学校でも職場でもいい。

例えば「消しゴム」を忘れたか切らして手元にない人間がいたとする。

その人間は今、手元にある書類に書いてある1文字だけを修正のために消したくて

消しゴムを必要としたとする。消すのはわずか1文字で、必要な時間もわずか1秒くらい

だろう。

学校ならクラスメイト、もしくは何かの行事打ち合わせとかで上級生や下級生でもいい。

会社なら、同僚でも部下でも上司でもいい。


そんな状況で、隣の席もしくは近くにいたオレが、かなり使いこんでチビてしまってはいるが

自分で使っている消しゴムを持っていて、忘れた(切らした)人間がこれに気づいてオレに

「ちょっとだけ貸して」と言ってきたとする。オレは当然貸す。


もし、アナタが、オレからその消しゴムを借りた人間だとしたら、借りた時もしくは返す時に

一言何か言うだろうか。


オレがその立場だったら、「ありがとう(ございます)」と言う。

それが当然だと思う。気がしれた仲間だとしても、ちょっと手を挙げて手刀を切る動きくらいは

するか、簡単に「どうも」という表現はする。


ここまでで、もしかしたら意見が割れているかもしれない。

でも、オレは礼は言う。口に出さないにしても礼を態度で示す。


オレはずっとコレが当たり前だと思って、そう叩きこまれて生きてきたのだが、オレの考えは

間違っている、もしくは固すぎるのだろうか……?



今は、簡単な「ありがとう」すら言わない、いや、言えない大人が街中にも学校にも、

そして職場にも多いと感じる。


その感覚がオレは不思議でしょうがない。

100歩譲って事情があり、幼稚園や保育園に通う事が出来なくて、そこで教わらなかったと

しても、親から教えてもらってはいないのか?


おそらく……おそらくだが、物を借りても「ありがとう」を言わない人、

足元に落としたモノをひろってもらっても「ありがとう」を言わない人、

職場や学校で、近くにいる人に頼んで、棚の上にあるモノをとってもらっても「ありがとう」を言わない人は決して、「礼儀」とか「ありがとう」という言葉を知らないわけではない。

むしろ、まだ知らないから言えないというほうが救いがある。

何か勘違いして言わないのか、相当イヤらしい利己主義な計算があるからかどっちかだ。


今から持論を書いてゆく。


例えば、さっきの「ちびた消しゴム」の例で言うと、借りても「ありがとう」の御礼を言わない

人の理由は、おそらく、「ほんの1、2秒借りただけ」または「たかが消しゴム」

あるいは「仲間・同僚」だからという感覚が多いのではないかと考える。

もし、相手が部下や後輩など、自分よりも地位が下の場合は、ヘンなプライドのようなものが

あるのか、もしくは、たかだか消しゴムくらいで下のモノに礼を言う必要がないだろうとか思って

いるのではないだろうか?


要するに

「たかだか」の程度だという感覚。それが間違っている。


「ありがとう」という御礼は、『借りたモノ』『貰ったモノ』の価値、

または『してもらった作業』の大きさや程度に対して、いうものではない。

「貸してくれたこと」「手伝ってくれたこと」に対するお礼なのだとオレは思ってきた。


借りた相手が、幼馴染だろうが親友だろうが、大先輩だろうが新人だろうが、

どっかのおエライさんだろうがホームレスだろうが関係ない。

自分のために貸してくれたら、「ありがとう」は言うものではないのか?


2,3秒だけ消しゴムを借りただけだろうが、丸一日ウェディングドレスを借りようが

相手が「貸してくれた」ということには変わりない。

それがウェディングドレスを借りた時は礼を言うけど、消しゴムを2秒借りた時には礼を

言わないという違いをつけること自体がわからない。


手伝ってもらうことだって、棚の上にちょっと片手伸ばしてペラペラした書類を取ってもらうことと

川でおぼれてるところを助けてもらうことだって、ある意味助けてもらうという事に違いない。

でも、たかだか棚から取ってもらう程度でいちいち礼なんか言わない、むしろ仕事なんだから

そのくらい手伝って当然だというような態度の大人がとても増えているように思える。


たしかに身近な日常品を持ってくるのを忘れた場合、作業によってはちょこちょこ借りることも

あるだろうが、それは一回一回御礼を言う必要はない。

一番最初に一回だけ言えば良い。


でも、‘その一回’すら、出来ない大人が多いのだ、しかも営業とかもやっているのに

出来ない人間も過去に何人も見てきた。若い若くない問わず(怒)


そして‘出来る営業マン’ぶっているヤツに限ってこう言う事が多い。


「客の前や、それなりのシーンではしっかりやっている」……と。


……バカか? オマエは!?

そっちのほうが大問題だわ。


それは、しゃべり方や御礼を丁寧に言う相手を選り好みしてるってことで、純粋に誰に対しても

礼儀知らないヤツよりタチ悪いわ。

誰に対しても御礼を言えない奴は、まだ教えれば治る可能性大だからな。


ちなみにオレは、プライベートの友人間のやりとりは別として、出社した時に上司や目上の

人間に対しては『おはようございます』というくせに、下のモンには「うーす」とか言うように

差をつけるヤツがイヤらしくてキライだ。

オレはこれまで色んな職場で、相手が重役でも新卒でも同様に「おはようございます」で通した。朝と帰り以外の時間は、まあ部下に対しては気楽でもいいかと思うが。最初だけはあくまでも

日常会話ではなく「挨拶」だから。

とにかく差別することが自分の中でイヤだ。とても小利口でイヤらしい人間みたいで。


オレは全くもっての下等生物で人間の器も小さいから、比較するのも失礼だが、

高倉健は現場で挨拶する時に、共演者がベテランだろうが若僧だろうが

それぞれひとりひとりに対して、その人のほうを向いて「高倉健です」と言ってアタマを下げて

挨拶するというのを聞いて、カッコイイと思った。


やっぱり、ホンモノの大物で礼儀が出来ている人は、誰に対しても同じように接するものなんだ

なあと思ったが、実際は健サンでなくても、それが当たり前なのではないかなとも思う。

ニセモノに限って偉そうにしたり、相手によって挨拶変えたり、エライ人がきたら急にかしこまって

深いお辞儀したりする。


まあ、朝の挨拶にしては、これは差別はしててイヤらしくても、一応しているだけいい。


でも、ホントに何か文房具借りても、落ちた書類をひろってもらっても「ありがとう」という

五文字が口から出ない大人が多いのは、ここ数年で感じている。そして悲しい。


かつて、自分に対してだけでなく、あらゆる周りの人に対して、新人の礼儀がなってないことが

あって、上の人間に相談したことがある。

敬語や名刺交換の仕方から教えないといけないのではないかと。

なぜなら入ってきた新人に対して礼儀とか言葉使いを全く教えずに、ただ数字に関するアドバイスしかしていなかったからだ。


だが、そん時は

「そんなモンはいい。そんなこと覚えるヒマがあるなら営業は数字の引っ張り方を覚えればいい」

と却下されたことがある。


だが、オレはどんなに成績で活躍していても、基本的な礼儀を知らないヤツは、どっかで破滅するし、取引先からだけでなく、実は身近でも嫌われていると思うし、実際に嫌われているだろう。

ただ、おめでたいのは、だいたい礼儀を知らないような人間だけに、自分が嫌われているという

ことにすらも気付いていない、だから悩まない。ある意味で羨ましくおめでたい人間なのだが。


三島由紀夫も書いていたが、今は学校も組織の新人教育も、基本的なことや、人として大事な

道徳的なことをあまり教えずに、ひたすら「錬金術師の世渡りのマネごと」ばかり教えるように

なってしまったのが原因かもしれない。


ちょっとビミョーに話がずれるかもしれんが、話題の半沢直樹の最終回。

見てたのよ。オレは途中からの第8回目からの計3話しかみてないけど、それでも面白かった。



最後の最後で大どんでん返しがあったけど、あれって結果的に北大路欣也演ずる頭取は

結局、大和田常務のほうを会社にとって大事な人間ていうふうに選んだわけでしょ?たぶん。


その時の頭取のセリフが

「ワタシは銀行員としての君を尊敬している」みたいなセリフだった。


つまりは、不正をしてて人間的に問題あっても、会社人間として組織の中で財を生む人間を

優先したっていうどんでん返しだったわけでしょ?(もし違ってたら教えてください)


逆に半沢のように正論で不正は徹底的に許さず、そのためには上層部にも楯突く正義感の

ある人間のほうが組織にとっては危険分子だということだと判断して出向させたとオレは捉えた。


でも、今のほとんどの組織ではそれが当たり前なんだろうね。

世の中の正義は、会社の中では悪になるって誰かが言ってたな。


ちょっと脱線したけど、でもホントに礼儀知らずというか「ありがとう」という言葉を

言わない大人が多い。


大事なのはプライドやカネ儲けではなく、御礼を言う心ではないだろうか。


借りたり貰ったりしたモノがどんなに小さかったり汚かったりしても、

やってもらった作業がどんなに簡単でたいした事の無い作業だとしても……


大きさや量や相手の年齢や内容に関係なく、何かをしてもらったら、そのことに関して

ちゃんと「ありがとう」を言おうよ。


長くなったけど、簡単に言えばそれだけだ。大人がそんなんじゃ子供の手本になんか

ならないよ。


最後に、この長文をここまで読んで頂いた読者さん、

ありがとうございます。