笑えない男 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

個人的には春という季節は好きではないのだが、入学式やらなんたらで新しい環境になった人

も多いようで、街角や居酒屋で仲間と写真を撮ったりしてる集団に出くわすことが多くなった。


まあ、居酒屋とかの集団は比較的気の合う仲間とかと来店してたり、もしくは既にアルコールが

入ってテンションがハイになってるから、そのままでもニコニコしながら写真に写ったりしてるという

のはわかる。

だが、入学式や卒業式における集合写真、また、その他個別の卒業アルバム写真撮影とかでも

カメラマンもしくはシャッター押す人が「もっと笑って!」というけど、一体何なんだ、アレは??


ハッキリ言って、オレは何もオカシクもオモシロクもないのに笑ったりできない。

ていうか、しかめっ面したり目を瞑ったりしてるんなら注意されても理解できるが、何で笑う??


哲学者の中島義道センセの言ってたことのひとつで、ものすごい共感する言葉があり、

それはこの国では「明るさ」と「笑顔」が美徳とされ横暴し、暗い人間は場の空気を悪くしたり、

協調性がないとされる、ということにつながるのだろうか。


オレは集合写真とか証明写真を撮るたびに「笑って」といわれるのがとてもイヤで苦痛だ。

なんでもないのにいつも笑ってられる人間なんてマックの店員で十分である。

スマイリー小原だって、そんなにスマイルしていられはしない。


人と会ったり、写真撮るたびに笑わないといけないというのは、逆に日本人の感覚というか

感性をおかしく麻痺させるほうにもっていってはしないだろうか。


過去にも「笑ワナイさらりいまん」という記事でこのヘンにちょっと触れたが、オレは作り笑顔の

ばら撒きはキライだ。いつも笑顔が絶えない人も信用しない。


ある意味で「嘘つき狼少年」と「いつも笑顔が絶えない人」というのは同じだと思う。

狼少年はいっつも嘘ばかりついてるから、いざ本当のことがあった時に信じてもらえない。

いつも笑顔が絶えない人も、いつも笑ってるから、こちらが何かしてあげた時や笑わそうと思って

なにか言ったときに笑顔でも、

「ああ、この人はふだんから笑ってるからホントは面白くないのかも」とか

「とりあえず笑ってるけど、それはお約束だからホントは嬉しくもないのかな」

と思う。


過去記事と重ねていうが、別に「笑うな」とか「しかめっつらしろ!」とか言ってるわけじゃない。

自然体でいいのだ。だからこそ、ありのままのその人(自分)がわかるのだ。

笑顔のプロパガンダはそれを混乱させる。


笑いたい時は笑うし、何も面白くないときは笑えない。

まして、それが「写真」のようなカタチに残ってしまうものにはひきつった作り笑顔なんか

あまりにも残せない。


過去の経験を踏まえて、百歩譲ってその撮影が何か業務的な撮影だったらそれは仕事と

して笑う。笑ってやる。たとえば観光地や呑み屋のパンフのエキストラとかなら。

ちゃんとしたイメージ演出という目的があるわけだし。

100万$の笑顔だろうが、1000タイバーツ級の微笑だろうが、オレの笑顔でよければ

御望みならくれてやる!100万$どころかアメリカの軍事予算を上回る$数を計上して

その等価に値する笑顔を「ニタァ~ッ」ってレンズのほうに向けてやる。釣りはいらん。


でも業務用でも人のためにでもなんでもない、単なる記念や遊びで撮る写真に嘘の笑顔は

出来ない。やりたくないのもあるし、出来ないのもある。


だから、集合写真や証明写真撮るときに「もっと笑って!」と言われると逆に不快になり

しかめっつらになってしまう性(さが)なのだ。これはオレだけか?


沢木耕太郎のエッセイの中でこんな話がある。

取材で撮影がある時にカメラマンから


「少し固いですね。もっと自然に」


と言われたらしい。

それに対し沢木氏は


「カメラに向かっていちばん自然なのは、ぼくみたいに固くなることなんですよね。

自然らしいのはもっとも不自然だと思いますね」


と答えたそうだ。ナットクナットク。


実際、そん時に楽しい気分の人はそのまま感情出して笑えばいい。

だけど、例えばなんで「記念の集合写真」みたいなどちらかといえばオメデタイ場所で

そんな「不自然なマネ」「ホントはやりたくない嘘の笑顔」をやらなきゃならんのだ。


嘘の笑顔より、ありのままのその人の表情が見てとれる集合写真のほうがいいではないか。

オレからいわせてもらうと40人写ってるなら40人全員が意味不明にニコニコしてる集合写真の

ほうがあまりにも不自然でキモチわるいと思うのだが、どうだろうか。


ついでに言わせてもらうとプロ野球とかの選手名鑑。一般の出版社が販売してる名鑑はまだ

各球団の選手それぞれが真正面からのカットで、けっこう口を真一文字にキュっと結んでる

顏写真が多いかもしれんけど、球団が作った本の名鑑やサイトの名鑑は、何故か選手みんなが

歯を出して笑ってるようなのが多くて、正直あの手法は好きじゃない。やめてくれ。球団問わず。


とにかく、今って別に撮影じゃなくても新人の同行の飛び込み営業とかでもなにかと「笑え」を

強制される。

なにかとあれば「笑顔がいちばん」と言われるが、よく考えて、周りを見回してみよう。


みんな営業先へ飛び込んだ時や商談中や写真撮るときはあんだけニコニコしてるのに

それが終わったときとか、普段仕事で町を歩いてる時は誰も笑ってない。むしろ死人のような顏

して、まるでゾンビの集団が渋谷のスクランブル交差店を急いでアチコチから横断しているような

もんだ。たまに見かける笑顔といえば、何でそんなに笑顔なのかわからない選挙のポスターくらい。


本来、自然に生活して動いてる中で、自然にでるのがベストのはずの「笑顔」というものが

自然な生活の中で出す機会がなく、逆に撮影や商談や訪問営業の時にムリに出さなければ

ならない。ホントは嬉しくも楽しくもないのに。


まさに

笑えない話


はああ・・・これから何回、写真撮影時に「もっと笑え」と言われたり、また交渉事で人と会う時

まわりから「もっと笑顔でいけ」と言われることやら・・・


いや、たしかにね、晩年の時に今までの写真見返して、笑顔の写真がないというのも味気ないと

思うし、その他にも状況によって笑顔の写真が必要な時もあるだろうというのは認めるけど、

毎回毎回写真撮るたびに無理に笑ってなんかいられない。


あとになって出来上がった写真でムリに笑ってる自分の顏(不自然にひきつった笑顔)を見た時の

嫌悪感ていったらないからね、これが。


ていうか、カメラマン側もホントにみんなを笑顔にしたいなら、ただ「笑って」とかいうんでなく

ホントにこっちが笑ってしまうようなオモロイこというくらい心掛けろよ。


「笑え」と言うから「笑えない」んであって、

ダチョウ倶楽部のネタの前振りみたく

「絶対笑うなよ!絶対笑うなよ!ホントに笑うなよ!」とか言ったほうが逆にくだらなさに

笑ってしまうかもしれんな(笑)