林先生×新旧家族ゲーム | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ブログを執筆しだした時から、今回みたく「○○×○○」のような「×」を使った
サブタイトルをたまに使う理由は3つ。
なんとなくかっこいいからということと、オレのブログとしての特色を出したいという
のもあるけど、一番は、ひとつのメインテーマだけだと、そのテーマに興味ない人が
その記事は楽しめないと思うから、楽しんでもらえる可能性が倍になるように、
もうひとつのテーマを盛り込もうというオレなりの気遣い(笑)
ただ、別ジャンルとはいえ、つながりとなるワードやテーマは軸として入れる。

今回のつなぎのワードは「先生」

どこの予備校だったか忘れたけど、相変わらず露出しとるようですなあ、
林修センセイ。



上の本家のCMのほうはリアルタイムで見たか見てないかビミョーに憶えていない。
見たというえば見たようなきもするし、見てない気もする。
でもインパクトがあるのは事実だ。

このセンセイも、あのセリフも、このCMよりあとのテレビの露出のほうで
ブレイクしたんだとは思うけど。違う?

オレだけじゃなくて、同じ考えの人はかなり多いと思うけど、出始めた頃に見てて
「林先生」も「あのセリフ」もスンゲぇムカついて大嫌いだったのよ。

学歴社会を煽る職人が、押しつけがましく熱血ぽいセリフ言ってんなあ、ってね。

今でも、あのセリフのほうは大嫌いだけど、でも、林先生に対する見方は変わってきた。

たしかにCMとかで言ってる時の表情はムカつく(失礼w)んだけど、
あのセンセイはアタマはいいし、悪人ではない。むしろ見ているうちにイイ人だと
感じてきた。

同時にちょっと同情する。
ご本人も、もうあのセリフが飽きられてきてるのも感じてるし、人によっては不快に
なってるというのもわかっている。アタマいいし雰囲気読めるから。
アレがあって自分から発信したから、今の状況があるというのはわかっているだろうが
本人は、もう言いたがっていないのが伝わってくる。てか、イヤがってるだろ?

自分の中でもうすうす気づいていたけど、本来ムカつくべき相手は、林先生ではなく
林先生にまとわりついて、番組に誘い、とにかく「あのセリフ」を言ってくれと依頼
するテレビ局や雑誌、そして、そこから流れて発信される流行語にすぐ食らいついて
セリフを連呼する民衆だということがわかった。

くどいようだが、あの言い方とセリフはハナにはつく、
でも、実はCMで一回行っただけ。
それをテレビ局とかが面白がって、必要以上に広げ過ぎたから、過多気味になって
胃ならぬ精神がムカツキを起こしてるのではないだろうか。

自分でまいた種とはいえ、林先生も必要以上に世間からウザがられて、どちらかというと
被害者寄りのようにも思えて可哀そうになってきた(._.)

あと、もひとつ見る目が変わって、ちょっと好きになってきた理由は
大の読書家だということがわかったこと。

「本を読まないやつは大嫌いだ」と公言している。

オレもどちらかというと読書家で、読まない人に対して「嫌い」まではいかないが
でも、「本を読む人間」のほうが人間の魅力や哲学が豊富だというのはわかるから
林センセイの言いたいことは十分わかる。

コメンテーターとしてニュースでみる学者の斉藤孝も前に紹介した本のなかで
「読書(小説)している人間と、してない人間では10年20年経ったときの人間としての
魅力が全然違う」
とも言っていた。

活字離れが増えているのが、日本人に哲学や想像力、自己が欠けている大きな理由だと
オレは思う。林センセイはそのへんは欠けておらず、発想力が豊かだ。

最近は活字を追うようにしてきたとか、読書時間を作るようにするという人が多少
出てきたとかもきくが、だからといって読む本は小説や随筆ではなく、ビジネス書とか
自己啓発書とか、ノウハウ本だとかいう人が多いとか……。

前から何度も書いているように、‘それ’は‘それ’で読んでても別にイイとは思う。
ただ、小説とか物語を全く読まずに、人が抽出したエッセンスだけむさぼるように読んでいても
何も身につかないのだよ。それに気付いていない人が多い。

作家のエッセイを読むたびに、多くの人がビジネス本や自己啓発書の批判をしてるのが
納得いく。村上龍、川上未映子、池上彰、哲学者の池田晶子女史etc
「ぽっぽや」の浅田次郎なんか、

「あらゆる書物中の役立たずの最たるモノは、いわゆる『ノウハウ本』であろう」とハッキリ
書いていてキモチイイ。

「自己啓発法だの、成功術だの、つまり目先の悩みを解決しようとする類の書物ほど無益な
ものはない」と。

そうなんだよ。ホントに精進しようとしてる人は、そんなノウハウなんか読まないっての!
いろんなモンを集めて、自分で正解を抽出すんだよ。
いろんなモンを集めて、篩(ふるい)に掛けたら、残って蓄積されたモンが自分の知識や
価値観になるんだよ。

ちょっと個人的な感情意見に流れてしまったが、林センセイはそのへんも身につけてると
直感した。
いやー、あのヒトは予備校で学歴社会の片棒を担ぐより、哲学とか作家の方に行って
ほしいわ。もったいない。(下っ端がエラそうに言ってる)


そんなこんなで世の中には実にいろんなセンセイがおります。

センセイといえば、家庭教師もセンセイだけど、今また家族ゲームのリメイクが放送してる
みたいね。ドラマで。観てないし観れないけど。

家族ゲームと言えば、今までいくつかあったけど、名作ながら実はまともにみたのは
1作もない。

小さい頃はドラえもん以外の映画は観なかったから、松田優作の映画の「家族ゲーム」も
観ていないし、今やってる櫻井のも観ていない。

でも、数回だけ流すようにみて、なんとなく時代と人間の生生しさが滲み出てて
イイ感じのドラマだなあって感じたのは、やはりTBSでやってた長渕の「家族ゲーム」



数回見ただけで、詳細やラストも当然知らないけど、このOPと主題歌の
「Good-bye青春」が好きで、とりあえずOPだけ見てたような気がしないでもない。

切なげなメロディーと歌詞。
「オレの抜け殻だけが宙に舞う」というところと「このまま悲しみよ雨になれ」ってとこが
大好きで、高校部活帰り、夕暮れの多摩川に掛かる地元の関戸橋をチャリで渡ってる時に
よく口ずさんでたわ。
すまん。30も半ば過ぎた今でも口ずさむ。てか今のほうがリアルに口ずさむ……(笑)

この歌も長渕の歌にしては珍しく秋元康作詞なんだよな。
こういう詞も作れると思うと、やっぱヤッさんはすごいわ。

体罰とかもすごい問題になってる時代でさ、当然体罰はイカンのだけど
言葉の暴力とか抜きにしても、こういう型破りなセンセイの存在ってのは時代に必要かも
しれないと思う時がある。
なんかね、教師もみんな教育業界の手先みたくなっちゃって。

それこそ、小説とか読まないで、参考書と漫画の二極化で育ってきたのが多いのだろうか。

作家センセイはよく大学や治自体から講演会をやって欲しいと呼ばれていくことが多いらしい。
よく聞くエピソードは、講演後、主催者側から「謝ってください」と言われることがあるらしい。主催者に対しても聴きに来た人に対しても。

主催者側からすると、おそらく「言ってはいけないとされること」を作家センセイ達が講演
で言ったということらしい。

例えば花村萬月だったら「努力は報われない」とか。
詳細は知らないけど西村賢太も講演後、主催者側から「謝ってください」と言われてキレて
大ゲンカしたらしい(笑)

いずれもケースにせよ、主催者側としては、差しさわりのない綺麗事とかをそれなりの地名度や名誉のある大センセイの口から言って欲しかったんだろうけど、なんかそういうのヤダ。

暴力までは反対だが、そういう言論の型破りくらい出来るセンセイが学校とかにも存在したら
何かこの姿の無い閉そく感が打破されるような気もする。

蛇足だが、故・中島らもがかつて、ある治自体からキャッチコピーを依頼された時に
治自体サイドのほうから

「市民が見て怒りだすくらいの、市民からも文句が来てひと騒動起こるくらいのインパクト
のあるポスターを作って欲しい」

と言われ、それを聞いた中島氏は「まんざらでもない時代」だと思ったとのこと。
全く同感。

哲学と言論の型破りは日本にもっと必要だ。