許せない人がいますか? | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今回のテーマは『許せない人がいますか?』

サブタイトルは「ケンくんの正直ブログ」


今夜は三島由紀夫的な逆説エンタテイメントにて不道徳講座。

エンタメとはいえ、ヘタするとオレがキケン、アブナイ奴と思われる可能性がある。

でも、ある意味人間なら当然だし、そういう過ごし方もあるという綺麗事抜きの意見で

ガチで正直な価値観を皆さんに投げかけるんで、皆さんもヘンに気取ったりとかせずに

ガチであたってきていただきたい。


さて、記事タイにもあるとおりですが、皆さんは今、いやこれからも一生、

「こいつだけは許せない」「こいつだけは殺したい」

という奴がいますでしょうか。


普通に考えまして人生を10数年、20年、30年・・・・60年、80年と生きてくれば

殺したいまで値する奴はいなくても、ずっと許せない奴や殴りたい奴の1人や2人はいるのが

当然だと思います。


もし、「殴りたい奴、許せない奴なんて1人もいない」という方がいたとするなら、

それはその人が寛容と言うよりも、相当運良く環境に恵まれてきたか、他人よりも人と

関わることが極端に少なかったか、自分自身の個を持たずテキトーに生きてきたか、

あるいはバカ殿みたいにずっとお山の大将でいて、まわりに逆らう人間がいなかったか

だととらえます。ま、稀にホントに寛容な人もいるとは思いますが。


このブログでは「厭世」を謳ってるオレですが、実際はなんだかんだで人生で色んな場所に

属したり、または行ったりして、今までかなり多くの人と関わってきています。

よって、関わってきた人間が多数だけに、正直オレは今でも許せない奴というのが存在します。


許せない奴が存在するというのはオレだけでなく、ほとんどの人が当てはまるんでは

ないでしょうか。推定日本人の9割くらい(笑)


これだけの人間がこの世で交差してるワケです。

オレがそうだと言うワケではないですが、それなりに正直に生きてきて、それなりに

自分自身の考えをもって、色んなタイプの人間とかかわれば「許せないやつ」の数人は

出てくるのが当然ではないでしょうか。

悪人ではないけど自分と価値観や意見が正反対の人から、単純な悪人まで。


そこでですが、皆さんはそういう忘れることが出来ない「憎しみ」をどう処理してますでしょうか。

いや、そういう憎しみってのは基本処理出来ないモンですけどね。


体に付いた切り傷とかは自然に時がたてば治癒してくもんですが、

侮辱されたり騙されたり陥れられた憎しみってのは、そう簡単に消えないもんです。

というか、時間がたてばたつほど増大するかもしれない。


「自分への言い聞かせ」で消毒出来るほどタチの良いもんじゃないんですよね。


こういう「許せない奴がいる」っていう憎しみをどうしたらいいですかみたいな投書や

悩み相談は昔からあって、ちょっと前までの識者の返答は例によって

「許してあげなさい」ってのが多かった。

それが最近は少し変わって…というか比較的本人を容認する答えが増えてきてるんです。


結果からいうと「憎しみ」にとらわれるのは時間がもったいないという結論は共通ですが

最初の「許せない奴がいる」「殺したい奴がいる」という憎しみを持つということは極めて

「正常」であると認める意見。

ちょっと前はまず返答ので「殺したいなんて穏やかでない」とか入るのがお約束だった。


先日書いた美輪明宏サンも著書の悩み相談でそのテのハガキが来た時に

「ワタシだって(これからも)許せない人間がいる」と語っていた。

別の本では「地球は妬み、嫉み、僻み、悪意で構成されているの」ともズバリ書いている。

地球と言うよりも人間社会と言いたかったんだろうけど。


ただ、ここで美輪サンは、その「憎しみ」という感情を持ったままにすることは否定していない

ように思えた。そもそもさきにも書いたとおり人から受けた危害はそう簡単に忘れられるもんでは

ない。


昔ながらの識者や教師だったら、

「もっと自分の好きなことや、楽しいことをやってイヤな人のことは忘れたほうが自分のため」

とか言うだろうが、張本人からすればそれほど難しいモノはない。


例えばオレの経験からしたら、イヤなことやストレスを発散するために友人達と飲み会いったり

出掛けたりするのに、たまたま「許せない奴」と同名の出演者の名前が居酒屋のテレビから

聴こえてきたり、また飲み会にきた初対面の人の名前が「許せない奴」と同名だったりした時に

ハッと思いだしてムカムカしてきたりする。(その同名に人に対してでなく)


そうなのだ。楽しく過ごして忘れようとしても、どこかで必ず記憶がわき出てきてしまうもの

なのである。それこそ楽しい雰囲気が一転してブルーになる。


ムリに自分に対して「もっとおおらかに」と言い聞かせても、そんな綺麗事で簡単に

葬りされるモンではないのです。憎しみというものは。


じゃあ、どうすればベストか?

ここから世間の良識に背を向ける本題に入ります。


「憎しみは捨てずに、ずっと持っておいていいのです」


これは誰から影響されたとかではなく、最近気付いたオレの思想ですがそのあとに

読んだ本でも近い思想が書いてあったんで、あながちズレタた感覚ではないと判断し

書いてしまいます。


オレの好きな芥川龍之介のアフォリズム本にはこういう文があります

「何と言っても『憎悪する』ことは処世術の才能の1つです」 と


侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)/芥川 龍之介

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また一気に別次元に変わってしまうがマツコ・デラックスは

「憎しみは原動力」 と語っています。

あまから人生相談/マツコ・デラックス
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マツコさんも、許せない奴がいるのはごく当然で全くおかしくないと相談者に返答。


そういえば、ハッキリとしたバンド名は放送禁止なんで書けないけど海外の

「A×C×」という史上最凶と言われたバンドの曲にも「怨みはパワー、憎しみはヤル気」

いうのがあった気がします。


そうなんですよ。

学校の道徳の教科書とかには絶対書かないし、いつでもどこでも明るい人種達は

認めないと思うんだけど、モチベーションとして一番大きくて強力な原動力になるモノってのは

現実、「憎しみ」なんです。

これ、オレはずっと前から思ってたんだけどね。

ただ、世間で言うと叩かれるのよ。



でも、良いことに向けてにせよ、そうでないにせよ何事にもモチベーションの持ち方って

自由だと思うんです。


オレも最初のほうに書いた「許せない奴」のせいで、そいつの利益にためにボロボロにされた

けど、結果、そいつに対する憎しみを持ち続けたからこそ、今もまだやってこれてるワケ。


そういう悪い奴がのうのうと生きてるのに、そんな奴より先にオレがくたばるのはオカシイと。


とはいえ、多くの人が言うように、たった一回の人生をそんな奴のために憎しみに尽くして

生きるのは自分のためにももったいないというのも事実。


だからオレは決めてるんです。

年齢的にも、その「許せない奴」がこの世を去るのが先だから

かなり先になると思うが、そいつがこの世から去った時、そしてその情報を

入手した時に「祝杯」するの楽しみにすると。


暗いと思われようが大人げないと思われようが関係ないです。

また「命」に対してそんなどうたらこうたらと言う人もいるかもしれませんが

オレは別に誰それ構わず死ねと言ってるワケでもないし、ちょっとした事をされた

くらいで、そいつは死んでほしいとか言ってるワケでないんです。

むしろヘタしたら、そいつのせいでオレが・・・ってこともあるくらいのことされた相手にだけ。



この考えを陰気だと思われますでしょうか。

すべてはとらえ方次第です。


その憎しみを当人に向けず、外部に向けて繁華街で殺傷事件起こしたり、また

同居してる家族に向けたりする。

あるいは「自分にもなにか問題があったのでは…」と己を責めて自らに刃を向けたり

するよりも、ずっと健康的ではないでしょうか。


また、加害者に向け真っ正面から向かっていけないからといって悪戯電話したり

匿名でネットとかに中傷するよりもずっと健康的ではないでしょうか。

実害はないワケですし。


また食後のデザートと同じで楽しみは後にとっておいた方がいいというのに似ています。

「許せない奴」が長生きすればするほど、それにより自分もそれよりもっと長く生きなければ

という流れになります。

つまり結果としては自分も相手も長く生きてほしいということになるんですよね。

そのぶん、祝杯の楽しみもとっておけるというモノ。

そして、その最後の祝杯の時がくるまでの時間は自分の時間を楽しめばいいのです。


そう考えると「許せない奴が存在する人生」というのもまた楽しいかもしれません。


コレがオレの憎しみ哲学ですけど、意味通じましたでしょうか?オレの文がヘタなんで。


まとめとしては芥川サンやマツコさんの言う通り

『憎しみは生き続けるための処世術であり、また原動力』 なんです。

だから逆に捨てたり忘れようとしないほうがいいと。 オレは思います。


文学やドラマでよく「憎しみに生きる」という表現がありますが、いいじゃないですか。

たとえ「憎しみ」でも「生きる」なんだから。

「死ぬ」とか「殺す」よりかずっと。オレはそう思いますけどね。


さてさて、長くなりましたけど 多少ご理解いただけましたでしょうかね?


もし、ホントにオレの価値観に拒絶反応起こす人だったら、おそらく前半の「憎しみは捨てるな」

のあたりで読むのを放棄されてると思います。

ですが、今、ここまで読んで頂いてる方は、ある程度の違和感はあったとしても

多少潜在的にどこか共感していただいたり興味を持って頂いてるから、ここまで読んでくれた

んだと思い、感謝します。


以上が今回のオレの正直意見ブログです。


みんな、引いたかな・・・・・・(;一_一)


では、今夜はこのへんで…

・・・



☆エンディングテーマ 『正直ブログ』


書き綴る  書き綴る~♪


正直に~ 正~直~に~♪


書き綴る  書き綴る~ ♪


正直に~  書か~せ~てよ~~♪ (パクリ)



[ケンくんの正直ブログ]おしまい。