焼肉焼鳥大戦争 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

深夜たまにテレビつけた時にグルメ番組とかで流れる焼肉ジュウジュウ映像は

「現代の拷問100」とかいう本があったら掲載してイイと思う。

ただでさえ贅沢品食う資金もないうえに、もう動けずしかも腹減りMAX時間帯にアノ映像は

生殺しだ。一種の拷問である。


また、いつも通る道に「安楽亭」があって、焼肉好きとはいえ、安楽亭に関してはあまり関心

ないのだが、毎日にようにカンバンをみせられると洗脳というか刷り込みというかなんとなく

安楽亭でもいいから焼肉が食いたくなってくる。


昭和80年代クロニクル-安楽亭


そういや、ここ数カ月の我が口腔内歴史において、焼肉なるモノがしばらく輸入されてきて

いない。胃袋が完全に焼肉鎖国となっている。


はああ、久しぶりに焼肉を胃袋内に輸入したい。しかし、輸入予算も厳しいのう。

アベノミクスもどこ吹く風。あんなモンはマヤカシに過ぎん。


ニュースとかで花見の現場や高級デパートの売り場とかにきてる人にインタビューで

「景気はあがってきてると実感しますか?」とかインタビューして、訊かれた人がヘラヘラしながら

「いやあ、給料とかもちょっと上がったから上昇してると思いますよ~」とか言ってて、それを聞いた

キャスターとかも「アベノミクス効果ですね」とか言ってるがアホか!

一部の中間層以上の「聖域」に属する人たちだからこそ花見とか買い物とか出来るわけで

そんな人ばっか集まるところでそんなコト訊いても「あがってると実感する」と言うに決まってらぁ!


そんな集計の仕方は、東京ドーム1塁側スタンドの人達に‘巨人はイケそうですか?’と聞いたり

巣鴨でAKBと氷川きよしだったらどっちのほうが好きですか?と質問するのと同じくらい結果が

見えとるわ。賑やかな場所で浮かれてる人たちばかりでなく、零細企業の従業員やガード下で

段ボールにくるまってるオッサンとかにもちゃんと「景気は上がってると思いますか?」と聞け!

マスゴミめが。


そんなオレは安倍ちゃん曰く、聖域以下エリアの人間だから当然経済的恩恵なぞない。

怒ってるとまた腹減ってきた。

くそう、はああ、ホントに恩恵あれば一度でいいからジョジョ苑とか行ってみたいものだ。

焼肉食いたい焼肉食いたい焼肉食いたいニクニクニクニク2×9=16・・・

あ、腹減り過ぎて計算すら出来なくなっとる。


でも焼肉というシステムもなかなか罪なモノで、気の合う友人2人くらいと行く分なら何も

問題ないが、3人以上もしくはほぼ初対面の人と行ったり、また接待とかだとこれ以上

疲れるモノはない。


焼肉は大好きなんだけど前に書いた飲み会の人数問題みたいなモンで、状況によって

すごい疲れたりする。

「なあなあ」とか「うやむやのまま」とか「なしくずし」は日本人がすごく細かくツッこむこと

なのに、この「焼肉どこのテリトリーまでが自分の肉か?問題」は古より議題にされてるのに

未だにハッキリしていない。


オレは今でも大人数焼肉は正直ちょっと疲れる。

だいたい焼肉奉行的な存在のヤツが「あまり気にせず焼けてるやつからドンドンとって」的な

発言をすることが多いが、逆に色々と気にしてしまい、どうせなら自分もぶんだけしっかり管理

して人のやつはとるな!といってもらえたほうがMY肉に集中出来るから、「焼けてるヤツから」

というような共同条約締結の提案は出来れば拒否させて頂きたい所存であります。


でも進んで焼肉を企画したり誘ったりする人っていうのは、ナベを囲むみたく、おそらく大人数で

1つのテッパンの上にあるものを取り合いたいとかいう心意気とかだと思うから、たまにある店で

卓のひとりひとりの前に小さいMYテッパンとかがあって、各自がそれぞれ焼くとかいう雰囲気は

イヤなんだろうな。たしかにそれはそれで味気ないかもしれん。でも1枚共同テッパンだと疲れる。


人が乗っけて育てた肉に気を遣うのもイヤだけど、自分が丹精と愛情をウラオモテ満遍なく注いで

育てた肉を奪われるのもイヤなんだよね。


いつも間にか隣席のヤツにカワイイお肉チャンを持って行かれた時には、それこそまさに拉致問題

に発展する。おそらく隣のヤツの胃袋の中では生存してるとは思われるが。


眼の前で持ってかれるのも切ない。

左右や対面から箸がスーッと伸びてきて、肉を持って行かれた時なぞ、まるでアメリカの冒険映画あるいは冒険アニメで、ジャングルを探検してる時に怪鳥ともいえる巨大ワシが空から弧を描くように急降下してきて、強靭なツメで我が子をムンズと掴み、そのまま空までさらっていったのを何も

出来ず指をくわえて観ていたような悔しい気分になったりならなかったり。


うむむ。この「焼肉領土問題」に関して国会では議論は進められてるのだろうか。


焼肉奉行はそれぞれテッパンが別というのもイヤなんだろうけど、

1枚の鉄板の上にアクリルの仕切りがあるみたいなのも友人との間に「壁」があるみたいで

イヤなんだろうな。


ここでひとつ提案なのだが、テッパンは1枚でその表面に「六芒星(ろくぼうせい)」を描いて

おくというのはどうだろう。


昭和80年代クロニクル-ろくぼうせい
立体的な壁や敷居はつくらず、あくまで「線」だけ。

それぞれが何処の三角が自分のエリアだとか決めておく。

真ん中の6角形は誰がとってもOKとかいうふうに。

2人なら三角3つずつ。3人なら三角2つずつ。6人なら三角1つずつ。

あとは臨機応変(笑)


うむ。これなら拉致問題もおこらず平和になる。可決。



ああ、あとついでにもひとつ「気を遣うのが疲れる肉の話」

焼き肉屋ではなくて、焼鳥屋もしくは居酒屋でのシチュエーションなんだけど。


これも気の合う友人とかと行く時はいいんなけど、接待とか極端に目上の人と言った時に

オーダーする焼鳥は出来れば1人1本ずつパターンにしましょうよ。

とりあえず「盛り合わせ」は勘弁勘弁。


盛り合わせで多種類の串が数本盛られて卓にきたら、だいたい下っ端か新人が箸を逆に

してスコスコとこそぎ落して器の上にバラスすのが礼儀になってるじゃない?


バラすのをやるのは別にいい。そのくらい大した作業でない。面倒だけど。

ただ問題は、まるで肉片1個1個が自らの意志を持つように

「人間なんぞにこそぎ落されてたまるもんかコンニャロメ!」と言わんばかりの持久力で

串にしがみついて離れない肉どもがおる場合がある。


あれはなんなのだろうか。

もしかしたら意地の悪い板前が、こっちがどういうふうに出るか試すのを厨房で観察してるのか

とも推測してしまう。わざと肉を外しにくくしてるのだろうか。


とくにその現場が接待の場とかなど、こちらも早くバラさないと失礼だと思い、一気にバーっと

こそぎ落そうと力を入れると、肉どもが串にしがみつく握力が急に弱まり、結果、

串から離れた肉どもが箸の動きに勢いづけられ「炸裂弾」の如く四方八方に飛び散る大惨事と

なる。


時にはナンコツが隣の卓までピューと飛んでゆき、スープの中にポチャっと着弾したりして。

比較的重みのないカワとかはピラピラしてて空気抵抗がないからそんな飛距離は伸びず

隣国・・・いや隣卓に届く前に卓と卓の間に着水する。


いくら意図的でなく手違いとはいえ、隣卓まで飛んで行ったのがナンコツでよかった。

これがもしミサイルだったら、いくら間違いとはいえ完全に第3次世界大戦勃発である。


いやミサイルでなくナンコツでも、隣の席がいわゆる黒塗りベンツとかに乗っていらっしゃる

方々だったら小戦争だったかも。というか一方的大虐殺になるか。


別に周囲にいるのが893サンでなくても‘串抜き’は神経使う。

串抜きした瞬間に、脂分をたっぷり含んだハツが向いに座ってる目上の人のブランドモノの

白ネクタイめがけて一直線に飛んでった瞬間には、さすがにオレの口からも自前の‘ハツ’が

飛び出そうになったもんだ・・・


焼鳥屋の大将、また居酒屋の板前さん、

焼鳥の肉は出来ればこそぎ落としやすい程度に焼いておいてくださいな。


と、ゆーか、正直いってオレは飲み屋とか料理屋で

料理をとりわけるにも、とりわけられるのもキライだし、

酒の注ぐのも注がれるのもキライだ!


誰にも気を遣わず、また遣わせず、

自分の好きなモンを好きなだけとって食うのが一番イイと思うのに!


なんか日本人ていうのは、やっと仕事が終わって、本来楽しい空間である場所のとこで

気を遣って仕事以上に疲れる状況って多い気がするな。

会社とか主催の強制参加の花見とかやらされてる人もいるんじゃない?