ムシ食いねェ! | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

数日前チラッとニュースで見ただけだから、詳しくはワカランし、オレが勘違いしてる部分は

あるかもしれないけど、国連(三國連太郎の略ではない)が昆虫を食べることを推進する企画を

出したとか。特に貧困や飢餓で苦しむ国の子供とかにどうかと。

この「貧しい国の子供は虫喰え」的な発言に、瞬間だけ一部の人間が「あんまりな言い方だ」と

怒ったとか聞いた。そういう国の子供に対して失礼だと。


オレは別に「虫を喰え」という提案に関しては間違ったことだと思わない。

実際に喰える虫だっているし。


でも、日本人やアメリカ人のような、ふだん肉や魚や米を喰ってて虫を喰わない国民が

貧困の国に対して「虫を喰え」というのは、ちょっと間違っていると思う。


個人的見解での正解は「我々もこれからは虫を喰うから、君たちも喰おう」である。


日本もアメリカも飽食である。

自分たちはそれなりにイイモン喰っておきながら、食べ物が無い国には

「虫でも何でも贅沢言わず喰えるモンは喰え」というのは驕りじゃ。


聞く限りではたしかに食べられる虫もあるし、虫を食べる地方もあるし、

虫には栄養もある。


日本の食文化における虫は「ゲテモノ」のジャンルに入れられて、なかなかレストランとかでも

虫料理は出てこないし、秘境ロケ番組とか観てても、現地においてタレントの前に出されたときとかはもうタレントが口にする前に、まさに苦虫を噛み潰したような顏をしている。


そんな「虫嫌い大国ニッポン」だが、オレは拒絶どころか、むしろ一度食べてみたいのだ。

さすがにムカデとかのようなLONG系はキツイが、虫はそれほど苦手ではないので、

カブトムシだろうが、コガネムシだろうが、おしりかじり虫だろうが、人体に害が無く食べれることが

確証されているモノなら、好奇心で是非食べてみたい。

タカラトミーが発売してたZOID(ゾイド)でモデル化されるようなカッコいいフォルムの昆虫なら、

もってこいである。


どんな味なのか死ぬまでに味わってみたい。

前にスキーの帰りにどっかの土産屋で、有名な「イナゴの佃煮」が売っていて気になったが

実家に持っていっても誰も食べそうにないし、かといって、オレひとりで全部食べるのも難しい

量だったから断念した。もし1人で夜毎ムシャムシャとイナゴを貪って完食したとしても、

ヘタしたらイナゴDNAが体中に拡散して、「妖怪イナゴ男」に変身しているかもしれん。

そういや、昔、加トケンごきげんテレビで、スイカ人間ってのがあったな。


また、虫ではないけどカエルの肉なんて、鶏の肉みたいで美味いというから、それこそ

喰ってみたい。だけど、日本ではなかなか手頃に喰える店がない。あっても高い。


しかし、なんだかなあ。

日本て、戦後は食料がなかったとか、国内自給率が低いとか、好き嫌いをなくそうとかいう

言葉が横行してるワリには、最初から「虫を喰う」っていう概念があまりがないのね。

オレもそうだったけど。


「海」で泳いでるモノとか、「空」を飛んでるモノとか 「野」を駆け巡っているモノに関しては

狩ったり飼育したり養殖したりして食料にしてるけど、目の高さくらいの宙をブンブン飛んでたり

葉っぱや木の幹にくっついてるモノに関しては「食」という意識がない。


おそらく『虫』に関しては「食べ物ではない」という意識と、「気持ち悪いから食べたくない」

という観念がもう言うまでもなくというところ何だと思う。


これって、もう一種の国民全体的な「好き嫌い」だと思う。「虫嫌い」だと。

当然なかには好きな人もいると思うけどさ。


よく「好き嫌いせず何でも食べなさい」とか、

「世界には食べたくても食べることが出来ない人がいるんだぞ」とか偉そうなこと言う人が

いるけど、じゃあ、例えばそういう人は、旅行中乗ってた飛行機が事故である島に不時着して

島の原住民に助けられて、食事としてゴキブリの唐揚げを出されてもシッカリ喰うんだろうなって

疑問に思う。あれだけ好き嫌いを批判してたんだから。

(ちなみに実際どっかでホントにゴキブリの揚げたのを出す地域があった)


オレは特に偏食を肯定するわけでも否定するわけでもないが、好き嫌いある人に対して

注意する人って、結局ふだんから店で売ってて、気軽に手に入る食材を基準にしてるだけ

だと思う。


もし震災にあったら贅沢なんて言ってられず何でも食べないといけないとかいう意見も尤も

といえば尤もだが、それでもまだ最低限「豆や野菜」程度はあるという甘い認識があるのだと

思う。

ホントに山も海もなくなり、残ったのがわずかな緑だけになったら、それこそ虫を食べなければ

生きていけない状況があってもオカシクない。


今の時代も、こんだけヘルシーブームだとか言っておきながら、カルシウムたっぷりで栄養が

ある虫の話題や料理が出てこないのも不思議だ。

やっぱ、ヘルシーと言っても、所詮色合いとかビジュアルとかポピュラー食材が重要視される

のだな。



「好き嫌い」の基準て正直よくワカラン。

味覚の好みで美味いと感じるかマズイと感じるかというのは理解できるが、

たとえば、「嫌いなモノは無いから何でも食べれる」という人に「超激辛カレー」を食べさせたら

一口でギブアップしたとする。

その人間からしたら「これは辛いから食べれない」ということだろうが、

れっきとした食べ物であり実際食べれる人間もいる存在するわけだから、それをふまえて

言わせてもらえば、それは「辛いのがキライ。辛いのが食べれない」という好き嫌いではないかと

オレはずっと思っていた。


だから、本来食べられないモノ、あるいは食べちゃいけないモノじゃない限り

辛さ100倍激辛カレーでも、芋虫の姿煮でも出されたモノは何でも食べれる人だけが

「好き嫌いはない」と言うべきだと思う。


オレは玉葱食べるくらいなら、ハチやイナゴやカエルやヘビを食べるほうがずっといい。

むしろ、玉葱は1万もらっても喰えないが、イナゴやヘビは多少カネ出してでも喰ってみたい。


オレも含めてだけど、日本人てまだまだ「好き嫌い」「偏食」の基準が低いんだろうな。

もっと一般的に虫を食べる習慣を歴史に組み込んでおけばよかったんだと思うよ。



映画「インディー・ジョーンズ魔宮の伝説」で、事故にあって、ある村に着いたインディ一団が

現地の人に救世主だと思ってもてなされるシーンがある。


そん時にゲテモノ料理を出されるんだけど、それがその村民たちにとっては御馳走に

値する料理なのだ。


自分たちの食べる分を削ってでもインディたちを精一杯の料理でもてなす。

料理が料理だけに、インディの同行者の女性は露骨にイヤな顏して「私、食べれない…」って

インディにボソって言うんだけど、それに対してインディは現地の人の歓迎してくれた気持ちを

大事にして

「喰え・・・。この連中の一週間ぶんの食料だ」

と言い返す。

そして、美味そうな顔して喰い、笑顔を村民に向ける。


オレはそのシーンを見て、子供ながらにインディのやさしさに感動した。


憶えているだろうか。

かつてこの国がコメ不足だと騒がれていた時代を。


日本でコメが全く収穫出来ず、タイから米(タイ米)を輸入することになった。

タイ米はタイ国内では、国民的に家庭で食べられてる米であり、また多少の高級品であった。


日本で米がないとのことでタイの人は、それなら助けるためにうちのコメを食べてくれという

ような気持ちで、日本にたくさんの米を渡してくれた。

それによりタイ国民が家庭で食べる米はかなり少なくなってしまった。


ところが、いざタイ米を食べた日本人のほとんどの声が「まずい」「くさい」「安っぽい」の3拍子。


これにはタイの人は怒った。当然である。

日本人が困っているっていうから助ける意味も込めて、自分たちの食べるぶんを減らして、

さらに国として自慢の食料を贈ったのに感謝どころか鬼のような不満ばっか。


オレは別にタイ贔屓でもタイ大好き人間でもないが、この時は日本のこの状況がオカシイと

思ったし、人情や礼儀を疑った。


ただ、個人的な味の好みで、オレはタイ米けっこう好きだったからというのもある(笑)

そんなマズイなんて思わなかったけどなあ、アレはアレで味があったと。


やっぱ、まだまだ日本人は贅沢だな。エラソーな言い方だけど。


本当に食料危機が来ることを想定したら、今のうちから食べられる虫に関しては普通に

食べる習慣を身につけておいたほうがいいのでは?


急に食べるモノが虫だけになっても絶対抵抗あるゾ。


そう考えたら政府は「虫食いねェ政策」を早急に。



トンボは中トンボ、小バッタ、アリ。

イナゴ、カマキリ、カマドウマ、コメツキ。

タガメ、ナナフシ、カナブン、コオロギ。

アメンボ、カミキリ、ゲンゴロウ~♪


虫食いねェ~ 虫食いねェ~ 虫食いねッ♪



セレブな貴女も明日は

ティファニーで虫食を。