「定時後やれ」のナンセンス | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今回の記事は営業マン経験ある男女の方、もしくは経験あった男女の方に

読んで頂き、声を聞きたいところ。


だだ最初に念を押させて頂くと、このブログの場は別に組織の会議の場でもなければ、

読んで頂いてる方の収入や立場に影響を及ぼすようなたいしたステージではないので

「心意気」とか「みんな我慢してやってるから」とかそういう社会人的アピールは結構なので

「個」の人間としての‘正直’な声を聞かせてもらえたら嬉しい。


ちょっと前に、とある若い男性と話をすることがあった。そのコは営業マンである。

彼曰く、


「なんかよくワカンナイんですけど、営業やテレアポ以外の書類作成や郵送物手配などは

『就業時間後にやれ』って上が言うんですよ…」


と、腑に落ちない顏で首をかしげながら言ってた。


ちょっと聞いた雰囲気だと、いかにも今どきの若者が仕事を理解せず

「よくワカンナイんですけど」と言ってるように聞こえるが、改めて冷静に考えてみよう。


上司の

『営業以外の作業は定時就業時間後にやれ』

というセリフと

若い社員の

「なんかよくワカンナイんですけど、営業やテレアポ以外の書類作成や郵送物手配などは

『就業時間後にやれ』って上が言うんですよ…」


どっちのほうがまっとうな思考だろうか。いうまでもなくオレは後者だと思うのだが。


それにはオレにも思い当たるフシがあり、以前ちと務めていた会社の社長も全く

同じことを言っていた。

いや、おそらく日本の企業のほとんどのおエライさんが、会社でそう言ってるような

気がする。


おかしくね??????????????????・・・・・・(;一_一)


だって「就業時間(定時)」は「就業時間」であって、仕事するすべての時間を

ひっくるめた「時間」でしょう?


例えば、仕事が遅かったり目標に達していないなら定時過ぎても営業して

残務はそのあとやれ、とかならワカル。


でもハナから「定時後にやれ」って言うのは、どんなに優秀な営業マンでも

必然的に残業が発生して、そのぶんキモチの余裕がなくなり個人の時間も

削られて仕事の回転も悪くしてるんじゃないか。

今どき残業代出るトコロなんて、ほとんど無いだろーし。


繰り返し言うが、とくに「遅い」「足りてない」とかいうケースは別として、

営業から残務処理まですべてひっくるめて労働する時間が「定時」ではないの?


ホントに巧いやり手の経営者とかは、そうやって社員も会社も操作して回せるもの

だと認識してきたが。

いくら売上が上がってても、社員がみんな自分の時間を必要以上に組織に提供してて

余裕をなくし死んだような顏してるような会社の経営者ってどうなんだろ。

経営者としての資質を疑う。


この前に経済番組「オイコノミア」に佐々木常夫サンという人が出てて、

この人は組織で課長時代に部下全員を夕方6時に帰すという管理をテッテーして

成功したとのこと。


部下には

「100点よりも80点を目指せ」

と教えていたらしい。


それにより部下もキモチに余裕が出来、逆に回転がよくなったようだ。


これは素晴らしいことだと思うんだけど、実際こういう指導ってムズカしく

出来る人が少ないんだろうね。

この人のようにやれっていうと、それこそ綺麗事や理想論になってしまうのかね?


いや、オレだって別に

「残業なんかやりたかねえよ!」って言ってるワケじゃない。


まあ、やりたくないには当然やりたくないけど、ある程度はやむを得ないし、

どこの国でもどんな企業でも残業は人生のムダなオプションだろと諦めている。

オレ自身も実際、現在まで残業なしで帰った日なんて一ケタくらいだと思う。


ただね、ホントにハナから、残業発生するような方針がイヤなのよね。


おエライさんにしても、まだ

「申し訳ないが、ちょっと会社が厳しいから皆の時間を会社にわけてくれ」


というような言い方なら、人情的なモンもあって逆に組織のためにやって

やろうという気にもなる(かもしれない)が、

自信満々に


「雑務や書類整理は定時後にやれ」


と言われるととてつもないナンセンスを感じるのはオレだけか。


いや、オレだけというか、もう他に1人以上いるんだけど。